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ワシントン・ダレス国際空港で38年 東京―ワシントンD.C.線を支えてきた空港所長の矜持

ワシントン・ダレス国際空港で38年 東京―ワシントンD.C.線を支えてきた空港所長の矜持

ANA REPORT 翼の流儀

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▶︎ With Pride in Every Flight

▶︎ 每一班航班,都倾注我们的骄傲

一便一便に、誇りを込めて

「1986年3月、国際線定期便を就航したANAは、同じ年の7月26日、東京―ワシントンD.C.(以下、DC)線の運航を開始しました。従来、この2都市を結ぶノンストップのフライトはありませんでしたから、ANAのDC就航というのは多くの人の悲願であり、特別で重要なものでした。その両都市を結ぶ便に“NH001”“NH002”というフライトナンバーが割り振られていることにも、特別な意味があるのです」

ANAのワシントン・ダレス国際空港(以下、IAD)の空港所長、ジェフ・メドウズ(以下、ジェフ)は、こう話すと、何度も強く頷いた。

7月4日、建国250周年という記念すべき日を迎えるアメリカ合衆国。そして、その首都であるDCへ、ANAが直行便を就航させてから、今年はちょうど40周年という節目の年でもある。

自由、民主主義、法の支配といった基本的価値観を共有し、「日米同盟」を基軸とした強固な協力関係にある日本とアメリカ。日本にとってアメリカは最大の輸出相手国であるなど、両国は経済面でも相互に重要なパートナーでもある。その二つの国の首都を繋ぐANAのフライトには、これまでも、そして現在も、政府要人やグローバル企業のトップなど、大勢のVIPたちが搭乗してきた。

今回はIADで長年働き、深くまで知り尽くす空港所長が語る、“特別”な空港業務に携わり続けた者、その胸の内に秘めてきた矜持――。

沖縄での経験と、ANAとの出会い

アメリカ出身のジェフは1988年、日本のエアラインであるANAの一員になる。だが、そのずっと前から、彼は日本という国と浅からぬ縁があった。

「私はノースカロライナで生まれ、北バージニアで過ごしてきました。13歳のとき、両親の仕事の関係で、日本の沖縄に移り住んだことがあるんです」

このとき、生まれて初めて国外に出たジェフにとって、沖縄での暮らしはとても大きなインパクトがあった。

「3年を沖縄で過ごしたわけですが、これは私にとって非常に素晴らしい、驚くべき経験でした。多感な10代のうちに、まったく違う文化のなかで生活したことは、私には大いに刺激になりましたし、視野を広げてくれたと思います。そのときの経験が、のちにANAに入社するときも、その後、長年働き続けるなかでも、大いに影響があったことは、言うまでもありません」

印象深い思い出がある。

「私が沖縄に滞在したのは70年代終盤から80年代初めでしたが、私の記憶に刻まれているエピソードが一つあります。それは1978年7月30日のこと。日本に施政権が返還されてから7年ほどたったこの日、沖縄の道路がそれまでの右側通行から左側通行に切り替わったんです。これは沖縄の人たちにとって、とても大きなイベントで、県をあげて一大キャンペーンを行っていたのが、非常に記憶に残っています」

その後、学業のためアメリカに帰国。大学卒業から大学院入学までの間の、短期のアルバイトを探していたときだった。

「派遣会社のオフィスに登録をしに行ったんです。そこで、書類を書いているまさにそのとき、電話が鳴りました。それがANAからの求人の電話でした」

電話を受けた派遣会社のマネージャーが、目の前にいたジェフに尋ねた。「ANAという航空会社を知っていますか?」と。

「私は『素晴らしい会社です』と即答しました。というのも、沖縄にいた当時、ANAが日本の国内線で躍進していたのを、よく覚えていたからです」

こうしてジェフはANAに入った。短期アルバイトとして迎えられ、アドミ職で働いた最初の3カ月間が終わるころ、当時のボスから「カスタマーサービス部門で、正社員として続けてみないか」と声がかかる。

「それまでは、大学院に進み教師になるという夢を持っていましたが、私は航空業界で働く決心をしました。気づ付けばもうすぐ38年。航空業界は本当に面白いです。多様性があり、新しいテクノロジーが次々と入ってくる。そのダイナミズムに、いまも惹かれ続けています」

当時のIADについてジェフは「現在の3分の1ほどの規模だった」と振り返る。

「メインターミナルのサイズも、旅客数も、おそらく現在の3分の1ほど。かなり小さな規模感の国際空港でした。でも、まさにそこが、IADが大きく飛躍する最初のときだったと思います。ターミナルを拡張し、滑走路も増設されました。ANAが就航して以降、IADもノンストップで成長を続けています」

