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「諦めない心」が、チャンスを手繰り寄せる佐藤琢磨×井上慎一 ANA 社長

「諦めない心」が、チャンスを手繰り寄せる佐藤琢磨×井上慎一 ANA 社長

ANA REPORT 対談

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「私、昔から大ファンで。今日、お会いできるのを本当に楽しみにしていました」
 モータースポーツ界のスーパースターを前に、井上慎一・ANA代表取締役社長は子供のような笑みを浮かべていた。
 今回の〝特別対談〟。お相手は、モータースポーツの最高峰と位置付けられるF1とインディカー、双方の表彰台に立った唯一の日本人ドライバー・佐藤琢磨選手。

10歳で覚えた衝撃が、憧れに

井上:経歴を改めて拝見しましたが、本当に素晴らしいご活躍を続けてこられていますよね。
佐藤:ありがとうございます。
井上:まず10歳のとき、鈴鹿でF1レースを観戦し衝撃を覚えた。ところが、高校時代は自転車競技に没頭。部がなかった高校に、自ら部を立ち上げ、顧問一人部員一人で競技に臨んだ?
佐藤:それまでも近所のサイクルプロショップに所属して、市民レースには参加していましたが、どうしてもインターハイを目指してみたくて。ただし、公式戦に出るには、学校が高等学校体育連盟に登録されている必要がありました。
井上:それで、ご自身で部を?
佐藤:はい。高校3年の春でした。担任の先生が僕の気持ちを汲み、学校に掛け合って顧問になってくれたんです。
井上:そうまでして出場した高校総体で見事、優勝します。 
佐藤:とても嬉しかったです。はい。顧問の先生はじめ、強豪校の合宿に参加させていただくなど、周りの方々の助けがあってこその優勝でした。
井上:琢磨さんのパッションが周囲を動かしたのでは?
佐藤:本当に感謝しかないです。モータースポーツも同じでして、ドライバーは注目もされますが、あくまでチームの一員です。携わるスタッフ全員が「こいつと勝ちに行くぞ」と気持ちを一つにしないと勝てない。ドライバーは運転技術と同じぐらい、求心力も重要だと思います。
井上:含蓄あるお言葉ですね。大学進学後も自転車競技を続けていた琢磨さんでしたが、19歳でレーシングスクールに。満を持してモータースポーツ転向を果たします。
佐藤:ずっと憧れ続けていたんです。ただ、自分にはレースを始める環境がなかった。もちろん、自転車は大好きです。ただ、心の底からやりたいこと、それはモータースポーツでした。だから、スクールの存在を知り飛びついたんです。
井上:幼いころから、いつかチャンスはくると、信じて待ち続けたんですね。お話を聞いていると琢磨さんの「諦めない心」というのを感じますね。

F1の表彰台、そしてインディ転向

井上:スクールを首席で卒業され、2000年にはイギリスF3に。私もはっきり覚えています。イギリスF3はF1への登竜門。そこへ挑み、2シーズン目に日本人初のチャンピオンに。
佐藤:お詳しいですね!
井上:大ファンですから(笑)。でも、日本人のイギリスF3王者なんて、生涯お目にかかれないと思っていましたから。本当に驚かされました。
佐藤:国籍に関係なく、その世界で認められる形でF1にのし上がるには、どうしても欲しいタイトルでした。
井上:その言葉どおり翌2002年、フルタイムのF1ドライバーに。最初の所属チームはジョーダン。次がB・A・Rホンダ。そして、2004年でしたね、アメリカGPで3位、表彰台に立たれた。私はテレビの前で万歳をしましたよ(笑)。
佐藤:ありがとうございます。

「その人の持つパッションが、周囲も動かすんですね」(井上)

井上:ファンの多くは「次は優勝だ」と期待していたと思いますが……。その後、琢磨さんはインディに。どんな経緯があったんですか? F1とインディ、まるで違うものですよね?
佐藤:そもそもは、リーマンショックが遠因です。2008年、所属チームが資金難に陥って、シーズン途中にF1から撤退せざる得なくなりました。僕自身はF1に復帰する気満々で、2年間取り組みましたが、結果的に復帰は叶わず。焦りもあるなかで、「インディ500」の視察に行こうと思い立ちました。
井上:モータースポーツのもう一つの頂点ですね?
佐藤:はい。その予選を観戦し、10歳のときの鈴鹿と同等の衝撃を覚えたんです。390キロ近い猛スピードで第1コーナーに飛び込むマシン。ドライバーは横滑りする車体をコントロールしながら、アクセルを踏み込むんです。「こんなの、F1でも見たことない」と興奮しました。加えて35万人もの観衆が集まるインディ500というレースが持つエネルギー。「やってみたい」とワクワクしている自分がいましたね。
井上:そういうことでしたか。でも、2年のブランクを経ての転身、不安もあったのでは?
佐藤:ありました。でも、新しい世界への挑戦で、また新たなチャンスを掴めるんじゃないか、そんな気持ちの方が大きかった。
井上:やはり「諦めない心」、そして「燃え尽きることのないパッション」が大切ですね。

