世界1位への道を支えた「3万回」の理論 車いすテニス・国枝慎吾が語る感謝と挑戦
※ この記事は、翼の王国2025年2月号に掲載されたものです。

2月は私・国枝慎吾の誕生月です。今月、私は41歳になります。
そこで、改めて振り返り、しみじみと思ったのです。私が送ってきた四十年余の歳月というのは、本当に多くの人たちに支えられてきたものだったのだと。30年ほど前、テニス好きの母の影響で私は車いすテニスと出会いました。もし、母の趣味が別のものだったら、きっと現在の私はいなかったはずです。結婚してからは妻が、いちばん身近で私を支えてくれています。彼女が試合に帯同してくれるようになって、私はそれまで以上にオン・オフの切り替えができるようになりました。現役生活を最後までやり遂げることができたのは、近くに妻がいてくれたからです。いまも彼女がいてくれるからこそ、外国での生活に心細さを覚えることもない。その意味では、両親や妻といった家族の存在には、本当に感謝しています。

私を支えてくれた人のなかには、もちろんコーチやトレーナーもいます。テニスの基礎を叩き込んでくれた丸山弘道コーチ。戦術を授け、私を進化させてくれた岩見亮コーチ。そして、雑念を消すルーティンや、前向きな言葉を自らに言い聞かせるセルフトークなど、心理面の重要性を教えてくれたアン・クインさん。なかでも私が22歳、世界ランクがまだ10位だったときに「3万回、正しいフォームを繰り返せば、無意識に体は動くようになる」と説いてくれたアン・クインさんの教えは、強く印象に残るものでした。

運動生理学をベースとした「マッスルメモリー」と呼ばれるその理論を信じ、私は来る日も来る日も練習を重ねました。たとえば「今日からはバックハンドのミドル」と決め、毎朝6時から、丸山コーチに球数をカウントしてもらって。そうやって3万回に到達するまで1カ月以上も繰り返し打つという練習を続けた結果、試合中のミスは劇的に減り、私はショットの揺るぎない自信を手に入れることができたのです。この練習方法を取り入れてから半年後、私は世界ランク1位に駆け上がったのです。

現役を退き、アメリカでジュニアの選手たちを指導する立場になっても、彼ら、彼女らから学んだことは私のなかで生きています。自分を支えてくれた大切な教えが、今度は誰かを支える宝物になってくれたら……、そう願いながら、私は今日もコートに立つのです。

国枝 慎吾
脊髄腫瘍のため9歳から車いす生活となり、11 歳で車いすテニスと出会う。四大大会とパラリンピックを制覇する「生涯ゴールデンスラム」を達成。23年1 月、世界ランキング1 位のまま引退。
2016年よりスポンサーシップ契約を結んでいるANAは、国枝さんの新しい挑戦を応援し続けます。