そして「以前もいまも、IADが重要で特別な空港であることに変わりはありません」と幾度も力を込めた。

「政府の関係者や大企業の幹部の方々をここから飛行機にお乗せする、あるいはお迎えするという機会が本当に多いんです」

誇らしげに話すジェフに、要人を接遇する際に配慮する点を尋ねると「彼らの旅を、できるだけ簡単にして差し上げること」と柔らかな笑みを浮かべた。

「彼らがエネルギーを使わなければならないのは、旅の心配ではなく、大切な仕事に対して。ご自分の仕事に最大限の力で取り組めるよう、私たちは彼らの旅をより簡単に、そして、快適にするよう心がけます。オンタイムで荷物が届くよう配慮するのはもちろんのこと、ケータリングやキャビンサービスは素晴らしいものを用意します」

ここまで一気に話すと、ジェフは「とは言っても」と笑顔で言葉を継いだ。

「それは、どのお客様に対しても同じです。どの座席クラスのお客様でも、飛行機に乗るというのは、多少なりとも緊張感を伴い、ストレスを感じる方も少なからずいらっしゃると思います。そういった、あらゆるお客様に対して、VIPと同じようにサービスできることに、私たちはプライドを持っているのです」

9・11を経て感じた、航空の使命

「あの日は火曜日で、私は非番で自宅にいました。その後、あのような悲劇が起こるなんて想像もつかないような、素晴らしく天気のいい朝だったのを覚えています」

長いキャリアのなかで、もっとも辛かった思い出を尋ねると、彼の顔から笑みが消えた。

「テレビをつけると臨時ニュースが流れていました。目に飛び込んできたのは、ニューヨークのタワーに航空機が突っ込む瞬間でした。ショックを受けて言葉を失っていると、やがて二つ目のタワーが攻撃を受けて……」

それは、2001年9月11日。世界を揺るがしたアメリカ同時多発テロ事件だった。居ても立ってもいられず、ジェフは職場に向かった。IADから飛び立ったアメリカン航空の飛行機が、国防総省本庁舎に突っ込んだことも知った。その便には知人も搭乗していた。

「打ちひしがれるような思いを抱えたまま、私たちはお客様や乗務員の安全を確認、ケアすることに全力を注ぎました。そして2日後の木曜日。米国の空域が一部再開されました。そのときアメリカから飛び立った便の一つがIAD発、成田行きのNH001便だったのです」

出発する飛行機をターミナルの外に立って、スタッフ一同で見送るのがIADのANAチームの慣例だ。テロ事件後、最初の便が離陸していくときも、ジェフたちの姿は駐機場にあった。

「足止めされていたお客様をふたたびお送りできることへの安堵感があった一方で、この先、空の安全のため航空業界に起きる大きな変化を予感しての緊張感も。そんなものがないまぜになりながら、私たちは手を振っていました」

そしてジェフは「気持ちを新たにした」と話す。

「9・11という悲劇を経て、私はそれまで以上に、航空業界に尽力したいと考えるようになりました。あのような事件に見舞われても、航空業界は怯むことなく立ち上がりました。そして、私は公共交通機関としてのエアラインの使命を強く感じました。その思い、覚悟というのは、2020年のパンデミックのときにも、大いに生かされたと思っています。不確実な時代であってもANAのサービスというのは、社会にとって非常に大きな役割を担っている、不可欠なものだと改めて学んだのです。この先、さまざまな試練に見舞われたとしても、お客様を無事に目的地にお届けする、そのチャレンジをANAの一員として続けていきたいと思っています」

「この仕事に就くことができたのは天恵だと思う」

「私のキャリアはもう終盤、野球にたとえるなら、もう3塁からホームベースに向かっているあたりだと思います。このようなタイミングで夢や目標を語るのは、ちょっと難しいものがありますが……。強いて言うならそれは、ANAの未来のことですね。ラッキーなことにANAは人財にとても恵まれています。エネルギーと才能が豊富な若い世代の人が大勢いる。願わくば、彼らが今後も重要な仕事を続け、ANAの発展を継続させてほしい。そして、このIADのチームも同じように成長を続けてほしい。それを見守り続けること、それがいまの私の夢です」

