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伝説的作品「VILOVILO」を超え、上昇するKYOTAROの現在地

伝説的作品「VILOVILO」を超え、上昇するKYOTAROの現在地

CULTURE ART

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キュレーター米原康正氏が今の時代に注目するアーティストを紹介する本企画。今回は鉛筆でミステリアスでいて神秘的な作品を生み出し続けるアーティストKYOTAROさんをご紹介します。


「POP UP BEARS !」 ジェッソ・鉛筆 500×500mm 2023年

KYOTAROの作品で描かれるキャラクターの自我はビロビロと溶け始め
そのままひとつの大きな意識へとつながっている。

しかしその意識は大きな集合体でありながら、個々の持つ自我をも否定しない。
個であり全体であり、全体であり個である。

これこそが新しい時代の意識なのだ。

自分の作品を見てもらうことでみんなの癒しになれば、
とKYOTAROは自分の作品の意味をこう説明する。
(米原康正)

『上京して自分はアートが得意だと気づいた』

1枚目/「Crystal Smaile Bear」 ジェッソ・鉛筆 530×455mm 2023
2枚目/「FAN FAN FAN」 ジェッソ・鉛筆 180×140mm 2023

米原(以下米):KYOTAROさんはもとは漫画家になろうとしていたんだよね。漫画家としてのデビューはいつ頃だったの?

KYOTARO(以下K):17歳の頃に描いた作品が「COMIC CUE」(イーストプレス刊の漫画雑誌)佳作をいただいた時ですね。

通常では公開されない予定のところ、ページが急遽空いたということで4分の1のサイズで掲載していただきました。「なんて幸運!ありがとうございます!」みたいな(笑)。

米:そうしてデビューして、「漫画家としてやっていくぞ」みたいな感じだったの?

K:東京に行くまではそうでした。「COMIC CUE」は関西でも知名度が高くて、掲載後に“「COMIC CUE」に載った人”としてTシャツを作って「大阪アメリカ村」(心斎橋にある若者向けショップが集中するエリア)で売るという流れになったんです。これが結構人気が出まして……。

その後、短大を卒業してすぐの時期に大阪で個展をされていた写真家の野村浩司さんと出会って「お前うちのスタジオに泊まっていいから東京に来い」と言ってくださって。何より関西には漫画家としての仕事がなかったんです。

「スピリッツ」(小学館刊の漫画雑誌)の編集者にも「東京に来てもらうしかない」と言われていたのもあります。これは勢いに乗るしかない、と21歳で上京しました。

米:そこからアートの道にはどう進んで行ったの?

K:当時は「Cazi Cazi」、ロッキング・オンの「コミックH」という雑誌で漫画の連載を2本こなしながらバイトもしていて、そこで出会った人たちがきっかけですね。

白金のデイリーストアと、恵比寿の「P-House」の下にある「cafe guest」というサロン、あとは「Poetry of sex」というアパレルブランドのお店でも働いて、そこで出会う人がアート系の人ばかりだったんです。

関西ではアイデアを山ほど持っていても発展しないジレンマを感じていたんですけど、「東京には才能をぐるぐる回して何かしようっていう人たちがこんなにいるのか!」というのが衝撃的で……。奇抜でアーティスティックな企画も具現化されているのを見て刺激を受けました。

米:「P-House」も「Poetry of sex」も来る人がアーティストばっかりだもんね。

K:そうなんです。「P-House」ディレクターの秋田敬明さん、「VILOVILO」の誕生にも関わりがある三原康裕さん、アーティストの五木田智央さんとも出会っていてたくさん影響を受けましたね。

ある時、彼らに漫画を読んでもらったらストーリーや内容にはピンときてないようで、でも「絵がおもしろい」と言うんですよ。

それで、私も「自分が得意なのはアートなんだ」と気づいて。秋田さんと三原さんが「個展をしよう」って言うからやってみたら反響がすごかった。

米:それが2000年の「VILOVILO」だよね。

K:そうです。「P-House」で開催しました。東京での初めての個展だったんですけど、たくさんの人が見にきてくれて、ものすごいエネルギーが溢れ出した個展でした。

『”VILOVILO”は自分の力以上の作品だった』

1枚目/「MM&FF Bear」 ジェッソ・鉛筆 273×220mm 2023
2枚目/「MOJA&MMOJA」 ジェッソ・鉛筆 100×100 2023

米:じゃあ、その時に「アートで食っていこう」となったんだ?

