ギネス認定世界一の甘さ「包近の桃」 糖度22%を叶えた農家の試行錯誤
桃の産地は全国に数あれど、大阪・泉州で生まれ育った案内人にとっては「桃といえば包近(かねちか)」なのだという。
岸和田市包近にある「マルヤファーム」の松本隆弘さんは土壌改良などの苦労の末「平均糖度22.2%」の桃を作り上げ、2015年、ギネスに世界一甘い桃の認定を受けた。
最初はみかん農家の夏場の小遣い稼ぎだった「包近の桃」
赤井:松本さんの家では、いつから桃栽培を始めたんですか?
松本:うちは、じいさんの代からだから、私で3代目です。でも、もともと包近一帯はみかん農家が多かったんです。昭和の時代、国の減反政策で稲作の代わりに国が推奨したのが、みかんでした。高度経済成長の時代、みかんはよう売れました。このあたりも、みかんで家を建てた農家、少なくなかったんです。
赤井:みかんで家を?
松本:はい。ただね……近隣のみかんの名産地・和歌山と違うて、このあたりは土が粘土質なんです。だから、どうしてもみかんに酸味が残って。どうしても和歌山のみかんに勝てんで、安くたたかれてました。それで、代わりに主力となる作物を考えなあかんと思ったわけです。
赤井:それで桃を?
松本:大阪府内各地に「桃」がつく地名があちこちにあるでしょ。それぐらい、大阪では桃というのは馴染みがあったようですよ。それでも、あくまでもメインはみかん、桃は夏の間の小遣い稼ぎとして、作り始めたようです。
赤井:松本さんご自身は、いつから農業に?
松本:私自身は結婚してからだから、30代になってからです。赤井さんは「昔から包近の桃は有名やった」と言うてくれましたけどね、たしかに昔も美味しい桃、出荷してました。ただ、当時は生産量も少なく、流通もいまのように発達してませんし、販路も限られていて。夏のカンカン照りのときに出る完熟の桃を地元の小さな市場に出荷すると、青果店さんがその日に売れるぶんだけ仕入れて、それで販売してくれていた。だから、完熟やわやわの桃が、いちばん美味しいタイミングで消費者の口まで届いていたんです。
赤井:子供のころ、食べていた桃はそういうものでした。
松本:ところが、私の父の代ですが、昭和60年代になると大手の量販店が増えてきたのと同時に、地元の小さな市場は閉鎖に。それからは、大阪の中央卸売市場に地元の農家皆で共同出荷するようになったんですが……。量販店で売ってもらうには最低でも2〜3日は「棚持ち」せんとあかんと。要はうちが出荷してから、スーパーの棚に並ぶまで、そして、お客さんの手元に届くまでの日数が伸びたので、完熟やわやわでは出せんようになったんです。「熟し切った桃はこんなに美味しいのに、なんでまだ硬いうちに出荷せなあかんのか」と、忸怩たる思いでした。
赤井:流通が発達し、販路が広がったのに、本当に美味しいものを出荷できなくなったんですか。
松本:そうなんです。結果、売値も下がってきてしまった。それでもバブルの時代はまだ良かったんです。ところが、僕が本格的に農業を始めて、バブルも弾けてしまったら、親子3人汗水垂らして働いても、収入は微々たるものになって。そのとき私、39歳でした。もう、農家はやめて、どこかに再就職しようかと本気で悩みました。もう、どん底やったんです。
試行錯誤の末、生まれた世界記録「糖度22.2%」
松本:そんなときです。たまたま中央卸売市場の仲買人から「鳥取にな、微生物の力で土壌改良して、ごっつ甘いりんごができてんねん」と聞いたんです。「そのりんご、こんな物が安うなった時代に一箱1万円で取引されてる」とも。それ聞いて、「ひょっとしたら桃でも同じこと、できるんやないか」そう思った。それで、その土壌改良を指導してくれる先生の話を包近の農業組合、皆でいっぺん聞いてみようと。
赤井:一縷の望みを託したんですね?
松本:そうです。ただ、勉強会をセッティングしてくれた青果市場の担当者さんからは「雲を掴むような話や」と事前に言われました(苦笑)。あれは2004年やったかな。たしかに、先生の話は難しくて、ちんぷんかんぷん。一緒に話を聞いた組合員、半分は寝てましたわ(笑)。
赤井:それでも、松本さんは“雲”を掴んだんですね?
松本:そうです(笑)。とにかく、難しいんやけど、肥料の作り方から撒き方まで、教わったとおりにやってみようと。
赤井:それで、甘くて美味しい桃に?
松本:初年度から糖度は一気に上がりました。でも、甘くても、食べると口の中にアクが残るというか、エグ味が残るというか。「こりゃあかん、もっと研究せなあかん」と。そこからさらに試行錯誤を重ねて、納得いく味の桃ができるまでに5年、かかりました。
赤井:それが、世界一の桃?
松本:そうなんですが。そこからがまたたいへんで。糖度が上がった桃は、見栄えが悪かったんです。桃=真っ赤というイメージが強いでしょ。ところが、私が作った甘い桃は、赤い実に白い斑点が出る。でも、それが甘い。突き詰めていくと、筋のとこだけ赤くなって、あとは白いままという桃になった。ところが、共同出荷をしていると、見た目で等級を下げられてしまうんです。味は格別やのに、見た目でAランクからBランクに、うっかりするとCランクにされてしもうて。肥料代だけでもよその農家の3倍、手間は5倍はかかってるのに、売り上げはちっとも上がらんで。「こりゃあかん」と自分で独自に売る方向に舵を切ったんです。自分で売るからには糖度を保証せないかん、そう考えて光センサーの糖度計を購入したのが、ギネス認定への第一歩になったんです。
赤井:そこから、ギネス認定まで、少し時間がかかりましたよね?
松本:そうなんです。ギネスでは当時、青果の糖度の分野がなかった。それで、クリアしなきゃならないハードルがいくつもありまして。それでも、すでにピンポイントでは糖度30度近い数字も出てました。でも、平均値を出さないといけないと。それで、認定されたんが平均糖度22.2%。2015年のことでした。以来、おかげさまで、うちの桃は引く手数多なんです。
赤井:世界一の桃、生産者としてはどんなふうに賞味してほしいと考えていますか?
松本:そうですね……、やっぱり、できるだけ完熟の桃を味わってほしいですね。そのためにも、できたら産地の近くで、食べていただきたいです。
マルヤファーム
猿とモルターレ
案内人 赤井勝
65年、大阪府生まれ。花を通じ心を伝える自らを「花人」と称し、自身の飾る花を「装花」と呼ぶ。08年、北海道洞爺湖サミット会場を花で飾り、09年、ローマ法王ベネディクト16世にブーケを献上。13年、伊勢神宮式年遷宮では献花奉納し、17年、フランスのルーブル王宮内パリ装飾芸術美術館で開催の「JAPAN PRESENTATION in PARIS」でも桜の装花を担当。
写真 秋倉康介
編集 仲本剛
写真(桃) 提供 松本隆弘さん