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奥出雲で継承されるたたら製鉄 日本刀の生産を支える玉鋼づくりに迫る

奥出雲で継承されるたたら製鉄 日本刀の生産を支える玉鋼づくりに迫る

TRAVEL 2024.04 奥出雲特集

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伯耆国(ほうきのくに)と呼ばれた鳥取県中西部と、出雲国(いずものくに)と呼ばれた島根県東部にまたがる船通山(せんつうざん)。神話「ヤマタノオロチ」はこの地を舞台とし、退治されたオロチの尾から、三種の神器の一つ「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」は出てきたという。今、日本刀を生み出す唯一の原料「玉鋼(たまはがね)」は、船通山の麓、奥出雲でしかつくれない。鋼と神話。交錯する二つの魂が灯(とも)る場所を訪れる。

伝統の息遣いが聞こえる 轟音と炎の玉鋼づくり

古来鳥髪(とりかみ)の峰(みね)とも呼ばれる船通山。奥出雲町には、今なお鳥上(とりかみ)という地名が実在し、玉鋼を生み出すたたら製鉄を継承する唯一の「日刀保(にっとうほ)たたら」は、ここにある。

玉鋼づくりは、高殿(たかどの)と呼ばれる作業場で手製の土釜(炉)の中に、砂鉄と木炭を三日三晩、30分おきに絶えず入れ続ける。

一度の操業で使用する砂鉄は10トン、木炭は12トン。一年に3回しか操業されず、原則非公開。一帯を、神聖な空気が包み込む。

木炭で加熱された砂鉄は、純度を上げ釜の底に落ちて固まり、「鉧(けら)」と呼ばれる鉄塊となる。送風管からは一定の間隔で風が送られ、「ゴォー」という轟音(ごうおん)が炎と共(とも)にうなり、風が送られるとまた「ゴォー」と鳴り響く。2〜3mほど中空に舞い上がる炎の柱。まるで、「たたら製鉄はここで生きている」と呼吸するように、炉が胎動する。

製鉄作業の技師長である「村下(むらげ)」を務める木原明さんは、約50年にわたってたたら操業に従事し、玉鋼をつくり続けてきた。

村下を含む総勢14名の従事者は、炎を感じ取るため、ほぼ素手で作業を行う。村下の木原明さんは言う。「誠実に、真剣に、真心を込めて、その日の炉を見ることが大事」だと。

釜を壊し、 鉧を出す 先人たちのものづくり

砂鉄に含まれる「ノロ」と呼ばれる不純物を排出させる「湯路穴(ゆじあな)」からも炎がわき上がる。三日三晩、炉を調整する真剣勝負が続く。

四日目の早朝。玉鋼が宿る「鉧」が取り出されると、安堵の表情が広がった。人の手だけによって“生まれる”。これほど尊いものづくりを感じたことはない。

千年以上続くたたらの炎は ここで生きている

村下とその後継者たちが用いる道具は、すべて原始的かつ合理的なものばかり。千年以上の歴史を持つたたら製鉄。先人の知恵が、いたるところに宿っている。

火の粉がばらばらと舞い上がり、土が焦げた匂いが充満する。炉壁を壊すたびに火の粉と共に炉を囲う砂も舞い散る。響き渡る掛け声。全身全霊。釜の底に座する約3トンの鉄の塊「鉧」が姿を現した。創造と破壊が繰り返される玉鋼づくり。先人たちと今を生きる者が邂逅(かいこう)する。

願いが宿る玉鋼づくり 神話の舞台は今も躍動する

たたらや鍛冶などに携わる人々は、金屋子神(かなやごのかみ)と呼ばれる製鉄神を信仰してきた。高殿の中には神棚がまつられ、操業が終わると無事を感謝してお参りをする。連綿と受け継がれる伝統に息を吹き込み、未来を精製する。ここには、「ものづくり」の真髄がある。

日刀保たたら

(公財)日本美術刀剣保存協会

島根県仁多郡奥出雲町大呂529

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写真 久保田光一
取材・文 我妻弘崇
編集 高田真莉絵

<奥出雲への翼> 奥出雲へは東京(羽田)などからANA便で米子鬼太郎空港へ。空港から「日刀保たたら」までは車で1時間30分。

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