取材の最後にジェフは「天恵」という言葉を、真剣な眼差しで何度も繰り返した。

多感な10代を過ごした日本・沖縄。そして、求職のため赴いた派遣会社で偶然、鳴ったANAからの電話……。

「この仕事に就けたこと、その後、38年も続けてこられたことは、まさに天恵、天の計らいだと私は思います」

そして、恵みの原点となった沖縄にも足を運びたいと微笑む。

「じつは、私の妻は沖縄出身です。そして、私たちには二人の娘がいますが、そのうちの一人が、いまも沖縄で暮らしているんです。ですから、将来リタイアしたのちには、彼女に会うためにも、ぜひ沖縄を再訪したいと思っているんです」


撮影 加治屋誠
取材・文 仲本剛

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With Pride in Every Flight

The pride of a station manager supporting the Tokyo–Washington route for 38 years at Washington Dulles International Airport

“In March of 1986, ANA began operating scheduled international flights with a passenger service. On July 26th of the same year, it opened its Tokyo–Washington D.C. route. Until then, there had been no direct flights between the two cities. ANA opening its DC route was a major milestone and a dream come true for many.

”ANA’s station manager at Washington Dulles International Airport (IAD), Jeff Meadows, nods enthusiastically as he speaks.

On July 4th of this year, the United States will be celebrating the 250th anniversary of the signing of the Declaration of Independence. But in a welcome coincidence, this year also marks the 40th anniversary of ANA’s direct service to the country’s capital. Japan and the US enjoy a close cooperation with their alliance at its core. The US is Japan’s greatest export destination, and the two countries remain major economic partners. ANA’s flights connecting their capital cities are taken by a significant number of government officials, or leaders of international corporations, among other VIPs.

In this issue, the seasoned station manager tells us about what he takes pride in about his unique job at IAD.

Experience in Okinawa and first encounter with ANA

Jeff is American and began working for the Japanese airline ANA in 1988. However, that wasn’t his first run-in with Japan.

Jeff: I was born in North Carolina, and then lived in northern Virginia. When I was 13, my family moved to Okinawa due to my parents’ work.

That was Jeff’s first time leaving the country, and his time in Okinawa had a major impact on his life.

Jeff: I spent three years in Okinawa, and I found it to be a surprisingly wonderful experience. That experience would eventually lead me to working for ANA and continue my service for as long as I have.

He later returned to the US to continue his education. Then, while looking for a temporary job after university before entering graduate school, something happened.

That was how Jeff began working for ANA. He was hired as temporary administrative staff, but just as his first three months were ending, his boss asked if he would like to continue with the company as a full-time employee in the customer service department.

Jeff: Until then, I had dreamed of going to graduate school and becoming a teacher, but I made up my mind to dedicate myself to the world of aviation. Almost 38 years later, I’m still here. The air travel industry is fascinating. It’s diverse and it regularly welcomes new technologies. I’m still incredibly charmed by that dynamism.

“At the time, IAD was a third of its current size,” Jeff recalls.

Jeff: But I believe it was then that IAD was making its greatest strides. They expanded the terminal and built more runways. IAD has experienced constant growth since ANA opened its services.

He also stresses the unchanging importance and unique nature of IAD.

Jeff: Government officials or executives of major corporations often use our services.

Jeff describes his work with pride, and when we ask what he prioritizes when receiving VIPs, he answers with a soft smile: “Making their journey as simple as possible.”

Jeff: Their energy must go toward their important affairs, not their travel concerns. We wish to make their journeys as comfortable as possible, allowing our distinguished guests to perform their professional duties to the greatest extent. We promptly deliver their luggage, of course, and provide the best catering and cabin services we possibly can.

But Jeff is quick to follow up with a smile.

Jeff: Of course, that goes for every one of our passengers. No matter what class you travel in, many people experience stress when boarding a plane. We take pride in providing the same high-quality services not only for VIPs, but for every traveler we serve.

The duty of aviation post-9/11

Jeff: It was a Tuesday. I was off duty, so I was at home that day. I remember the weather was lovely that morning.

When asked about the most difficult day of his career, his smile vanishes.

Jeff: When I turned on the TV, I saw the breaking news. They were playing the footage of planes crashing into the Twin Towers in New York.

On September 11th, 2001, terrorist attacks shook the world. He also learned about the American Airlines flight departing from IAD crashing into the Pentagon. He knew someone who had been on that flight.

Jeff: Stricken with grief, we poured our efforts into guaranteeing our customers’ and cabin attendants’ safety and assuaging their concerns. Then two days later, on Thursday, flights were partially resumed. One of the flights out of the US at the time was the NH001 flight to Narita, departing from IAD.

Standing outside the terminal to send off departing flights has always been a custom of the ANA team at IAD. Jeff and his team stood on the tarmac as that first post-9/11 flight took to the skies.

