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ANA接客コンテストの頂点は人形作家から転身 娘に背中を見せた母の挑戦

ANA接客コンテストの頂点は人形作家から転身 娘に背中を見せた母の挑戦

ANA REPORT 翼の流儀

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▶︎ Reaching the top through genuine hospitality

▶︎ 以“自然不做作的待客方式”登上顶点

「初挑戦ですし、年齢の割にキャリアもそこまで長くないですし。自信なんて全然ありませんでした。グランプリなんて正直、想定外で……。ただ、コンテスト当日も私、まったく緊張しなかったんです。参加者のなかで、誰よりもあの場を楽しめている、その自覚だけはありました」

「のと里山空港」の愛称で知られる能登空港。そのグランドスタッフで北陸名鉄開発所属の加波千晴、昨年12月の“歓喜の瞬間”を、満面の笑みとともに、こう振り返った。ANAでは2008年度から空港カウンターでチェックイン業務などを行うグランドスタッフの接客技術を評価する「空港カスタマーサービススキルコンテスト」を実施してきた。その目的は「『魅力ある空港』『魅力ある人材』による現場力を発揮して、旅客係員によるお客様へのサービススキルを高め合う」こと。

昨年度、同コンテストでグランプリを獲得したのが加波だった。なるほど、グランプリ獲得も頷ける、取材中も決して絶えることのない朗らかな笑顔が印象的な加波。だが、その顔が少しだけ曇る瞬間があった。

「私が生きてきた48年間のなかでも、去年は本当に濃密で、激動で……。いま思い返しても、いろいろなことがありすぎて、ちょっと頭が追いつかない、そんな1年でした」

2024年の元日。加波が暮らし、働く石川県能登地方を、巨大地震が襲った。震災からの復興が本格化し始めた矢先、同年9月には未曾有の豪雨災害も。今回は「激動の1年」を経て、ANAの国内・海外計94空港、およそ70000人に及ぶグランドスタッフの頂点に立った加波が語る“接遇の極意”――。

一度は航空業界とは違う道に進んだ

「結婚を機に、私はこちら、能登に移り住みました」
加波は福岡県で生まれ育った。冒頭のコメントにあるように、当初から航空業界でキャリアをスタートしたわけではない。短大卒業後、地元の百貨店に就職。催事担当を務めるなか、石川県輪島市で漆器店を営み、自身も輪島塗の職人をしている男性と出会い、23歳で結婚した。

「じつは短大進学のころも、航空業界への憧れは抱いていたんです。それで英語科を選びましたが、心の準備もできないうちにあっという間に就職活動の時期が来て。なんとなく心残りがあるまま別業界に就職して、結婚して、能登に引っ越してきて。そしてすぐ、子どもに恵まれて……」

育児をしながら、自宅でできる仕事を探した加波。もともと手先の器用さには自信があった。

「細かな手作業が大好きでした。進学のときも英語科に行くか、美術系の学校に進むか悩んだほど。それで、子育てをしながら人形作家を目指すことに。高名な人形作家の先生のところに足を運んで教えを乞うたりして。20代後半から30代のおよそ10年間、創作人形作家として活動しました。教室を開いたり、個展を開催したりしました。大阪・阿倍野の百貨店で人形展を開いたこともあるんです」

数多の人形の写真がアップされた加波のSNS。そのアカウントの肩書きは現在も「人形作家」だ。過去の投稿を遡りながら「この人形の写真は、信用金庫のカレンダーになったんです」と嬉しそうに振り返る。自他ともに認める人気の人形作家が、どうして空港のグランドスタッフとなったのか。「きっかけは娘なんです」こう言って加波は、また朗らかに笑った。

「高校生になった娘と、進路の話をしていて。ところが、娘に『こんな道を目指してみたら?』と話しても、当の娘は思春期特有の拗ねたような反応で。『私にはできない』とか『そんなの無理』と答えるばかり。私、その態度にカチンときちゃって。『やってみんとわからんやない!』って」つい大きな声を出したところで、加波は我に返ったという。「思い返してみれば、『将来、航空業界で働きたい』と、英語科に進学したのに、チャレンジもせず早々に諦めた。そんな私に、娘を諭す資格なんてないんじゃないかなと。まず、私自身が堂々と娘に助言できるようにならなくちゃ、そう考えたんです」

