ANA国際線が黒字転換するまで 就航40周年、愚直に続けてきた努力と挑戦
今年3月、国際線就航40周年の節目を迎えたANA。いまや、日本をリードする国際線キャリアへと成長し、「SKYTRAX」「APEX」といった世界のエアラインを格付けする企業や国際機関からも、毎年のように高い評価を得るまでになった。
そこで今回はANAの国際線、その黎明期を知る立石文恵(ANA上席執行役員・空港会社担当)と、山岸由佳(ANA執行役員・客室センター副センター長)の二人の特別対談・後編を送る。
【対談前編はこちら】国際線就航40周年
9.11同時多発テロ、国際線黒字転換…私たちは“努力と挑戦”を愚直に続けていきます

――国際情勢や社会情勢に、国際線の運航は大きな影響を受けてきたということですが。とくに印象深い思い出はありますか?
山岸:私がとても印象に残っているのが9.11、同時多発テロのときのことです。私自身が、その1日前の9月10日の便でニューヨークから帰国したということもあって、とくに印象深く覚えているんです。テロが勃発したのち、お客様が少なくなったとはいえ、運航が再開したんですけれど、その際、ご搭乗いただいたお客様のなかには、犠牲になられた方々のご遺族もいらして。CAとして乗務した私も、すごく心が痛む、そんな思いをいたしました。ただ、そのときも思ったんです。私たちの運航があるからこそ、ご遺族のかたがたも、ご家族に会いに行くことができるんだと。公共交通機関としての使命感と自負を改めて持ちながらのフライトでした。
――その後、2004年度に国際線は黒字に転換し、いまでは日本の航空業界をリードするエアラインになりました。何が成長の決定打になったと思いますか?
立石:1999年のスターアライアンス加盟、それが大きな転機になったのではないかと思います。それ以前も、自社の路線は増えていましたが、加盟後は、あきらかにネットワークが広がりました。たとえばドイツまでお客様がフライトされたあと、その先は同じスターアライアンスのルフトハンザに乗り継いでドイツ国内を移動されたり、アメリカでもユナイテッドにスムーズにお乗り継ぎいただけるだけでなくラウンジも提携しているとか、利便性が格段に高まり、お客様のご利用のされ方が大きく変化したように思っています。また、同様に海外からのお客様にも、そのようにしてご利用いただける機会が増えることで、お客様の数が大きく伸びたのだと思います。
とはいえ、現場の最前線の社員としてみれば、黒字に転換したと知っても「そうなんだ。良かった。」と思うくらいでしたね。(笑)。
山岸:そうですよね。私も嬉しいというよりは、少しホッとしたというのが正直な感想でしたね。ただ、「日本をリードするエアラインになった」と言われると、この取材前も立石さんと少し話をしていたんですが、ありがたいとは思いますが、実感はあまりないというか……。
「よくぞここまで、這い上がってこられたな」と、それが正直な気持ちです

立石:たしかに、国際線は便数も増えましたし、世界にネットワークも広がって、本当に多くのお客様にご利用いただけるようにはなりました。その点は本当に感慨深いものがあります。「よく、ここまでになれたな」という思いはあります。それはやはり、お客様が私たちANAを信頼し、ご搭乗いただいたからこそだと、そう思っています。
ただ、私たちは、先ほども述べたさまざまな国際情勢という観点で言うと、先のコロナ禍でも大変苦しい時期を過ごしました。私はSARS以上にたいへんな感染症ではないと思い込んでいたところがありましたが、とんでもない、結果的にはとても長い期間、苦しんだわけです。ですから、国際線就航40周年を無事、迎えることができたいま思うのは、「よくぞここまで、這い上がってこられたな」と、それが正直な気持ちです。なので「リードしている」と言われても、まだまだやらなければならないことがたくさんある、という思いが強い。そして、私たちがずっと大切にしてきた“努力と挑戦”を、この先も愚直に続けていく必要があると。その結果が、日本のエアラインをリードする存在に繋がるんだろうと思っています。そもそも、リードして他社より先に行くよりも、先ほど山岸さんもチラッと述べていましたが、常にチャレンジャーであり続けるほうが、私たちらしいのかなと思っています。
山岸:本当にそうなんですよね。数字的にトップであるということと、リードしているというのは、自分の中では少し違うニュアンスでとらえています。リードするというのが、新たなサービスを取り入れることや、新しいものを他社に先駆けて作っていくということならば、別にトップでなくとも、ずっと私たちは行ってきたという自負もありますから。挑戦する姿勢を持ち続けるというのは、国際線初就航の40年前も、その後の赤字時代も、黒字になったいまも、そしてこの先も、ずっと変わらないと思っています。