K:逆に「絶対食えないな」となりました(笑)。2023年の復活後のVILOVILOはポップで可愛い仕上がりになっていますが、当時の作品は強烈なビジュアルだったんです。

こういう奇抜すぎるアートを受け入れる土台は日本にはないと思っていたので。海外に出ていくにも当時は英語が苦手でしたし。それよりも、東京の中に選択肢がたくさんあると感じましたね。

「VILOVILO」を描いて自分では「巨匠が作るようなすさまじいモノを作ってしまった」という感覚はあったものの、お金もないし知識もないし特に何を研究したこともない。

このままアートをやっていってもいつか崩壊するだろうから、その土台を作る必要があると思いました。

それでとりあえず、アートを封印してポピュラーなものでいけるか、ぎりぎりアート寄りのところでいけるのか、ということを考えながら経験を積むことにしました。自分のアートを守るために筋力をつけるみたいな。

米:下積みみたいな感じ?

K:そうですね。「VILOVILO」は私が作ったものじゃないように感じていて……。そういういただいてしまった才能に対する敬意としてやらなければと(笑)。

米:そこからしばらくは次の個展まで間が開くの?

K:翌年には原宿の「A NEW SHOP」というお店で個展をさせていただきました。あの時代は今みたいにアートのイベントがあちらでもこちらでも開催されるような場所があまりなかったんです。アートにお金を払う人も希少でした。そういう中で、それでもアートを表現するためにみんな工夫をしていましたね。

米:そこには挫折のようなものがあったのかな?

K:うーん……。少しはあったかもしれませんがまだ若かったのと、面白がって喜んでくださる方が常にいたのでそこまでの挫折感ではなかったです。でも「何でわかってもらえないんだろう」とは思っていました。やりたいことはたくさんある、だけどありすぎて伝わらないみたいな。

だからそこからは、地道に枝分かれした自分のアイデアを育てていく時期に入りました。

米:うまくいきだしたのはいつ頃から?

K:2004年頃から徐々に始まって2008年の個展「天界トリップ」で出来上がったように思います。

「天界トリップ」は天界の神々のイメージを絵で描くみたいなスピリチュアルさがある作品だったんですけど、そこでもエネルギーの強い作品が誕生しました。

それを受け止める土台が個展を開いたギャラリー「MIZUMA ACTION」にあったからなのか、作品との調和が起こったのか、すごく観た人に喜ばれたんです。自分の絵で喜んでもらえてすごく幸せでしたね。

そこから絵のオーダーをいただいたり、伊勢丹のウィンドウディスプレイに飾っていただいたり。伊勢丹のショーウィンドウ12面のほか館内の柱などにもデザインされて、作品がエネルギーで溢れかえっているようでしたね。

ドカーン!ってなった時期でした。作品を生み出したところから響きが起こり、遠くまで溢れ出して染み渡るみたいな。

その時期からいろいろな展覧会の企画やお仕事もそういった素晴らしい響きが伝わっていく瞬間があって、一緒に創り上げてくださる方との大切な出会いもたくさんありました。そういう意味では米原さんとの出会いも私にとって重要でしたよ。

『重い感情を外したら新しい“VILOVILO”が生まれた』

1枚目/「Laughing Rabbits」 ジェッソ、鉛筆 530×530mm 2023
2枚目/「MEKE MEKE」 ジェッソ、鉛筆 180×180mm 2023
3枚目/「TOOKN」 ジェッソ、鉛筆 333×242mm 2023

米:2022年だっけ?KYOTAROさんのことはもちろん以前から知っていたんだけど、三原さんのギャラリーにある「VILOVILO」を見て改めて三原さんと「やっぱいいよね」って話したことが、「VILOVILO 2023」の個展に繋がったんだよね。

K:大変嬉しいです。ありがとうございます。

米:2020年からのコロナで色々変わった面があると思うけど、そういう期間は新しい「VILOVILO」を描くことに何か影響はあった?

