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大宮エリーが描いたリゾート 自分の心の中に理想郷を作っておく

大宮エリーが描いたリゾート 自分の心の中に理想郷を作っておく

LIFE STYLE ライト、フライト

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『翼の王国』で好評連載中の『ライト、フライト』の執筆者の1人であった大宮エリーさんが2025年4月にご逝去されました。作家や画家など幅広い活動で、私たちに楽しさと優しさ、そしてたくさんの光を届けてくれました。

翼の王国WEBでは、大宮さんの書かれたエッセーを2023年8月より遡ってご紹介いたします。全4回の最終回です。内容は執筆当時のままです。

心から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

狩野山雪に捧ぐ宇治川協奏曲(2025年2月掲載)

宇治(うじ)に何度も通った。朝日焼という焼き物をやるためである。それはどうしてかというと、京都の妙心寺(みょうしんじ)の中の塔頭(たっちゅう)のひとつである桂春院(けいしゅんいん)さんでの個展が決まったからである。

六本木の小山登美夫(こやまとみお)ギャラリーで個展をしていたら、京都から来たM氏という、にこにこした面白そうな男性が話しかけてきた。「あのう、京都の寺とか興味ないですか!?」
そのときは知らない人である。イベントとかをしているそうだ。「イベントのお誘い?」と聞くと、違うそうな。

「僕の友人で、桂春院の副住職がいるんですが、彼とそのお母さんが、エリーさんの絵のファンなんです。もちろん僕も!エリーさんの明るい絵が大好きなんです」

うれしい。そしてエリーさんは、「ファンです!」に弱いのであった。すっかり心を開いて、聞かせてよ、の態度のエリーさんなのである。「明るい絵?」と言う私に「そうです。エリーさんのカラフルな絵、なんか元気出るんです。パワーもらえるんです!」

うれしい。正直そんなどストレートに熱っぽく言われてうれしい。でも、そういうのは顔に出さないシャイな私なのである。「そうですか、ありがとうございます」

M氏は言った。「やりませんか?やってほしいんです、桂春院で個展!エリーさんの、特にリゾートの絵が好きで、お寺がリゾートになったらいいよねって、みんなで言ってるんです!」

お寺がリゾート?そんな不謹慎な。何を言ってるんだ、と思った。でも、M氏はにこにこしているのである。「とにかく京都に来てください!本当にみんなエリーさんのファンなんで!」と言うので、「ファンです」に弱い私は行ったのであった。

妙心寺山内桂春院は、金閣寺のほうにある。北の西のほう。あまり馴染みはなかったが、臨済宗の禅寺である。しかし妙心寺はでかい。46も塔頭がある。そのなかの桂春院はこぢんまりとした寺で、居心地がよかった。

訪れた2年前の5月。苔(こけ)が青々ときれいだった。青紅葉(あおもみじ)も、豊かだ。

「いやぁ、そうなんです!リゾートの絵、いいでしょお!?」

「めっちゃおもろいと思うんです」

寺の人たちは、風情のある寺に似合わず、明るかった。陽気だった。

「おもろい、っていっても、え、でも、これ狩野山雪(かのうさんせつ)でしょ?」

そう、桂春院には、指定有形文化財の狩野山雪の松の襖絵(ふすまえ)がある。松ではない他の襖も狩野山雪なんだけれど、経年であまり絵が見えない。が、松は見事に、ばーんと見えるのである。どう、リゾートの絵を展示するというのだ。

「できません?ほら、なんか、絵を立てるやつを置いて、畳の上に」

「イーゼルですね。イーゼルを置いて、そこに絵を立てるという?」

「そうです!」

女将(おかみ)さん(住職の奥さんを私はそう呼んだ)も、息子の副住職も、にこにこしている。想像がつかなかった。襖絵の前に、イーゼル立てちゃうのって、どうなんだろうと。一回、これ、深呼吸だと思って、スーハーしていると、女将が言った。

「お茶飲みはります?」

桂春院は、本堂含め4つの部屋に分かれているが、その手前の、お抹茶を来客に振る舞っている部屋で少し、頭を冷やすことに。しかし、寺で、青紅葉を見ながら一服する。風流である。ぼんやりしていると、この人が切り盛りしているのかなと思う、明るくしっかりものの女将が言う。