Jeff: On one hand, we were relieved to serve travelers once more. On the other, we sensed that major changes to the aviation industry would be introduced for safety reasons. We waved the plane goodbye with these mixed feelings.

Jeff speaks of his renewed resolve.

Jeff: After the tragedy of 9/11, I committed myself to the aviation industry like never before. Even after such a major incident, the industry picked itself up and walked onwards. I felt a strong sense of duty towards air travel as a means of transportation. Those feelings and that determination proved crucial during the pandemic in 2020. It taught me that even in uncertain times, ANA’s services play a key role to society, that they are irreplaceable. I know not what trials await us, but I certainly hope to continue standing up to the challenge of safely helping travelers reach their destinations as a member of ANA.

This job was a blessing.

Jeff: My career is nearing its end, so I find it difficult to speak of any dreams or goals at this point… Still, I like to think of ANA’s future. Fortunately, ANA is blessed in terms of personnel. The young generation is full of people with energy and talent. I would wish for them to continue this important work and contribute to ANA’s development. In the same way, I hope our IAD team continues its growth. My dream is to be there to see it all with my own eyes.

By the end of our interview, Jeff spoke much of blessings with a serious gaze.

His sensitive youth in Okinawa. Not to mention the coincidental call from ANA which came while he was at the staffing agency…

Jeff: I sincerely believe finding this job and being able to continue it for 38 years is a veritable blessing, the work of a higher power.

He smiles, saying he’d love to return to where it all began.

Jeff: In fact, my wife is from Okinawa. We have two daughters and one of them lives in Okinawa now. One day, when I retire, I’d love to visit her and see the islands once more.

Photographer: Makoto Kajiya, Interviewer/Writer: Takeshi Nakamoto

每一班航班,都倾注我们的骄傲

在华盛顿杜勒斯国际机场坚守38年。
支撑东京—华盛顿D.C.航线的机场所长的自豪与信念。

 “1986年3月开通国际定期航线的全日空,同年7月26日正式开始运营东京—华盛顿D.C.(以下简称DC)航线。此前,两座城市之间从未有过直飞航班,因此全日空开通DC航线,是许多人长期以来的夙愿,也是一条格外特殊且意义重大的航线。”
  全日空在华盛顿杜勒斯国际机场(以下简称IAD)的机场站站长杰夫・梅多斯(以下简称杰夫)这样说时,多次用力地点头。
  7月4日,美国迎来了建国250周年这一值得纪念的日子。同时,在首都的DC,今年也正好是全日空开通直飞航线40周年的重要节点。
  以“日美同盟”为基础,日本与美国建立了牢固的合作关系。对于日本而言,美国是其最大的出口对象国之一,双方在经济层面也是彼此极为重要的合作伙伴。连接这两个国家首都的全日空航班,过去以及现在都承载着众多VIP乘客,包括政府要员以及跨国企业高层等。
  此次,我们将聆听一位长期在IAD工作、对机场情况了如指掌的机场所长的讲述关于持续从事“特别”机场业务的从业者,以及他们内心深处始终怀有的自豪。

在冲绳的经历,以及与全日空的相遇

  出生于美国的杰夫于1988年加入了日本航空公司全日空。但其实在很久之前,他就已经与日本这个国家结下了不解之缘。
 “我出生在北卡罗来纳州,并在北弗吉尼亚长大。13岁时,由于父母工作的关系,我曾搬到日本的冲绳生活过一段时间。”
  那时是杰夫第一次走出国门,因此在冲绳的生活对他产生了深远的影响。

