トップ選手はトップコーチになれるか 国枝慎吾が学び直して見つけた道
※ この記事は、翼の王国2025年11月号に掲載されたものです。
昨年1月にスタートした私のオーランドでの暮らしは、今年9月に幕を閉じました。いま振り返ると、その生活は大いなる刺激と困難、そして挫折の連続でした。
「困難」「挫折」という言葉を使いましたが、決してネガティブなことばかりではありません。なぜなら、私自身がその経験を望んでいたからです。壁にぶつかるたびに「これを経験するため、ここに来たんだろ!」と自分に言い聞かせ、自らを奮い立たせる――、そんな1年9カ月でした。

フロリダでは全米テニス協会のアドバイザーを務めました。
主な仕事は、車いすテニスのジュニア選手3名の指導でした。「シンゴの指導が受けられるから僕はフロリダに引っ越してきたんだ」という彼らの言葉は、とても嬉しかったですし、私も意気に感じました。なにより、世界ランク1位で現役を終えた私は「コーチとしても十分にやれるはず、彼らの力になれるはず」と、少なからず自信もありました。

ですが、その自信は瞬く間に打ち砕かれました。私が指導する3名は皆、経験も浅く、技術的にもまだこれからでした。当然、技術を一から教えていくのですが……。よくスポーツ界では「一流選手は必ずしも一流の指導者ではない」という言い方をしますが、まさにそれを痛感させられました。指導を始めた当初、選手たちから「わからない」と言われ、それがなぜなのかが私には皆目、わからない、そんな状態に陥ってしまったのです。


いま思うに、その原因は、私が自分の技術を彼らに押し付けていたからでした。テニスには幾つものスタイルがあるというのに、現役時代、自分が培ったやり方だけが正解と勝手に思い込み、彼らにそれを強いてしまっていたのです。

そこで私は、かつて自分を指導してくれたコーチに連絡を取って教えを乞い、さまざまなコーチングの動画を観るなどして研究を重ね、学び直しました。やがて、間違いに気づき、テニスには多様なスタイルがあることを改めて自分自身が認識したことで「わからないが、わからない」という状態から、少しずつ脱することができた気がしています。
こうして1年9カ月が過ぎ、彼らは見違えるほどに上達してくれました。帰国直前にもコートで打ち合いましたが、ちょっと気を抜いていると私が打ち負かされてしまうまでに、彼らは上手くなったのです。
最後の練習日。彼らからは「もっと指導してほしい」「また戻ってきて」と、嬉しい言葉をもらいました。私は「きみたちが研鑽を積み続けていれば、またすぐに会えるよ」と言い残し、まさに後ろ髪を引かれる思いで、コートを後にしました。この先は日本から、彼らの成績を、楽しみにチェックしたいと思っています。

写真・文 国枝慎吾
脊髄腫瘍のため9歳から車いす生活となり、11歳で車いすテニスと出会う。四大大会とパラリンピックを制覇する「生涯ゴールデンスラム」を達成。23年1月、世界ランキング1位のまま引退。
2016年よりスポンサーシップ契約を結んでいるANAは国枝さんの新しい挑戦をさらに応援し続けます。
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