「ほら、ここもやぶけてるでしょ。壁」

確かに。

「あそこもそうで、この部屋も傾いてて、ボール置いたら転がるんですよぉ」と楽しそうにころころ笑うのである。副住職もにこにこ言う。

「でも直せないんですよ。指定文化財ですし、直すとなると、あそこだけで2千万とか」

なるほど。確かに大変である。そして、桂春院さんさっきから自然に貸切である。「こういうこまってはるお寺さんがたくさん京都にはあるんですよ」とM氏。

そうなんだ……まあ、みんなが清水寺みたいにはいかないよねと思っていたら「なので、エリーさんのお力でなんとかしてほしいんです!」

思わず、お抹茶を吹き出しそうになった。申し訳ないが私は、草間彌生(やよい)さんではない。私のアートで、そんなに人が、どかんどかんなんて来ないのである。そして私にはそんなお金もない。

「制作費は出ないんですが、エリーさんのお力でなんとかできませんか?」

うーん……エリーさんにはそんな力がないのに、なぜかそういう依頼が多いのであった。でもとってもいいお寺で、とってもいい人たちなのである。なんとかできないかなぁ。ゴニョゴニョ言いながら、そのときは寺を後にした。

それから何度か通った。

やっぱりお寺でリゾートってどうなんだろう。でも明るい絵がいいって言うし。ただ、明らかに、襖絵の前にキャンバスを置くのは違うなと思った。あるとき女将が、こう言った。「そしたら、エリーさん襖絵は?襖に絵を描くのは?」

え?襖絵?やったことないな。でも、一番しっくりくる。ぐるりともう一度、寺を回り構想を巡らせてみる。

で、お金もないのにこんなことを言ってしまうのである。「狩野山雪の、松の襖絵は残して、他を期間限定で、私の描き下ろしのリゾートの襖絵で、全てやってみましょうか?」

「ええやん!」

と言ってくれたのは女将である。そうすると24枚もの襖絵をやることになる。のちにこれを、描きながら私は少しだけ後悔した。私は狩野派ではない。エリー個人である。弟子がいるわけでもなく、短期間で襖絵を描くのは本当に、命を削るような仕事であった。

話がまとまりそうなとき副住職が、またにこにこしてこう言った。

「お庭はどないしましょ?」

「え?」

私は聞き返した。ああ、確かに、お庭、すごく広い。うーん、どうしたらいいだろう。青い苔、青紅葉の下に何かあったらとてもいいだろう。奥行きが出る。

長くなったが、かくして、M氏が、私を宇治の朝日焼さんに連れていってくれたのである。
16代目の松林豊斎(まつばやしほうさい)さんに会う。寡黙そうな、年は私の少し下の聡明そうな方であった。昼ごはんを食べながら、お話ししていると、松林さんは「なぜ、エリーさんは絵を描くことになったんですか?」と私に聞いた。

「うーん、なんか、自分の意思ではなく。運命に翻弄されるように、ですかね。目指していたわけでは全然ないから、苦しいこともあります。でもそのいただいた使命を全(まっと)うせねばと頑張っています」と答えた。

すると、松林さんは、メガネの奥を少しきらりとさせた。

「僕も同じです。驚きました」

確かに松林さんは朝日焼を背負っているアーティストである。彼こそ、使命、性(さが)、がある。でも何か、私のなりゆきに、同情してくれたのか、「協力しましょう」と言ってくれた。

かくして、私は、朝日焼さんに20回以上通うのである。キャンバスに絵を描くのと違って作陶(さくとう)は、ろくろで作って、乾かして、焼いて、釉薬(ゆうやく)をかけて、焼いて、金とか銀とか塗って、焼いて、と、ざっくり書いても、手間がかかる。それなのに、割れたりする。絵と全然違う。似ているのは、生命であり動きであるところ。作陶も、立体でそれを表現していると思うのだ。

「京都の個展ですから、京都の土がいいと思うんです」。松林さんはそんなふうに言ってくれた。私は埴輪(はにわ)が好きで、縄文が好きなので、一度、岐阜の志野焼で妖精のオブジェを作ったことがある。それを今度、宇治でやらせていただいた。