 “我在冲绳度过了三年时间,那对我来说是一次美好且令人惊叹的经历。毫无疑问,那段经历不仅在我后来加入全日空时产生了重要影响,也在我之后长期在公司工作的过程中持续发挥了很大作用。”
  此后,他为了学业回到美国。在大学毕业到进入研究生院之间的空档期,他寻找过一份短期兼职工作。
 “我去了一家派遣公司的办公室登记。在那里,正当我填写表格的时候,电话响了。那正是来自全日空的招聘电话。”
  接到电话的派遣公司经理当着杰夫的面问他:“你知道全日空这家航空公司吗?”
  我立刻回答说那是一家非常出色的公司。因为我清楚地记得,在我住在冲绳的时候全日空在日本国内航线上正迅速发展、表现非常活跃。
  就这样,杰夫加入了全日空。他最初以短期兼职员工的身份被录用,从事行政工作。在最初三个月即将结束时,当时的上司向他提出:“要不要在客户服务部门以正式员工的身份继续工作?”
 “在那之前,我一直梦想进入研究生院,成为一名教师,但最终我决定投身航空业。回过神来,已经快38年了。航空业真的非常有趣,具有多样性,而且不断有新技术涌入。我至今仍然被这种充满活力的变化所吸引。”
  杰夫回忆当时的IAD时说:“规模大约只有现在的三分之一左右。”
 “但我认为,正是在那个时期,IAD迎来了首次重大飞跃。航站楼得到了扩建,跑道也新增了。从全日空开航之后,IAD也一直在成长。”
  随后他多次强调:“无论是过去还是现在,IAD作为一个重要而特殊的机场这一点始终没有改变。”
 “我们从这里送政府相关人员和大型企业高管乘机,或者迎接他们的机会真的非常多。”
  当问到自豪地谈及此事的杰夫,在接待要人时需要注意什么,他带着温和的微笑回答:“尽可能让他们的旅程变得简单。”
 “他们需要消耗精力的地方,不应该是对旅途的担心,而应该是他们的重要工作本身。为了让他们能够以最大的精力投入自己的工作,我们会努力让他们的旅程更加轻松、更加舒适。当然,我们也会确保行李准时送达,并提供高品质的餐饮服务和客舱服务。”
  一口气说到这里后,杰夫笑着接着说道:“话虽这么说,这一点对所有乘客都是一样的。无论是哪一个舱位的乘客,乘坐飞机多少都会伴随着一定的紧张感,也有不少人会感到压力。因此,我们以能够像对待VIP一样为所有乘客提供服务为荣”

经过9・11事件,感觉到航空的使命

 “那天是星期二,我正好休假在家。我还记得那是一个天气非常好的早晨。”
  当被问及漫长职业生涯中最痛苦的回忆时,他脸上的笑容消失了。
 “我打开电视时正在播出紧急新闻。映入眼帘的是一架飞机撞向纽约大楼的瞬间……”
  那是2001年9月11日,震撼世界的美国“9・11”恐怖袭击事件。他后来得知,从IAD起飞的美国航空客机撞入了国防部五角大楼总部。而那趟航班上,也有他的熟人。
 “怀着几乎被击垮般的心情,我们全力投入到确认并照顾乘客与机组人员安全的工作中。两天后的星期四,美国部分空域重新开放。当时从美国起飞的航班之一,就是从IAD飞往成田的NH001航班。”
  在IAD的全日空团队有一个惯例⸺ 所有员工都会站在航站楼外,一起为即将起飞的航班送行。在恐怖袭击事件之后的首个航班起飞时,杰夫等人也依然站在停机坪上。
 “我们一方面为能够再次送走那些被滞留的乘客而感到安心,另一方面也因预感到未来航空业为了安全将会发生巨大变化而感到紧张。正是在这种复杂交织的心情中,我们向他们挥手告别。”
  随后杰夫表示:“我们重新振作了精神。”
 “经历了9・11这一悲剧之后,我开始比以往更加希望为航空业尽一份力。即便遭遇那样的事件,航空业也没有退缩,而是重新站了起来。我也由此深刻感受到作为公共交通工具的航空公司的使命感。这种想法与决心,在2020年新冠疫情时也得到了充分体现。在不确定的时代中,我再次认识到全日空的服务对社会承担着非常重要且不可或缺的角色。今后即使再遇到各种挑战,我也希望作为全日空的一员,继续致力于将乘客安全送达目的地这一使命。”

“我认为能够从事这份工作是上天的恩惠。”

 “我的职业生涯已经接近尾声,在这样的阶段谈论梦想或目标,确实有些困难……如果一定要说的话,那就是全日空的未来。幸运的是,全日空拥有优秀的人才资源,有许多充满活力与才华的年轻一代。我希望他们能够继续承担重要工作,使全日空不断发展。同时,我也希望IAD的团队能够同样持续成长。能够继续见证这一切的发展就是我如今的梦想。”
  在采访的最后,杰夫以认真的目光反复提到了“上天恩赐”这个词。
  在日本冲绳度过情感丰富的少年时期。以及为了求职而前往派遣公司时,偶然响起的来自全日空的电话……
  “我认为,自己能够从事这份工作,而且此后还能坚持做了38年,真的是上天的恩赐、是上天的安排。”
 “而且,我也想亲自去一趟成为这份恩惠起点的冲绳。”他微笑着说道。“其实,我的妻子是冲绳人。我们有两个女儿,其中一个现在也住在冲绳。所以,等将来退休之后,为了去见她,我想再次造访冲绳。” 

摄影 加治屋诚
采访、撰稿 仲本刚