大宮エリー『星の一部として、生きること。それが私の人生の豊かさ』
『翼の王国』で好評連載中の『ライト、フライト』の執筆者の1人であった大宮エリーさんが2025年4月にご逝去されました。作家や画家など幅広い活動で、私たちに楽しさと優しさ、そしてたくさんの光を届けてくれました。
翼の王国WEBでは、大宮さんの書かれたエッセーを2023年8月より遡って4回にわたり毎月ご紹介いたします。内容は執筆当時のままです。
心から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

教授と空の旅(2023年8月号掲載)
と言っても、ひとりでアイスランドに行ったのである。教授こと坂本龍一さんがアイスランドでライブがあるとのことで「来る?」と誘っていただいた。TBSの「アーティスト」という音楽番組の司会を当時していた私は、その教授のライブの日が、あいにく収録日であった。でもどうしても行きたくて、でも行けなくて悲しみながらもなんとか行けないかとあがいていたとき、名探偵ばりに思いついたのである。「あ、行けるわ」と。そう、名探偵は閃(ひらめ)いたのである。「時差を利用しよう」と。
木曜の収録が終わって、そのまま空港に向かい飛行機に乗れば、時差があるから、また木曜日の夜にアイスランドに着くという。かくして私の初めてのアイスランドは、教授のライブを観るためだった。
着いてダッシュで、会場へ。すごく大きな会場で、ガラス張りで、きれいな美術館のような箱。そこからズンズンとすごいテクノなのか、レイヴっぽい地響きみたいな音がした。
「こ、ここで教授のライブがあるのだろうか?」
マネージャーさんに連絡し、無事落ち合う。リハされていた。本番前だし話しかけられなかった。マネージャーさんも忙しそう。「ここで楽しんで観ててね」と言われ、ドキドキしてフロアの片隅に。
まもなく教授のライブが始まる。他のところからの音が気になるし、観客たちも騒がしい。私は心の中で不服だった。「もう、みんな!静かにしてよ!教授の始まってるよ!」
教授は、始めます、とも何も言わずに、音を奏でた。それも、すごく小さな小さな音。そして、グランドピアノの開いた部分の弦を、ハンマーで、小さく叩く。繊細な音。
「みんな、もう、世界の坂本龍一が!」と叫びたかったが、わいわいとみなさん、いい具合に酔っているようだ。
ハラハラしていたら、すごいのだ。音が、みんなに呼びかけた。音がみんなの肩をトントンとしたんだと思う。しだいに静まっていき、みんなが、教授の音に耳を傾け、全身で聴くようになっていく。あんなにうるさかった会場のあんなに騒いでいた輩(やから)たちが、みな、細胞レベルで、音に向かい始め、そして、みんな静かに、教授のステージの近くへ近くへと寄っていくのだ。なんだか神々(こうごう)しいものを目(ま)の当たりにして、みな驚き、そして、目覚め、覚醒していくような。
最後は、静まり返って、みな教授の音を、茶室にいるかのように静かに味わっていた。
ライブが終わって、ご飯を食べたような気がする。共演の方もいらしたので、お邪魔じゃないかとハラハラしながらそこにいた。すると、明日は忙しいけど、明後日一緒に氷河を見に行く?と聞いてくださった。
もちろん行く。行かせてください!
教授たちが取材を受けている日は、ひとりで過ごした。ザ、観光をしたのである。ビョークのビジュアルで有名な、ブルーラグーンという温浴施設に行く。水着を着用し、青白い大きなお湯の湖にそろりそろりと体を沈める。ぬるかった。でもみんな、そこにあふれている白い泥を体に塗っている。肌にいいのか?
