北野という街のかたち 声が聞こえる距離に隣人がいた
坂道の向こうの、誰か。 ――北野という街が「ご近所さん」になった理由。
北野の坂を歩いていて思うことがある。それはこの街は家と家が近いということ。教会と住宅も近い。モスクと住宅も近い。シナゴーグも、関帝廟(かんていびょう)も、神社も近い。そして昔は、もっと近かったのだという。

かつて北野には、建物と建物の間を通る、幅90センチほどの細い道があったという。
そもそもが田んぼや畑のあぜ道だったというから、今の感覚では「狭いな」と思うのは当然なのだ。でも、暮らす人にとっては、その狭さが街の性格をつくった。
隣の家が見える。
声が聞こえる。
何をしているか、なんとなくわかる。
つまり、知らない人のままではいられなかったのだ。

かつて北野では、日本人の家からはお米やお餅の匂いがして、外国人の家からはパンやケーキの匂いがしたという。
「何してるの?」
「餅ついてるんです」
「じゃあ食べます?」
そんなやりとりが生まれる。
「異文化交流」と言えば、ずいぶん立派に聞こえる。でも実際は、この北野で行われてきたように、もっとシンプルで簡単なことなのだ。「お隣さんから、もらった」。それもまた、異文化交流なのだと思う。
阪神・淡路大震災のときも、この「近さ」が力になった。普段は外国人が集まる場所だった施設が、地域の避難場所になった。
食べ物を持ち寄る。
水を運ぶ。
誰が日本人で、誰が外国人か。そんなことを考えている余裕はなかった。普段から顔を知っている。だから、困っている人がわかる。

北野を歩いていると、教会がある。
モスクがある。
神社がある。
シナゴーグがある。
関帝廟がある。
でも、それらをつないでいるものは宗教ではない。坂道だ。その坂道を、150年以上、人が歩いてきた。坂道の麓は一つだ。挨拶をして。食べ物を分けて。ときには注意して。困ったときには助けて。そうやって、少しずつ「隣人」になっていった。
北野を訪れたら、坂道を歩いて施設を一つずつ巡ってみるといい。
教会からモスクへ。
モスクからシナゴーグへ。
シナゴーグから関帝廟へ。
坂の途中に流れる、違う人たちが同じ街で暮らしてきた時間を感じてほしい。
写真 清水健
文 山下マヌー
コーディネート 安東千幸
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