モロッコの“青”は1人の主婦から始まった 街の運命は誰かの小さな発想が変える
シャウエンが今のように「青の街」として知られるようになったのは、実はごく最近のことだ。1990年代まで、この街は「白い村」だったというから驚く。2000年代に入る頃まで、家々は白く塗られ、青はほとんど見られなかった。いまの鮮烈な青のイメージからは想像もつかないが、かつてのシャウエンは“白の街”だったのだ。

では、どのようにして街全体が青く染まっていったのか。
前回の「シャウエンブルーの謎」でも触れたように、決定的な理由は分かっていない。ただ、2000年代に入って以降、青化が一気に進んだことだけは確かなようだ。
そのきっかけとして語られるのが、ある主婦のちょっとした気まぐれ。彼女が家の入り口や階段を青く塗り始めたところ、近所の人々の目に新鮮に映り、「うちも塗ってみよう」と連鎖的に広がっていった…。こうして街はゆっくりと青に染まり、現在の姿へと変わっていったという説が、最も“地元らしい真実”として語られている。

つまり、青はユダヤ人の家の印でも、観光目的でも、蚊除けでもなく、主婦の生活感覚から生まれた色だったということだ。
では、その青がどうして世界にまで広まったのか。転機となったのは2006年。国王がシャウエンを訪れた際、その様子をメディアが大きく取り上げ、シャウエンの青が全国へ、そして世界へと一気に拡散。美しさのために青く塗ったのか、はたまた涼しさのためか、あるいはただの気まぐれだったのか──理由はどうであれ、誰かが最初に塗り、その青を見た人々が「いい色ね」と真似をし、街全体が青に染まっていったことは確かなのだ。
その後SNSの普及も追い風となり、世界中から観光客が押し寄せ街は活性化。途中からは「いっそ街ごと青にしてしまえ」、という観光資源としての意識も加わり、青化がさらに加速したのに違いないと想像できる。

シャウエンの青は壁だけにとどまらない。扉、窓枠、階段、植木鉢、さらには家の中の家具にまで青が忍び込んでいる。白い壁に青い扉、青い階段に白い窓枠──そのコントラストが、街全体をまるで一枚の絵画のように見せている。シャウエンにとって青は、いまや発展の象徴であり、誰かの小さな発想が街の運命を変えた証でもある。
シャウエンブルーの始まりは、誰かが意図的に作り上げたものではなく、日常の中から自然に生まれたものだという事実。小さな行動が街を変え、街を世界に知らしめた。その偶然と必然が折り重なって生まれた物語こそが、シャウエンブルーの最大の魅力なのかもしれない。
写真 宮澤正明
取材・文 山下マヌー
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