K:たくさんありましたね。

実は2017年にやった人生最大級の広さの個展で燃え尽きを経験して、そこからものすごい鬱に入ったんです。開催自体は大盛況だったのですが、その個展では何もかも足りない気持ちになって……。自分一人の器でやっていくことに限界を感じていたんです。

そういう中でうちの事務所の社長になる尾上と再会して、コロナ禍になってからは「サポートするから絵を描きなよ」と言ってくださって。そこから2年くらいひたすら絵を描き貯める期間を経たことで回復しましたね。

米:その時期にで精神的な変化があったんだ?

K:コロナ禍の時期ってかなり個人が孤立したじゃないですか。あの孤独な中で自分に没入していく感じが私にはよかったんです。

尾上社長や家族の助けもあり、環境的に自分の絵以外の勉強と修行から解放されて絵に没頭できるようになったこともよかったですね。

そうしたとがあって、2020年の夏頃は自分にくっつけていた重い感情を外していく作業をしていた時期でした。

昇龍を描くプロジェクトをやっていったのでどんどん上昇気流に乗っていくようなイメージで……。そうして登っていった先に軽い次元の「VILOVILO」の世界があった、という感じです。

「VILOVILO 2023」の個展に、昔から作品を見ていた人が来てくださったんですけど、「なんか楽しそうでいいね」と言われたんです。それに対して私は「恐れと不安と苦しみと悲しみを手放したんですよ」と無意識にすらすらと返答していて……。自分でもびっくりしました。

米:今までとは違う次元に行った感じなんだね。そういう領域にた辿りついて、最終的に「VILOVILO」で表現したいと思っているものは何かある?

K:そうですね。最近は脳科学や量子力学、引き寄せなどの仕組みに興味があって、そういう視点から特に今は自分が持っているイメージを具現化しやすい状態だなと思っています。

自分の意識を「すでに満ち足りている」というところにフォーカスして、その気持ちの良い意識から全てを作り出してみようとトライしているところです。

そういった領域の意識下にいることで、最近では物理的に人間の領域を超えているような大きな作品や、たくさんの作品を描くことが自分にはできるのかもしれないと思い始めています。

「VILOVILO」について言うとたとえば“「VILOVILO」ランド”みたいなイメージが見えていますね。広い場所に巨木くらいの大きな「VILOVILO」の絵があって立体物もあって、世界観を体験できるような。

以前の米原さんとの対談でも話しましたが、「VILOVILO」の絵を通して私は見る人に安心や安らぎを感じてもらうことがアーティストにとって重要な気がしていますし、エンターテイメントの本質じゃないかなと思っています。

だから皆さんに楽しんでいただけたら嬉しいですね。

Yasumasa Yonehara

熊本県生まれ。『egg』を創刊したガールズカルチャーの第一人者で新たな才能の発掘を行うアートキュレーター。2023年には阪急メンズ東京7階に「DA.YO.NE.ギャラリー」を開きアーティストの発信をしている。
https://www.instagram.com/yone69harajuku/
https://twitter.com/yone69harajuku

Kyotaro Aoki

1978年京都府生まれ。京都嵯峨美術短期大学グラフィックデザインコース卒業。1999年に上京しアート活動を開始、現在はドローイング、ペインティング、漫画など幅広い分野で活動している。2023年には個展「VILOVILO 2023」を開催した。
https://kyotaro-art.com/
https://www.instagram.com/kyotarokyotaro/

取材・文 米原康正
編集 藤沢緑彩