なぜ関帝廟は北野にあるのか 神戸が育てた三教融合の物語
関羽は、国境を知らない。 ――北野の関帝廟で見つけた「三教融合」という考え方。

最初に関帝廟(かんていびょう)を見たとき、少し違和感があった。「どうして、ここに?」関帝廟といえば南京町。ところが神戸の関帝廟は、南京町の中心ではなく北野の坂の下にある。

理由を聞いてみると、実に神戸らしかった。
1888年、神戸に関帝廟が建てられたころ、南京町周辺にはもう十分な土地がなかった。そこで選ばれたのが、当時は田畑が残り、家もまばらだった北野だった。
つまり、「そこに土地があったから。」なんだか、いい。街の歴史というと、もっと立派な理由を想像してしまう。でも、実際にはそういう現実的な事情から始まることも多いのかもしれない。

ところが、百年以上たってみると、ここにはもっと大きな物語ができていた。
関帝廟には、儒教、道教、仏教の要素が共存している。「三教融合」。一つの宗教が他を追い出すのではなく、違う教えを同じ場所に置いている。これが面白い。

さらに聞いてみると、ここを訪れる人のルーツも一つではない。
台湾。
中国本土。
華僑。
ベトナム系。
国籍も、歴史的な背景も、それぞれ違う。でも、ここではそれを信仰の境界にしない。政治的な違いを持ち込まず、同じ関帝廟で祈る。つまり、関羽は国境を知らないし、作らない。そこに分断などないのだ。

関羽といえば「義」。もちろん、それもこの廟を理解する大切なキーワードだ。
でも、今回自分が面白いと思ったのは、関羽そのものよりも関羽を祀る場所が、これほどいろいろな人を受け入れていることだった。
仏教。
道教。
儒教。
台湾。
中国。
ベトナム。
それぞれ違う。でも、同じ場所で線香を手向ける。
港が開く。
人が来る。
人が暮らす。
祈る場所が必要になる。
そして、その場所が100年、200年と残っていく。
そう考えると、関帝廟は「中国文化を紹介する施設」というより、神戸という港町がつくった一つの風景なのかもしれない。
人が国境を越えてやって来た街には、国境を越える祈りも残る。北野の坂を歩いて、そんなことを考えた。
写真 清水健
文 山下マヌー
コーディネート 安東千幸
翼の王国のアンケートにぜひご協力ください。
抽選で当選した方にプレゼントを差し上げます。