降り積もる雪、除夜の鐘、魁夷が描いた古都の年の瀬~日本画聖地巡礼10京都
日本画専門美術館として半世紀以上の歴史を誇る『山種美術館』。本連載は同館の山﨑妙子館長をナビゲーターに、傑作が生まれた〝聖地〟を巡る。名画の世界を追体験し、その地に立った画家たちの視点を再発見していく。(全12回)
『年暮る』東山魁夷×京都・町家の風景
昭和を代表する「国民的日本画家」として知られる東山魁夷の名画は、親しかった作家・川端康成の「京都は今描いといていただかないとなくなります、京都のあるうちに描いておいてください」という言葉をきっかけにして生まれました。
魁夷はこのテーマを「京洛四季(けいらくしき)」と名付け、20数点の作品を描きました。その内、山種美術館所蔵の『春静(はるしずか)』(鷹峯たかがみね)、『緑潤(みどりうるお)う』(修学院離宮)、『秋彩(しゅうさい)』(小倉山)の3点は、京都各地の四季に応じた自然美を描いた作品で、いまも当時と変わらない風景を「聖地巡礼」することができます。
いっぽう、冬の京都を描いた『年暮(としく)る』に見られる、町家が連なる光景は、現在ではすっかり変わってしまいました。2019年5月3日に私は、魁夷の定宿であった京都ホテル(現在のホテルオークラ京都)を訪ね、同ホテル17階から、魁夷が描いたと思われる日蓮本宗本山要法寺の周辺を眺めてみました。しかし、当時と変わらない建物はこの寺院くらいで、本作品に描かれた「京の町家」はその趣を失っていました。
昭和の終わりから平成にかけての社会の変化とバブル景気の影響で、京の町家は急激にその数を減らし、いまは町家の保全・再生活動が行われています。
この作品について、魁夷は御池大橋(おいけおおはし・1964年竣工)が架かる前の時分に「京都で年の暮れを過ごして、除夜の鐘を聞きました。まだ瓦屋根が多く、そして四角いビルが少なかった時代で、この『年暮る』という作品は、京都への郷愁と愛惜の心から生まれたものです」と述べています。この言葉通り、大みそかの京都が詩情豊かに表現されています。「東山ブルー」と称された群青のグラデーションで画面全体が統一されることにより、しんしんと降り積もる雪の音や、厳かに鳴り響く除夜の鐘までもが聞こえてくるようです。
この絵を見ていると、私自身もまるで当時の京都にタイムスリップしたような錯覚に陥ると同時に、失われてしまった古都への飽くなき憧憬を感じるのです。
ひがしやま・かいい
1908年、神奈川県生まれ。本名・新吉(しんきち)。東京美術学校研究科修了。結城素明(そめい)に師事。在学中から帝展で入選を重ねる。1933〜1935年、ドイツ留学。戦後は日展を中心に活躍。1965年、日本芸術院会員。1968年、皇居新宮殿壁画を完成。1969年、文化勲章を受章。「昭和の国民的日本画家」と称され、日本各地の自然と風景を詩情豊かに描いた。1999年没、享年90。
ホテルオークラ京都
京都府京都市中京区河原町御池
アクセス:JR京都駅より車で約15分
京都でもっとも歴史のある老舗ホテル。館内は、和と洋が調和し、安らぎと落ち着きに満ちている。客室から望むことができる、東山や京の街並みは一見の価値がある。
https://www.hotel.kyoto/okura/
やまざき・たえこ
慶應義塾大学経済学部卒業。東京藝術大学大学院後期博士課程修了。学術博士。在学中は日本美術史を学ぶとともに日本画家・平山郁夫氏に日本画の手ほどきを受ける。2007年5月、山種美術財団理事長兼山種美術館館長に就任。著書『速水御舟の芸術』(日本経済新聞社)ほか。各所での講演会などを通し、日本画の普及を幅広く行っている。
【特別展】日本画聖地巡礼―東山魁夷の京都、奥村土牛の鳴門―
「山種美術館では、名だたる画家たちが制作のために自ら訪れ、描いた実在の場所を日本画の『聖地』と位置づけ、その地がどんな場所なのかを写真や地図などでご紹介し、作品とともにご鑑賞いただく展覧会を開催いたします。現地での写生や画家自身の言葉も合わせて展示し、画家の『聖地』への眼差しを追体験していただくのみならず、なぜ実際の風景とは異なる構図や色調にしたのかなど、作品に込めた想いを再発見していただきたいと思います」(山種美術館 館長・山﨑妙子)
会場:山種美術館 東京都渋谷区広尾3-12-36
TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)(9時~20時)
会期:2023年9月30日(土)~11月26日(日)
休館日:月曜日※10/9(月)は開館、10/10(火)は休館
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
入館料:一般1400円、大学生・高校生1100円、中学生以下無料(付添者の同伴が必要です)
案内人:山﨑妙子(山種美術館 館長)