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「命のビザ」神戸に残る名もなき人々が紡いだ物語

「命のビザ」神戸に残る名もなき人々が紡いだ物語

TRAVEL 2026.10 神戸特集

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「命のビザ」から始まった、もう一つの物語

「命のビザ」という言葉を知らない人は、今ではほとんどいないだろう。

杉原千畝が発給したビザによって、第二次世界大戦中、多くのユダヤ人が日本へ逃れてきた。その人たちがたどり着いた場所の一つが神戸だった。

しかしながら、一つの疑問を持った。ビザを持っていれば、それで神戸に来られたのだろうか。どうやら、そうではなかった。

1940年から41年にかけて、神戸にはおよそ4500人のユダヤ難民が滞在したとされている。神戸市の資料にも、その当時の神戸が多くの難民を受け入れた記録が残っている。けれど、旅というものは、チケットがあるというだけでは成立しない。飛行機のチケットがあっても、泊まる場所を確保しなくてはならない。泊まる場所がなければ住所がないのと同じ。それでは荷物を送れない。

なにより、戦争から逃れてきた人にとっては、「ここにいていい」と言ってくれる場所が必要だった。神戸には、それがあった。それが当時のユダヤ人コミュニティ、神戸ジューコムである。

今、その建物はもうない。残っているのは、石垣の一部だけ。取材で話を聞くと、この石垣がただの「史跡」ではないことがわかってくる。今もここを訪れる人がいる。かつて神戸で暮らした当時のユダヤ難民の子どもや、その子孫たちだ。

神戸から世界へと散らばっていった彼らの中には、神戸までやってきて石垣に手を触れる。その姿を想像すると、150年や200年という歴史の数字より、ずっとリアルにこの場所の時間が感じられるのだ。

ある元難民の記憶に残っていたのは、神戸の大きな歴史ではなかった。

桜。
着物姿の女性。
そして、大丸の屋上で食べた焼きそば。

戦争から逃れてきた少年が、何十年も後まで覚えていたのがそんな風景だったという。旅をしていると、ときどきこういうことがある。それは、自分たちが「歴史」と呼ぶものと、そこにいた人が覚えているものは、少し違うということだ。

「命のビザ」の物語では、杉原千畝という一人の名前が大きく語られる。もちろん、それは大切なことだ。でも神戸で見つけたのは、その先にあった物語。

ビザを出した人。
それを持ってきた人。
その人たちを受け入れた人。

歴史の教科書には、なかなか登場しない人たちだ。でも、旅人の自分には、そういう「名前のない人」のほうが気になる。神戸に来て知ったのは、命をつなぐには、扉を開ける人も必要だったのだということ。

写真 清水健
文 山下マヌー

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