ちょうどそのころ、能登空港の求人があった。
「開港した当初からずっと気になっていたんです。いつか働いてみたいなと。そのとき、私は39歳。娘のため、というのがきっかけではありましたが、ラストチャンスという思いも。『これでダメならキッパリ諦める』と、思い切って応募したんです」
こうして加波は2018年、能登空港のグランドスタッフに。そして、夢を叶えた母の姿を目の当たりにした愛娘は、猛勉強の末、第一志望の大学に進み、夢だったホテリエになった。

信条は「見て見ぬふりをしない」

「40歳の新入社員でしたから。プライドをかなぐり捨てるのは当然で。たとえ年下でも、先輩の言うことはなんでも聞こう、そう思って働き始めました」

グランドスタッフの業務をこなすには、保安や接遇に関する膨大な量の規定を頭に叩き込まなくてはならない。そのほか、搭乗券購入やチェックインの端末の操作、搭乗ゲートの改札機の操作など、覚えなければならないことは山のようにある。

「元来、物覚えがよくないのもあってか、脳みそが追いついてきてくれなくて(苦笑)。一度覚えたことも、規定が変わったり新システムが導入されたり、学び直さないといけないことが日々、出てくるんです」入社8年目のいまも「毎日勉強に追われてます」と笑う。

「成績を多角形で表すチャートがあるじゃないですか。年の功だと思うんですが、私、お客様とお話ししたり、おもてなしするのは大好きですし、得意なんです。その部門だけはピンッとグラフが尖るほどの好成績をいただけるかなと自負してます。でも、端末の操作だとか、そのほかはおしなべて苦手、凹んでるんじゃないかと。バランスよく成長できてないんです」

こう言ってしきりに謙遜する加波。だが、バランスが悪く思えるのは、彼女の「おもてなし力」が突出した高得点を挙げているからに他ならない。先日もこんなことが。「『マイルの使い方がわからない』と、よく空港を利用してくださる年配のお客様がいらして。カウンターで一緒にスマホを見ながら『こうすればいいんですよ』とお教えしたんですが、後日『やっぱり自分一人では無理だった』と残念そうに。それで私、マイルを上手に使うための手書きのフローチャートを作って、そのお客様にお渡ししたんです」

そのほかにも「東京に相撲観戦に行く」という常連の搭乗客には、羽田空港から国技館までの行き方を、一緒になって調べたり。「もちろん、私の手が空いてる時間だったから」と加波はまた、いつもの笑みを浮かべる。「『ウェブで見てください』とか『羽田空港で聞いてください』とお答えするだけなら、じつに簡単なんですが、それではお客様が、答えに辿り着けないかもしれない。ネット検索がお得意な方なら、それで事足りるかもしれないけれど、全員がそうとは限りません。私、中途半端に放り出したくないんです」

加波の信条は「困っているお客様がいたら、決して見て見ぬふりはしない」。「これも年の功なのか、私、怒り心頭に発するような状態だったお客様と、のちのち仲良くなるんです。ちょっと近寄りがたいぐらい、大声を上げて怒っているような方にも、自分から積極的に話しかけます。というのも、怒っているお客様というのは、じつは、とてもお困りで、パニックを起こしているケースが少なくないから。そういう方を放ってはおけないんです」

震災の対応で、足を棒にして動き回った

「お客様の携帯電話の警報音が一斉に鳴りました。その直後、立っていられないほどの大きな揺れが……」

2024年1月1日、午後4時10分。能登地方を最大震度7の地震が襲ったその瞬間も、加波の姿は空港にあった。発災以降、空港には搭乗予定だった人や見送り、出迎えの人、さらには近隣の住民ら、合わせて600人ほどが身を寄せた。加波たちスタッフも同じく被災した身だが、彼女らはすべての便が運休になった空港で、いつにも増してホスピタリティ溢れる対応に努めていた。

「ANAのビブスを着用していたからか、避難してこられた方々は『この人にお願いすれば聞いてもらえる』と思っていたみたいでした。『お水はないですか?』と聞かれれば、水を運んで差し上げて、『段ボールはないですか?』と頼まれれば探して運んで。一つ用事を済ませるため構内を歩いていると、また別のことをお願いされるという感じで、夜通し動き回っていました」

緊急時であっても、加波のおもてなしの信条に、変化はない。

「『わかりません』って言うのは簡単。『段ボール?その辺りにありますよ』とか『お水は受付で配ってます』とお教えするだけでよかったのかもしれません。でも、やっぱり、困っている人を横目に『知らん顔』はしたくない。助けを必要としている人がいたら、できる限りのことはしてあげたい。それが私だし、能登空港のグランドスタッフなんです。皆が皆、寝る間も惜しんで、足を棒にして頑張ったと思います」