岸辺にはお湯につかりながら注文できるバーみたいなものがあって、みな美味(おい)しそうにビールを飲んでいた。私も真似してやってみた。憧れの場所に来たけど思った。こういう場所は、ひとりで来たらダメだと。ひとりの人は誰ひとりいなかった。
次に、シンクヴェトリル国立公園にも行った。そこに地球の裂け目、ギャウがあるのだ。北米プレートとユーラシアプレートの2つの大陸プレートの境目の裂け目を歩ける。そして私はその裂け目をひとりで歩いた。なんだか、ぽかんとしたように思う。旅が早すぎて実感が湧かなかったが、今振り返ると私は、あの裂け目に立ったんだなとじわじわ後から感慨深い瞬間を味わったのだった。
熱湯を1日3回ほど、最大で約60m噴きあげるゲイシール間欠泉にも行った。まさに、地球の鼓動やダイナミズムを感じた一日だった。

そして翌日、教授たち一行にお邪魔虫して氷河を見に行った。今度は氷の世界だ。青白い。すごく綺麗(きれい)な透明な音が響き渡りそうな場所だった。息を呑(の)む。誰も話さなかった。教授は静かに、氷河の音を録音されていた。自然の微細な話し声や鼻歌を録音しているんだなと思った。
滝にも行った。大きな滝だった。そして大きな虹がかかった。
その翌日、「市長さんに会いに行くけど来る?」とまた誘っていただいた。またついていった。2014年2月のことだった。話題はエネルギー問題。市長さんはおっしゃった。
「アイスランドの電力源はすべて、自然エネルギーで、そして供給率は、120%です」
おどろいて恐る恐る聞いた。
「え?あ、余ってる?」
「はい」
「では、その、20%の部分は……」
「輸出しています」
一同、うーむとなる。
「30%が地熱、70%は水力です。日本の地形はアイスランドによく似ています」
ということは?とみなが顔を上げると、
「はい、日本もできます。それに、我々のその技術は日本の企業の技術を利用していますから」
なぜできないのかと、私が聞くと、利権でしょう、と、聞くまでもないとばかりにテーブルの誰かが答えた。教授はもっと難しい話をしていたけれど、私は、頭がぐらぐらしていた。
アイスランドのホテルは快適で、2月の寒い時期でも、部屋は暖房なしに暖かい。温泉が通る管が部屋をぐるっと取り囲んでいるのだ。なんてエコロジー、そして優しい。地球に抱(いだ)かれているような快適さなのだった。それが日本でもできる、そして輸出できるなら、そんな素晴らしいことはないじゃないか、と思った。
あれから、9年が経(た)ち、教授が星になられた。もともとスターだったけど、宇宙のスターになってしまわれた。私はあのアイスランドの旅で、大切なテーブルにつかせていただき日本の未来にとっての希望のお話を聞いたのに、何もできていない。
とある公的な電力会議に参加したことがあって、原発に頼らず、アイスランドのようにできないかと話したけれど見識者の方に一笑されてしまった。私の話はエビデンスも何もないと。
でも、私はあの旅に、確かに未来を見たのだ。健全な地球との共生を見た。地球と抱き合う時間もとれた。あの裂け目で感じた鼓動。
今のままじゃ、人間が、地球の、宇宙の害虫だよ。そう思ってしまう。人間が地球にとっていいことをしているだろうか。ひとつでも。
エビデンスではなく、理想を掲げたい。日本の未来を、どういう未来として描くのか。教授が星になってから、私の脳裏には何度もあのアイスランドの氷河の透き通った水色の上や、地球の裂け目に立っているイメージが浮かぶ。もう国なんてないのかもしれない。民族としての日本人は、そして文化は、素晴らしいと思う。四季を大事にし、自然と共に生きてきた。じゃあ国という制度はどうだろうか。
いろんな制度が計り知れないところで決議されていく不透明な混沌(こんとん)の中で、心のバランスを保つには、ただただ自然に返るしかないと思っている。自然はいつも間違えない。自然はいつも寛容で、美しくて、調和がとれており、支え合って豊かだ。私利私欲がなく、宇宙の真理に基づいて、ただ動いていく。星の一部として、生きること。それが私の人生の豊かさだと今、思っている。
大宮 エリー
アーティスト。画家、作家活動に加え、写真に映画、脚本、楽曲、CM制作までマルチに手がける。
イラスト ソレイユ・イグナチオ
編集 山下美咲
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