別府・九重・長湯温泉で体と心を癒す旅 「地獄」と呼ばれた大分の秘湯を巡る
地獄から生まれた五万年続く桃源郷
大分県は、日本でも最大規模といえる温泉地。別府温泉においては、毎分約10万ℓの湧出量と豊富な泉質、源泉数を誇る。別府温泉の誕生は地熱学から見ると今から5万年前といわれ、その昔はぐつぐつと沸き上がる様が「まるで地獄だ」と恐れられたそうな。温泉の力に気づいた人々が築き上げた温泉街はまさに地獄から天国。自然から生まれた歴史と文化の片鱗を感じに行くとしよう。

176年の時を超え愛される秘湯。「日本一冷たい温泉」は「日本一の水風呂」へ

峠を越え九重(ここのえ)を目指す。この日は一寸先も見えない霧。人里離れた秘湯に着いたかと思えば、ゾロゾロと人が吸い込まれていくではないか。江戸末期嘉永2年開場の温泉は、昭和3年「寒の地獄旅館」として創業。当時から冷泉は夏の3か月だけ、親しまれた。
館主の武石真澄さんは4代目。湧き続ける冷泉とともに育ち、今も歴史を歩む。ただでさえ泉質がすばらしい老舗温泉宿で新たな試みをした。冷泉は昔のまま残し、用途をサウナの水風呂として「日本一の水風呂」と世の中に広めたのだ。
武石さんは言う。「ここに住み続ける、ということ自体が自分の使命だと思っているんです。自分の好きな料理や酒、温浴、そして環境を作ることで、訪れる人に秘境であるこの地を楽しんでほしい」
冷泉の切石風呂は2槽。硫黄のにおいに安心して足を入れれば、源泉13 ~14℃の冷たさに驚く。強い効能を感じるが、堪能するのはサウナ後のお楽しみ。まさに水風呂のためのサウナ!








寒の地獄旅館
千差万別、歴史が深い大分湯治めぐり
8世紀初めの『伊予国風土記』に「湯浴みにより病が回復した」と記されているように、この頃には、温泉地獄に不思議な効能があると気づいた者たちがここを温泉天国と化したのだろう。
別府を歩けば公衆温浴施設が至る所にあり、みな自身のシャンプーバッグを持ちさっぱり顔で出てくる。大分の温浴文化は多彩。「ひょうたん温泉」は多数の温泉を備え、なかでも賑わうのが「砂湯」。100%別府の海の砂を使用し、のぼせずじんわりと驚くほどの汗をかく。




他の砂場に比べさらさらした感触が特徴。程よい重みがのしかかるのが気持ちいい。専用の浴衣を着て、大人も子どもも一緒に入れ、自分たちで砂をかけ合う。

ひょうたん温泉
別府で特徴的な湯治が「蒸し湯」。「鉄輪(かんなわ)むし湯」は鎌倉時代の建治2年(1276年)に僧侶・一遍上人(いっぺんしょうにん)により創設。清流沿いにしか群生しない薬草「石菖(せきしょう)」が敷き詰められ、そこに横たわる。温泉の噴気で全身を蒸され、8分で爽快な発汗紀行をする。



鉄輪むし湯
竹田市屈指の炭酸泉「ラムネ温泉館」の物語は、文豪・大佛(おさらぎ)次郎先生の言葉から始まる。この炭酸泉を体験し 「全身にくまなく細かい気泡がくっつく。手でこすり落としても気泡はあとからあとからくっつく。まるでラムネの湯だね」と表現。
40年後、ここから名付けられた「ラムネ温泉」の歴史が木造の建屋で始まった。しゅわしゅわと湧き続ける炭酸泉は“ぬるさ”を楽しむ。炭酸×交互浴の体験をして初めて、文豪の表現に感嘆する。


炭酸ガスがたっぷりと溶け込んだ、世界的に注目される泉質。

まるで番頭の「ラムネコ」。猫たちが迎えてくれる。大佛次郎も大の猫好きだったそう。

建築を手掛けたのは、東京大学名誉教授で建築家の藤森照信氏。屋根には銅板を取り入れ、昔ながらの茅葺き屋根を表現。


ラムネ温泉館
サウナ・ウェルネスプロデューサー 笹野美紀恵
実家は、“サウナの聖地”として知られる静岡「サウナしきじ」。ホテルの温浴施設をプロデュースするほか、医療機関とオリジナルの薬草入浴剤を共同開発するなど、未病予防にサウナを活用する取り組みも行っている。
撮影 藤原次郎
コーディネート 菊池智子
取材・文・編集 中野桜子
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