大宮エリー 犬島との縁 私が作品を作る理由と出会いを繋ぎ続けた場所
『翼の王国』で好評連載中の『ライト、フライト』の執筆者の1人であった大宮エリーさんが2025年4月にご逝去されました。作家や画家など幅広い活動で、私たちに楽しさと優しさ、そしてたくさんの光を届けてくれました。
翼の王国WEBでは、大宮さんの書かれたエッセーを2023年8月より遡ってご紹介いたします。全4回。内容は執筆当時のままです。
心から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
犬島の少年と花(2024年2月号掲載)

人口30人を切ったという犬島(いぬじま)は瀬戸内海の小さな島である。3年に一度ある瀬戸内国際芸術祭のシーズンには、直島(なおしま)と同様、犬島にアートラバーがたくさん訪れる。そんな島とのご縁をいただくきっかけは建築家の妹島和世さんだった。そうそう、犬島には私の大好きなホッピーのバーもある。
でも、犬島はどんな島か、私は見当もつかないでいた。
「エリーさんってもしかして、なにか楽器できる?」
それが妹島さんとお会いしたとき言われたこと。
「できますよ、バイオリン。3歳からやってました!」
すると妹島さんは、すごく喜んで、周りの人に、「いたいた!」と言ったのだった。続けて、
「料理は?」
「好きですよ」
するとまた妹島さんは喜んで「料理もできるって!ばっちり」。
なにがだろう。キョトンとしている私に、「犬島に来て!」と妹島さん。
犬島へは、岡山まで飛行機で行ってそこから車で1時間の宝伝(ほうでん)港を目指す。島までは船でなんと10分。すぐだ。この10分がちょうどいい。時間帯によって色がさまざまに変わる瀬戸内海を、船で行く。行きはだいたい真っ青、濃い青なのだけれど、そこを飛沫(しぶき)をあげていくのが心地よい。帰りはゆらりと海風にあたりながらピンク色の空と水面を楽しむのである。島との別れに切なくなったりして。
船で行き来するなんて生活をこれがきっかけでのちにすることになるとは、このときはまだ思わなかった。
島は、実にのどかで、なにもないのがいい。のんびりとした時間と、鏡のような海が広がっている。
妹島さん一行は、忙しそうだ。
「エリーさん、今日はお世話になっている大切な人が犬島に来るので、そのパーティーなんです。それで、料理をみんなで作るので」
やっと全容を知る。私はみじん切り担当になった。
パーティーの料理を建築家集団で作るというのは実に、楽しい光景だと思った。グローバルな感じ。おもてなしってこういうことだ。作る場所は、島のステイ先の台所で。古い台所でみんなで協力し合って、ラタトゥイユやクスクスやケーキやさまざまなものが用意されていく。
そろそろ仕上がってきたなと思った頃、妹島さんが言った。
「エリーさん、14時の船でゲスト達が到着されるので、サプライズでね、ウェルカムソングを船着場で弾いてほしいんです」
「え!?ウェルカムソングってなんですか?」
「歓迎っぽいものをなんでも……」
困った。だいたい事態がわかっていなくて犬島に来てみじん切りしていたのに、今度はウェルカムソング。さらに船着場でたった一人で弾いてって正直恥ずかしいではないか。
もう着いちゃう!という誰かの声で、否(いや)が応(おう)にもスイッチが入る。船着場に一人たち、バイオリンを構える。クラシックで、明るめの華やかな曲を弾くことにした。
船が見えてきた。この船はチャーターではなく定期便だ。当然、妹島さんのゲストだけじゃなく一般のお客様もいる。私は心を込めて、誰が妹島さんのゲストかわからないけれど海と船にむかってバイオリンを弾いた。
妹島さんのゲストご一行も降りてこられ、大いに盛り上がった。妹島さんもサプライズの成功に、うれしそうだった。ちなみに後で聞いた話だが、全く関係のない観光の方は、「犬島はいつも船が着くと、バイオリンのサービスがあるのか」と思ったそうである。
犬島には妹島さんが手がけられた「家プロジェクト」と「くらしの植物園」がある。そのお花畑は楽園のようで、本当に天国みたいだった。そこでパーティーは行われた。
もうひとつ妹島さんが犬島に誘ってくださったのは、崩壊しそうな無人の家を再生させているのだが、そこの壁に絵を描かない?という理由であった。
犬島にはたくさん草花が咲いている。島のおばあちゃんの家には植木鉢に色とりどりのお花が植えられていて、その中の、ピンクのハート形の草花が好きだった。名前を聞くと「ひめ金魚草だよぉ」と言われた。小さな野生のすずらんも咲いている。そこで、妹島さんが、この壁、と指差した場所には犬島の色とりどりの草花を描くことにした。それも、カラフルに。
