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サムライブルーはここから始まった 1998年フランスW杯・日本代表初戦のトゥールーズの記録

サムライブルーはここから始まった 1998年フランスW杯・日本代表初戦のトゥールーズの記録

LIFE STYLE 旅の出会い

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トゥールーズのピッチに立つことは、何を意味していたのか。それは“全日本”と呼ばれた時代から続く夢の結実だった。国際試合が珍しかった頃から見続けてきた私にとって、1998年の初戦は歴史の転換点だ。遠かった世界が、初めて手の届く場所になった瞬間だった。

才人が旅先で出会った忘れえぬ光景を綴る。
今回は写真家として唯一、日本サッカー殿堂入りを果たしている、その道の第一人者。

写真・案内人 今井恭司

新潟県生まれ。東京写真大学(現・東京工芸大学)卒業後、広告写真を経て1972年から、サッカーを中心にスポーツを撮り始める。サッカーは国内外で日本リーグ、Jリーグ、ワールドカップ、オリンピック、欧州選手権、さらには少年サッカーまで取材、撮影を続ける。2017年には写真家として初めて、日本サッカー殿堂の掲額者に。

フランス・トゥールーズ

この写真は1998年、サッカー日本代表が初めて出場したFIFAワールドカップのフランス大会初戦(アルゼンチン戦)を捉えたもの。それはまさに、私にとっても“悲願”の瞬間でした。

私は1972年、ペレが在籍するブラジルのクラブチーム、サントスFC対全日本の試合から、サッカーの撮影を始めました。最近、サッカーファンになった人は不思議に思うかもしれませんが、「日本代表」ではなく「全日本」という呼称が一般的だった黎明期、日本が各国代表と試合をするのは稀(まれ)で、欧州や南米のクラブチームを招聘(しょうへい)、対戦することが普通でした。

相手チームにスーパースターのペレがいて、日本にも釜本邦茂選手ら銅メダルを獲得した“メキシコ組”も多数いたこの試合、国立競技場には大勢の観客が詰めかけていました。

ですが、そんな多くの観客の前で日本が試合をすることは、その後はほぼ皆無に。ワールドカップの予選敗退を繰り返し、スタンドには空席が目立つ、そんな時代が長く続いたのです。

いっぽうで、私は1982年のスペイン大会から、日本代表のいないワールドカップを撮り続けてきました。世界最高峰の試合を目(ま)の当たりにしながら思っていたのは、アマチュアリズム全盛だった日本とは別次元の夢舞台、いや、もっと遥か遠くにあるもの、それがワールドカップでした。

ですから、トゥールーズのスタジアム、そのピッチに日本代表の面々が並び立ち、斉唱する「君が代」を聴いたときは、胸が熱くなりました。この瞬間をフィルムに収める日が、まさか本当に来るとはと。

あれから28年。連続出場を続ける日本代表は、いまではワールドカップ優勝を目標とするまでに進化しました。いつの日か、トロフィーを高々と掲げる彼らの姿を撮影する――それは半世紀以上、日本サッカーを追い続けてきた、私の夢でもあるのです。

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