「縁起がいい」と地名が話題 奥日野・金持神社が後世に伝える鉄の歴史
もう一つの聖地へ たたらの記憶を辿る
船通山を挟んで、奥出雲の反対側。鳥取県の奥日野と呼ばれるエリアも、同じく良質な砂鉄と木材に恵まれたことから、かつてはたたら製鉄が盛んに行われていた。
江戸中期より操業を始めた鉄山師(てつざんし)である近藤家。その9代目当主である登志夫さんが語る。「西洋製鉄の技術が流入し、官営八幡製鉄所が本格稼働すると、奥日野のたたらの火は消えてしまった」。
実は、奥出雲も火が消えている。だが、炉と構造が残っていたため再稼働に至り、現代に続いた。「奥日野は残っていなかった。ここにあるのはその痕跡と記憶です。それを伝えていくことも奥日野の役割」(登志夫さん)。鉄の足跡を辿る。山陰の「奥」には、未知が広がる。
かつては黄金にも勝る場所 鉄で栄えた宿場町をめぐる
山水画のような風景を抜けた先に現れる金持神社。金持と書いて「かもち」と呼ぶが、その縁起の良い地名は、全国でここだけ。この地は、昔人が「黄金にも勝る」と大切にした鉄の産地だった。 山陰の奥深くにたたずむ金(鉄)を持つ場所。商売繁盛、金運を求めて、今日もまた、参拝者が足を運ぶ。
参拝を済ませたら、金持神社から車で10分ほどの距離にある根雨宿(ねうしゅく)へ。
江戸時代には、出雲街道の宿場町として栄え、たたら製鉄による鉄の商いをしていたこともあり、趣のある町屋建築が並ぶ。たたらの楽校(がっこう) 根雨楽舎(ねうがくしゃ)では、当時の人々の暮らしや、近藤家を中心とした、たたらの歴史を紹介する(要事前連絡)。鉄の街道に思いをはせる。
金持神社(かもちじんじゃ)
たたらの楽校 根雨楽舎
写真 久保田光一
取材・文 我妻弘崇
編集 高田真莉絵