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青い世界の描き手がつくるのは”小さく親密に語りけてくるアート”

青い世界の描き手がつくるのは”小さく親密に語りけてくるアート”

CULTURE ART

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キュレーター米原康正(よねはら・やすまさ)氏が今の時代に注目するアーティストを紹介する本企画。今回は儚げな表情の少女を多彩な青の色使いで描くアーティスト、名取藍(なとり・あい)さんをご紹介します。

名取藍の描く少女たちは淡く美しい。だからといって、描かれているものが弱さというわけではない。彼女の作品に描かれた少女たちの目はしっかりと自分たちを見つめている。淡く美しいその儚さを意識した時、彼女たちの可能性は無限に広がる。
(米原康正)

『描きたい絵を考えた時浮かんだのが、青い世界』

米原(以下米):名取さんは大学は映像学科を卒業しているんだよね。絵に興味を持ち出したのはいつからだったの?

名取(以下名):物心ついた頃から絵は好きでした。お姫さまだったりとか、その頃も女の子をモチーフに描いていましたね。

米:漫画とかアニメとかの絵?

名:そうですね。そういうカルチャーはずっと近くにあったと思います。漫画もアニメも幅広く観ていましたが、好きだったなと思い出すのが『魔法の天使クリィミーマミ』(日本テレビ)。キャラクターのパステル調っぽい色味とかからは今でも影響を受けている部分があります。私の初期の頃の絵は特にそうかもしれません。

米:美術大学に進んだのはどういうきっかけで?

名:もともと身体が弱くて絵を描いていることが多かった中で、親が小学3年生の時に画家の方に絵を習わせてくれてその時からなんとなく「将来はなにかしらつくる人になるんだろうな」とは思っていました。

とはいえ、いわゆる作家さんが描く絵と自分の描く絵は少し違うと思っていましたし、「自分が本当に絵で食べていけるのか」ということも考えていて、同時に映像にも興味があったので映像学科に進むことになりました。

米:そこから絵に戻っていったのはどうして?

名:大学で学んでいたのは映像だったんですけど、絵はずっと変わらず描いていました。それを見ていた夫が「人に見せた方がいいよ」と言ってくれて。2012年頃からSNSで公開するようになったことがあらためて絵に対して寄り添うようになった始まりです。

米:その頃はどんな絵だったの?

名:それまでは植物と人物を「環境と私」というようなテーマで日記のように絵を描いていたんですけど、青の世界にいる人物の絵に変わっていったのがこの頃からでした。

2011年に東日本大震災があったことで、身体的な行為として絵を描くことが自分にとってより大事になった時期で……。「私が描きたい絵ってなんだろう?」と考えた時に、青い世界の中の人物というものに変わっていきました。

『青には生と死、両方のイメージがある』

米:どうして青い世界だったの?

名:もっと色に包まれたかった、というか……。もう少し人物とその周りの境界がなくなるようなイメージで描きたいなと思ったのがスタートです。その試みは今も試行錯誤しながら「青い世界と人物」を描き続けています。

米:青は名取さんにとってどういう色なんだろう?

名:私の名前が藍色の「藍」なので、青は意識せざるを得ないというか好きな色ではありました。それで青という色について考えてみると、命と関わるような明るい生的なイメージも冷たかったり暗い死のようなイメージも、どちらもあるのが面白いなと。

絵を描いているとものごとは一面だけじゃないということを感じることがあって、そういうものを私の絵を通して伝えられたらいいなと思っています。

見る方のその時の気持ちだったり印象だったりでどちらにとらえてもらってもよくて、そういう絵を描くために青の力を借りているという感じかもしれないです。

米:この青色はどんなふうに作っているの?

名:実物を見ていただけるとよくわかると思うのですが、いろんな青色の絵の具を重ねて描いています。使う絵の具は20種類くらいでしょうか。自分で混色したりということもしますね。重ねることでまた違う色にもなりますし。

米:終わりのない作業になっていくよね。

名:本当にそうで、色の掛け算をしていると無限に出てきて……。自分が理想とする青の色はなんだろうというのを考えながら描いています。

米:他の色を使ってみようとしたことはある?

名:青の背景に白い人物、というような絵も描いてみたことはあるんですけど結局は青に戻って来てしまいます。もしかしたらまた、そういう絵を描くこともあるかもしれませんが……。

米:やっぱり「青」なんだね。

『小さな声で親密にお話しするような作品を作りたい』

米:名取さんのパートナーの言葉が作品を世に出していくきっかけだったと思うんだけど、ご結婚はいつ頃だったの?

名:15年くらい前ですね。

米:結婚生活と制作の両立はどうしている?

名:私は自分一人でいたら作品を発表していなかった可能性が高くて、夫が一緒に生活して作品をずっと見てくれている中で「見せた方がいい」と言ってくれたから今があると思っています。

だから私は結婚生活と制作は成り立っていると思っていますけど……。でもこう思っているのは私だけかもしれません(笑)。

米:絵を描くことって一人の時間だと思うんだけど、二人で暮らす結婚生活の中でその部分は別れているものなのかな?それとも地続き?

名:描く時はもちろん集中して描くんですが、けっこう日常生活の中に溶け込んでいるかもしれないです。ご飯を食べて絵を描いて、音楽を聴いて絵を描いて……みたいに。常に描いているのが日常になっているかもしれません。

米:クリエイティブなものって家族的なものを考えないことが多いけど、僕はそれを考えて作ったものがもっと多くてもいいと思っているんだよね。名取さんの作品みたいに穏やかな気持ちになるような作品が……。

名:そうですね。大声でみんなで「わー」っと共感するような作品もアートだとは思うけれど、そんなに大きくない声で親密にお話ししてそれでも共感できたり何かしらのコミュニケーションが起きる、そういう形があってもいいんじゃないかなと私も思っています。

だから、米原さんがおっしゃったことは私自身が「そうありたいな」と思っていたことなので嬉しいです

米:名取さんの作品は普通の話ができるというか、こっちの気持ちが上がったり下がったりするんじゃなくてフラットに接することができる作品なんだなと僕は思っています。

名:ありがとうございます。

米:最終的にこうなりたいと思っていることはありますか?

名:描き続けないと見えないものもあるだろうし、私が全然わかっていないこともたくさんあると思うので、できる限り描いていきたいなと思っていますね。

次の作品が前のものよりもっとよくなるといいな、と思いながらなんとか前に進めるようにしていきたいです。

Yasumasa Yonehara

熊本県生まれ。『egg』を創刊したガールズカルチャーの第一人者で新たな才能の発掘を行うアートキュレーター。2023年には阪急メンズ東京7階にギャラリーを開きアーティストの発信をしている。

https://www.instagram.com/yone69harajuku/

https://twitter.com/yone69harajuku

Ai Natori

1981年佐賀県生まれ。2004年武蔵野美術大学映像学科卒業。2011年より絵画による表現に立ち戻り制作を始め、現在は青色をテーマにした「Blueness」シリーズを描き続けている。2023年10月に個展を開催予定。

https://www.instagram.com/aina_to/

https://natoriai.com/profile

取材・文 米原康正
編集 藤沢緑彩