日本一の梅産地で受け継がれる 自然と共存するサステナブルな梅干し作り
かつて海上交通が盛んだった頃、三方が海に面した和歌山県は瀬戸内海と太平洋を結ぶ交通の要衝だった。よって和歌山には、海を通じて様々な文化が伝わってきた。それらをここで暮らす人々が積極的に取り入れたことにより、味噌、醤油、そして梅干しといった日本食の礎を築く食材は生まれ、発展していったという歴史を持つ。我々日本人が愛してやまない「日本の味」のはじまりの地を巡る旅に出かけてみよう。
「自然を愛すれば、自然とおいしい梅干しになる」
日本に現存する最古の医学書『医心方』によると、平安時代にはすでに食べる文化があったとされる梅干しは、味噌、醤油と同様に、綿々と日本食を支え続けている食材の一つである。
おにぎりや弁当を作る上で欠かすことのできない梅干し。その約6割が和歌山で生産されており、特にみなべ・田辺地域は日本一の梅の生産地として、全国に名を馳せている。
この地で盛んに梅が栽培されるようになったきっかけは、江戸時代までさかのぼる。決して土壌の良い土地ではなかった田辺領(現在の田辺市とみなべ町)で、年貢に苦しんでいた農民を助けるため、紀伊田辺藩の初代藩主・安藤直次が梅の栽培を勧めたことが始まり。その後、400年以上にわたり高品質な梅を持続的に生産してきた結果、「みなべ・田辺の梅システム」として世界農業遺産に認定され、評価されるまでに至っている。
梅を通して、生態系を維持してきたこの地域にある数多くの梅干し製造企業のうち、自然はもちろん、私たち人間にも負担をかけないよう、持続可能な生産を続けている「龍神自然食品センター」を訪ねた。
「龍神自然食品センター」は無農薬、無化学肥料、無添加を徹底しているのが特徴。栽培から加工までを一貫して自分たちの手で行い、食材本来の味がダイレクトに感じられる梅干しを作り上げている。次の世代にも豊かな自然を残し、さらに梅干しの文化を伝えていきたいという、作り手の志が伝わってくる。
梅干し作りの副産物として生まれる、梅酢。梅を塩漬けした際に出てくるエキスのことで、梅の成分がたっぷりにじみ出ているため、調味料として活用する。
「龍神自然食品センター」では、梅干し作りに欠かせない紫蘇の栽培も自ら行う。苗の時期に虫に食べられることが多く、紫蘇を無農薬で栽培するには大変な手間と労力がかかる。
標高 500m以上の山岳が村の約 70%を占める田辺市龍神村に「龍神自然食品センター」はある。
龍神自然食品センター
写真 吉田歩
取材・文 高田真莉絵
和歌山への翼
和歌山へは東京(羽田)などから ANA便で関西国際空港へ。