LCCへの挑戦、世界は変わるぞ

井上:じつは、私も琢磨さんと似たような経験があるんです。中国の北京に駐在していた2008年に、当時のANAの社長から突然、「新しい航空会社を作れ」と指示されたんです。
佐藤:え!?新しい会社を?
井上:はい。二の句が告げないでいる私に社長は「LCCを作って3年以内に飛ばすように。以上、話は終わり」って(苦笑)。頭の中、真っ白になりましたよ。
佐藤:それはまた、ものすごいスケールのお話ですね(笑)。
井上:本当にそう(苦笑)。LCCのビジネスモデルは、既存の航空会社とはまるで違う。それはもう、F1とインディぐらい違うんです。ですから、LCC業界の先輩たちに、話を聞かせてもらえないか打診したんですが、誰も相手にしてくれない。片っ端から断られ続けました。
佐藤:ともすれば、敵に塩を送ることになりますからね。
井上:そうなんです。でも、ここで私がラッキーだったのは、LCCのなかで〝最強〟の呼び声も高かった「ライアンエアー」の、初代会長だったパトリック・マーフィさんという方に巡り会えたんです。会長職を辞した後とはいえ、彼は業界ではレジェンド的存在で超多忙。なかなか会うことすら叶わない。それでもめげずに何度もトライして、メールを出して「教えを乞いたい」とお願いした。すると「この日の午前中だけなら時間を取る」と返事が来たんですね。
佐藤:井上さんも「諦めない心」で突き進んだんですね。

「ドライバー1人の力だけで、勝つことはできません」(佐藤)

井上:そうです。彼のいたジュネーブまで飛んで行きました。そこで聞かされたのは、当時のライアンエアーの平均運賃は、既存の航空会社のおよそ7分の1ということ。その場で計算しました。ANAの東京―札幌の運賃がいくら、それを7で割ると……。暗算しながら、武者ぶるいしました。「これ実現したら世の中、変わるぞ!」とね。
佐藤:すごい経験をされたんですね。
井上:結局、その日の会談を終え外に出てみたら、もう星が出てました(笑)。その後、マーフィさんには私どもが立ち上げたLCCのアドバイザーに就任してもらった。先ほども申しましたが彼はレジェンド、業界の超有名人です。あるとき、シンガポールで彼といたところ、あるメディアの人が質問したんです。「なぜ、井上のアドバイザーに?」と。するとマーフィさん、ニヤッと笑って言ってくれたんです。「パッションだ」って(笑)。
佐藤:格好いいですね。でも、伝わるんですよね、熱意って。

「No Attack No Chance」で走り抜く

井上:その後、私は現職に就くわけですが、いっぽう、琢磨さんはインディカーに挑み、2017年、日本人で初めてインディ500で優勝。2020年にも2度目の優勝を成し遂げた。本当に素晴らしい。
佐藤:ありがとうございます。
井上:琢磨さんのご活躍を見ていると、よく講演などでお話しになる「No Attack No Chance」の意味がよく分かります。
佐藤:チャンスはいたるところにあるけれど、こちらが望んだタイミングで来てくれるとは限りません。だから、受け身ではなく、挑戦し続けることで、チャンスを自ら手繰り寄せようと、そういう意味を込めた言葉なんです。
井上:じつは、弊社は70年前、社員28名、ヘリコプター2機だけのベンチャー企業とし創業しました。「なんでもいいから収益を」と、いろんなことをしたそうです。いまあるヘリコプター事業のビジネスモデルのほとんどは、当時すでに先輩たちがやっていたことなんです。その当時のままの社風と言いますか、弊社の社員は皆、挑戦が大好きなんです。コロナ禍で航空会社はどこもたいへん苦労しました。それでも、弊社は結構、頑張っておりまして。その証拠というと口はばったいのですが、イギリスの格付け会社から最高評価に当たる「5スター」を10年連続で受賞した。これ、日本のエアラインで初なんです。
佐藤:すごい!
井上:ありがとうございます。それから、ブランドの体験価値を評価するランキングというのもあるんですが、弊社は昨年、7位から3位にジャンプアップしたんです。寄せられたお客様の声のなかには「コロナ禍でも、めげずにいろいろトライしている」というものがあって。嬉しかったですね。
佐藤:創業時のDNAが脈々と受け継がれてきたんですね。
井上:ですから、琢磨さんの「No Attack No Chance」という言葉、胸に刺さる社員が大勢おります。
佐藤:そう言っていただけて、光栄です。僕自身は学生時代から、「No Attack No Chance」が自分のスタイルになっています。
井上:琢磨さんのすごいところは、強い精神力はもちろんですが、同じぐらい柔軟性もお持ちなことだと思うんです。F1から2年遠ざかっても、そこから別の世界を見出し、前向きにチェンジマインドされた。そこが素晴らしい。
佐藤:純粋に、「このままでは終われない」と思っていました。少しでも上を目指せるのなら、自分がそのとき、できることに挑むということ。今年、僕はインディカーにシリーズ全戦ではなく、5レースのみ、スポット参戦することを決めました。変化を受け入れた根底にあるのも、同じ思いなんです。
井上:柔軟に、それでも挑戦は諦めない。尽きることない「No Attack No Chance」のパッションですね。
佐藤:挑戦する限り、チャンスは作り出すことができます。今年も全力で、走り抜きたいと思います。
井上:本日はありがとうございました。ANAも琢磨さんを見習い「No Attack No Chance」で、突き進んでまいります。

写真:篠山紀信

さとう・たくま

東京都出身。02年からF1に参戦し、04年アメリカGPで3位表彰台に。10年からはインディカー・シリーズに参戦し17年、20年とインディ500に2度優勝。今年は名門「チップ・ガナッシ・レーシング」に所属。5月開催のインディ500で、3度目の制覇を目指す