斎藤佑樹「子どもたちの野球場をつくりたい」 北海道・長沼町は運命の地
才人が旅先で出会った忘れえぬ光景を綴る。今回は19年前の夏、甲子園を沸かせた「ハンカチ王子」。
斎藤佑樹
’06年、早稲田実業高のエースとして夏の甲子園に出場し全国制覇。「ハンカチ王子」フィーバーを巻き起こした。早稲田大学を経て10年、ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに。1年目に6勝をマーク、2年目の12年には開幕投手を務めるなど活躍。しかし、たび重なるケガに悩まされ21年、現役引退。現在は「株式会社斎藤佑樹」代表として「野球未来づくり」をビジョンに掲げ、精力的に活動中。


昨年の春からかれこれもう50回以上、僕は北海道長沼町に通っています。それは、少年少女専用の野球場をつくるための“旅”です。
現役を退くころからずっと「僕は野球界にどんな恩返しができるだろう?」と考えていました。そのとき、胸に去来したのが「子どもたちのための野球場をつくりたい」という思いでした。
アメリカには少年少女専用の、少しコンパクトな野球場が多々あって、リトルリーグの世界大会も開催されています。でも、日本にはそのような野球場はほとんどありません。子どものころの僕も、大人が使う広い野球場や学校のグラウンドで試合をしました。少年野球では、ホームラン=ランニングホームランというのがお決まりです。
だから、思ったんです。「子どもたちにフェンスオーバーのホームランを打たせてあげたい、それができる野球場をつくってあげたい」と。いや、それだけではありません。僕自身、引退後に夢中になれるものを見つけたかった。野球の解説や指導に携わるような関わり方も考えられたなか、いちばんワクワクしたのが野球場づくりでした。「子どもたちのため」と言いつつ、これは僕の夢でもあるのです。

でも、ワクワクの実現には苦労も伴いました。場所選び一つとっても、日本全国の候補地を100箇所以上回り、「これは!」と思う土地が見つかっても許可が下りず諦めたり。そうやって、やっとたどり着いたのが、ここ長沼町でした。北海道らしい広々とした、自然豊かな場所。高台に登るとファイターズの本拠地「エスコンフィールドHOKKAIDO」も見える。僕は運命的なものも感じ、ここに“夢の球場”をつくろう―、そう決めたのです。


今年の「こどもの日」。プレオープンに漕ぎ着けた「はらっぱスタジアム」で、僕も試しに投球しました。マウンドからホームベースまでの距離は、通常の18.44メートルよりも少し短い16メートル。でも、これまで僕が投げてきたどの野球場にも引けを取らない、最高に素晴らしいマウンドでした。