犬島のおばあちゃんたち、おじいちゃんたちは、とても元気。そしていつもカラフルな洋服を着ていらして、はつらつとしている。島のおばあちゃんがひらく市場の名前も「元気市」。タコ飯や、稲荷ずし、コロッケなどを作ってくれるのだがこれがまた絶品。
ああ、楽しい夏の制作だったな、と思っていたら、数カ月後、ベネッセの福武財団の方から連絡があり、2022年の瀬戸内国際芸術祭の出展作家に選んでいただいた。常設の作品を作りませんかということだった。
ちなみに、福武(ふくたけ)財団の福武總一郎さんは、私が絵を描くことになったきっかけの人である。福武さんのパーティーで、海外のペインターがライブパフォーマンスをするはずが来られなくなり、たまたま通りがかった私が、なぜかやることになったのだった。それがビギナーズラックでウケた。けれど、その絵を「いい!楽しくなる。最近、買いたい絵がなかったけれど、この絵は、元気になるから買いたい」と言い放って会場をどよめかせたのが福武總一郎さんである。そして私の画家のキャリアはこのようなアクシデントと共にスタートし、12年が経とうとしていた。
財団の若い方を中心にして進めるプロジェクトに参加する。そして場所は、犬島。再会である。
2019年の暮れ、犬島を視察することになった。初めて訪れた犬島は夏で暖かかったけれど、冬の瀬戸内海はなかなか厳しい。が、冬がまたよかったのだ。観光客もいない、島の人たちだけの時間。そこにお邪魔して、そぞろ歩きした。これがとても楽しかったのである。
冬も草花たちがちらほらあって、海風は寒いけれど、神社に行って石の神様にご挨拶したり、精錬所の跡地がそのまま美術館になった、遺跡のような、ふしぎな空間を独り占めしたり。

島に1泊した。財団の方々と、お酒を飲みながら過ごす。島への想い、未来。島に小さなお子さん3人と住んでいる財団の方にもお話を聞いた。芸術祭期間中だけじゃなく、島の“すてき”は、いつもそこにあるので、それを感じさせるなにかが作れないかなと思った。それと、人口が30人を切っているけれど、ここに移住する若い人が増えたり、こどもたちが来るようになったりできる場作りができないかなとも考えた。もうひとつ。島をぶらぶら歩いてじぶんの“すてき”を、発見してもらうのが面白いので、それで、「INUJIMAアートランデブー」という作品群を作ることに。ランデブーとは、そぞろ歩きのこと。
次は場所選びである。港近くのひろばが気になった。現在は年に一度盆踊りに使われているその場所の、かつての名前は「こどもひろば」だったそう。そこに、草花を人間より大きくした、カラフルなオブジェを作った。巨大なすずらんにぶらさがるこども、そして、葉っぱにおばあちゃんが腰掛けて休んでいる。ここでみんなが世代を超えて、集い、未来を感じられたらいいなと。
そぞろ歩きの第一弾として、「フラワーフェアリーダンサーズ」という作品を制作し、設置した。島の人たちと一緒に、ひろばのどこに植えるか決める。島の会長さんが木々の剪定をしてくれて犬島の美しい石がオブジェの背面に現れた。
さあ、島の他の人たちはどう反応するだろうと、ドキドキしていた。だって、島の人にとって大切な場所だから。でもそれは杞憂に終わった。
「こういうのがいいんじゃ!」
「カラフルで、元気になる!」
振り向くとおばあちゃんたちが、一列に並んで、拍手をしてくれた。そして草花に腰掛けてくれたり、さすったり。胸が熱くなった。何度も差し入れに来てくれたおばあちゃん。暑いからと紫蘇(しそ)ジュースを作って持ってきてくれたおばあちゃん。みんな拍手してくれている。
後日、島に住む方からこんな話を聞いた。
「うちの7歳の息子が、いつも夜、でかけるので、どこに行くのかな、と思ってついて行ったら、エリーさんのオブジェのところだったんです」
え、なぜ?夜に?と聞いた。
「はい、私もふしぎに思って息子に聞いたところ……」
「なんて?」
「おやすみのキスをしているそうで……」
「え!?」
オレンジのお花が特に気に入って、そのお花にちゅっとして、家に戻っていたのだそうだ。
泣きそうになった。そんな心を持ち続けたい。そして、そんなオブジェが作れて、私はうれしい。
私が作品を作る理由を、私は犬島で確認したのであった。
大宮 エリー
アーティスト。画家、作家活動に加え、写真に映画、脚本、楽曲、CM制作までマルチに手がける。自身初のVR監督映画『周波数』は、2023年ヴェネチア国際映画祭XR部門にノミネートされた。