――今後のANAの国際線について、どんな発展を期待していますか? また、ANA国際線を利用する搭乗客は、どんなことを期待していいでしょうか?
立石:先日、発表した中期の経営戦略では、2030年までに国際線を現状の1.3倍ほどの規模に成長させるとあります。これはまた、かなりのチャレンジだと、私は思っています。
そういったなかで考えるのが、さらなるDX化への挑戦です。コロナ禍の間、少し滞ってしまったDX化の流れを取り返したいと思っています。デジタルの媒体を使って、いままで以上にスムーズに、飛行機に乗りたいと思っていらっしゃるお客様は少なくない。これまで以上にストレスを感じることなく、あたかも電車に乗るようにスムーズに乗れるということが、お客様からも求められていると思っていますし、私たちもしっかりそこはデジタルを駆使しながらスムーズなご搭乗環境を整えていくべきと考えています。
山岸:私が思うのは……先ほど申し上げたように、私の入社当時というのは、海外ではANA=エアラインだということもわかってもらえていないくらい、認知度が低かったんですよね。それがいま、すごく海外での認知度が上がったかといったら、そこはまだまだと思っています。やっぱりこれから先、国際線を成長のエンジンとしていくためには、もっともっと、いろんな人にANAというエアラインを知ってもらう必要があるのかなと。
立石:それはその通りですよね。
山岸:CAとしての目線で言うならば、これまでずっとANAの国際線っていうのは、比率としては日本発のお客様が非常に多かった時期が、歴史的にはすごく長いんです。最近でこそ、海外からのお客様にもたくさんご搭乗いただけていますけれども。この先も、より多くの海外のお客様にご搭乗いただくためには、本当の意味でのグローバルな対応力を上げていかなきゃいけないと考えています。たとえば、宗教的なことや、国ごとに歴史も違えば、その土地ごとの習慣も違い、加えてお客様のお一人おひとりの価値観も違います。どちらかというと日本という国そのものが、そういったことに対しての感度が少し、なんというのか、そこまで研ぎすまされていないと思っていますから。これまで以上に多様に、グローバルな価値観に対応できることで、さまざまな国のお客様に安心してご搭乗いただけるような客室を作ることが、本当に求められていると思います。私たちANAは日本のエアラインであることは間違いないですが、「日本のエアラインだけれどANAはしっかりと、グローバルな価値観を持って一人ひとり価値観が違う私たちのことにも対応してくれているな」というお客様の安心感を、機内で作り上げたいと思っています。
DXへの挑戦、そして“感受性”と“想像力”と“表現力”を大事にお客様と向き合います

立石:そこは旅客部門も同じですね。グランドスタッフは従来、手続きのための情報入力や、その確認のための作業に手間と時間を要していました。ですが、今後はDXやシステムの力を活用することで時間を作れると思いますので。生み出された時間を使って、これまで以上に一人ひとりのお客様が何を求めていらっしゃるのかということとしっかり向き合って、お客様の視点に立って、私たちが何をすべきなのか、そこに思いを巡らせるようにならないといけない。
パリのノートルダム寺院前にて1991年夏。山岸由佳(写真左)提供
山岸:はい。その観点では、CAの教育も非常に重要と認識しています。国籍や宗教の多様性、ダイバーシティをベーシックに教育したうえで、バイアスをかけることなく、目の前のお客様一人ひとりが違う価値観を持っていらっしゃることを理解して、そこに対応できる力をそれぞれ現場のCAたちが磨き上げなければなりません。そのためには、感受性や想像力、さらに表現力が重要になってくる。その点はこれまでも決してやってこなかったわけではないんですけれども、どちらかというと決められたサービスを「こういう手順でしなさい」っていうような教育とか訓練に重きを置いてきたところがあるので。これからはもちろん、その決められた手順をベースに、さらにもっとCAそれぞれが内面を磨いていくような教育も必要と考えています。
立石:同感です。山岸さんがお話しされたように、旅客部門も変化を恐れず、教育や訓練を進化させていく必要がある。手順を覚えるのはもちろんですが、なぜそれをやっているのか。そして、自分が何をすべきかを自分で判断できるようなグランドスタッフを育てていかないといけない、そう思っています。
対談を終えたところで、山岸が古い資料を見せてくれた。

「これ、私が入社した1991年に成田の客室部で、グループごとに作ったものなんです」
当時、成田空港の客室部に所属していたおよそ1200名のCAたちが当時の班単位で、それぞれがANAの将来像についてディスカッションを重ねていたという。
「ただ夢を語るだけではなく、たとえばヨーロッパが“EC”によって、“EU”じゃなく“EC”っていうのが時代を感じますけど(苦笑)、さらに統合された場合の影響を考えたり、アジアから低コストの航空会社の参入や、海運、陸運などエアライン以外の公共交通もハイテク化して競争の激化が予想されるなどなど、当時の情勢を踏まえながら、2000年を迎えたときのANA国際線の将来を皆で語り合ったんです」
資料には “2000年のANA国際線の理想像”として〈共同運航便路線を自社運航にする〉〈全路線をデイリー(連日運航)、あるいは、一日2便に増便する〉〈未就航の大陸や都市へも路線を展開する〉などと記されている。山岸は最後にこう言葉を続けた。

「改めてこの資料を見ると、あの日、私たちが想像した21世紀のANA国際線の姿は、そのほとんどがいま、実現できています。やっぱり想像して、志して、言葉にする。そしてそこに向かって仲間と一丸となって進むということが、いかに大切なのかがわかります」
果たして2036年、就航から半世紀を迎えたANAの国際線は、どんな理想を実現させているのだろうか。
【前編を読む】国際線就航40周年
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