毎回、やるぞ!と、宇治橋(うじばし)を渡るのである。青い青い宇治川を眺め、ああ、時を超えても、なお美しい、その川に、心を浸す。雑多なことが洗い流され、自分が青く青く澄んでいく。

朝日焼は、淡い色合いが有名である。特に松林さんの真骨頂である水色は、本当に、青い宇治川から天女が釉薬を授けてくれたのではないかと思う色合いなのである。

この青い色合いで、真っ赤なハイビスカスを表現しようと思った。妖精のオブジェももちろん作るのだが、リゾートなのでハイビスカスの茶碗を作ろうと考えた。

松林さんが、毎回、「えっ!」と驚く。茶碗の真ん中が突出しているからである。「エリーさん、こ、これは?」

私は、頭をぽりぽりしながら、「ハイビスカス。お花なので、真ん中は雄蕊(おしべ)と雌蕊(めしべ)が出てます」。そして、ろくろで綺麗にまあるくなったものに、手で捻(ひね)りながら花びらを作る。そう、すなわち、飲みづらいわ、お茶たてづらいわの、茶碗の完成である。

でも、松林さんは、私がハサミを入れたり捻ったり釉薬をかけたり、絵を描いたりするたびに、「ほー、面白いですね」と言ってくださるのである。そのたびに、私の中の小さなエリーちゃんは、うれしくてうれしくて頑張れるのであった。

体調がよくない時期も、頑張って通い、帰りは宇治橋を走って帰った。行きたかった平等院にもついに一度も行けず、根を詰めたのだが、その時間も、青い青い宇治川が、私と共にあった。登(のぼ)り窯(がま)は、松林さんにお任せであるが、その前に必ず、火の神様の愛宕山(あたごやま)に登って参拝されるというので、ひとりで登ってお祈りした。

さて、襖絵は、狩野山雪が、金箔なのであるから、私も金箔にした。大阪の襖の職人を束ねているカドカワさんにお願いして、金沢の金、そして、和紙は越前和紙。本物にこだわった。

ここで、昔は、膠(にかわ)というノリを使ったのだろうが、私は現代のジェッソという白い下地と、アクリル絵の具で制作。そして問題のお寺でリゾートであるが、悩んでいた私に、友人で海外リゾートホテルの支配人を歴任していた女性がこう言ったのである。「リゾートってね、re-sort──つまり、ソートし直す、整え直すってことなの」。つまり、心を整える。まさに禅ではないか。そしてまた私のボスである小山登美夫ギャラリーの小山氏もこう言った。「狩野山雪はね、当時の桃源郷を描いたとも言われてるよ」

私たちは、生きていくにはいろいろ、大変なことも多い。生活は楽ではない。乗り越えられるかわからないものに直面することもある。そのとき、心の中に桃源郷を作って持っておくということが大事になってくると思うのだ。

制作中は行けなかった平等院であるが、随分昔、NHKの番組のロケで行ったとき、あの庭は極楽浄土として作られた、という話を聞いた。まあ、あの世ではなくていいのだが、リゾート、整え直す、じぶんの理想郷、秘密の場所をこころに作ればいいのだ。タダである。

そんな思いを込めて、私は、昔訪れたスリランカや、ここ数年、制作のため通っている奄美大島(あまみおおしま)、大きなハイビスカス、リゾートのモチーフをちりばめたもの、そして皇居の松林、女将のリクエストであるパンダを描いた。

さあ、ここで最後に、狩野山雪さんにお尋ねである。どうでしたか。あなたの桃源郷に、私の桃源郷をぶつけました。面白がってもらえましたでしょうか。

「遠慮しないで、お前の世界をぶつけてきたから、よかった」

そんなふうに言っていただいた、気がしている。

大宮 エリー

アーティスト。画家、作家活動に加え、写真に映画、脚本、楽曲、CM制作までマルチに手がける。2024年冬におこなわれた京都府の妙心寺山内桂春院での展覧会で襖絵に初挑戦。さらに自身の創作の幅を拡げた。

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