2024年が、間もなく幕を閉じようとしていた12月11日。先述したとおり、加波は空港カスタマーサービススキルコンテストで「よそ行きではない普段着の接遇」を心がけ、見事、グランプリを獲得した。

「空港所長をはじめ、能登空港の皆が自分のことのように喜んでくれたのは本当に嬉しかった。また、『優勝おめでとう』とお声をかけてくださるお客様や、わざわざお祝いを伝えに能登までいらしてくださるお客様もいて。反響の大きさに改めて驚くと同時に、グランプリが獲れて、本当に良かったなと思っています」

加波の朗らかで揺るぎないおもてなしの心が、激動の1年を締め括り、周囲の人たちを少しだけ笑顔にした、原動力だった。

「将来?そうですね、制服が『もう似合わないな』と思うまでは、グランドスタッフを続けていたいですね」

取材・文 仲本剛
撮影 水野竜也

Reaching the top through genuine hospitality

From doll making to the airline industry, Noto Airport’s customer service award-winning ground staff member

“I wasn’t confident at all,” says Chiharu Kaba, the Noto Airport ground staff and winner of the Airport Customer Service Skills Contest. Chiharu changed careers into the airline industry when she was 39. Years later, in 2024, Noto was struck by an earthquake and a torrential rain disaster. Today, we’ll take a look at her career thus far and introduce you to her style of hospitality that won the contest.

“It was my first time entering the contest, and I hadn’t been working here that long, given my age. I wasn’t confident at all, so winning the contest came as a surprise…”

Noto Airport, more affectionately known as Noto Satoyama Airport. Today, we’re joined by Chiharu Kaba, an airport ground staff member working for Hokuriku Meitetsu Development, who smiles from ear to ear as she reflects on her “moment of joy” from December of last year.

Since 2008, ANA has been holding the Airport Customer Service Skills Contest, which evaluates the customer service skills of ground staff involved with airport counter check-in procedures. Last year, the grand prize went to Chiharu.

Chiharu left quite an impression on us as her smile didn’t fade even once throughout the interview. There was, however, a brief moment when her face clouded over.

Chiharu: In my 48 years of life, last year was probably the most intense and chaotic it’s ever been. Looking back on it, so many things happened that I don’t even know where to start.

On New Year’s Day in 2024, the Noto region of Ishikawa Prefecture, where Chiharu lives and works, was struck by a massive earthquake. Later that year, in September, just as earthquake recovery efforts were starting to pick up, the area was hit with unprecedented torrential rainfall, causing another disaster.

It has been one year since all the chaos. Chiharu now stands at the front of ANA’s ground staff of about 7,000 people over 94 domestic and overseas airports. In this issue of Wings Style, she lets us in on the secrets of hospitality.

She wasn’t always walking the path of the airline industry

Chiharu became a Noto Airport ground staff member when she was 40. She said that although most of her instructors were in their thirties, she wasn’t concerned at all and was ready to swallow her pride. Since then, however, she has demonstrated remarkable hospitality skills that she takes pride in, making herself and her skills indispensable to the airport.

Chiharu moved to Noto after she got married.

She was born and raised in Fukuoka Prefecture, and as mentioned at the beginning of this edition, her career did not begin in the airline industry. After finishing junior college, she began working at a local department store. While working as an event manager, she met a Wajima lacquerware craftsman and later married him at the age of 23.

Chiharu: To be honest, I’ve always wanted to work in the airline industry since my junior college days, and I even decided to major in English because of that. However, before I knew it, it was time to look for a job, and since I still wasn’t mentally prepared for it, I regretfully ended up working in a different industry. Then I got married and moved to Noto, where I was soon blessed with a child…

She looked for jobs where she could work from home while raising her child. Working with her hands had always been one of her strong points, and she was confident in her abilities.

Before becoming a member of the ground staff, Chiharu was a popular doll maker who even held exhibitions throughout the country.

Chiharu: When it became time to think about college, I was torn between going to an art school or studying English. So this time around, I decided to become a doll maker on the side of raising my child. I visited and received guidance from many renowned doll makers. For about 10 years between my late 20s and 30s, I was active making original dolls. I’ve held classes and solo exhibitions, one of which was at a department store in Abeno Ward, Osaka.

Her social media accounts are full of photos of dolls she’s made. Scrolling through past posts with joy, she points out the picture of one doll that was used in a Shinkin Bank calendar. So, how did this doll maker who became popular and renowned herself end up as a ground staff member at an airport?

With cheer lighting up her face as she spoke, she said, “It was thanks to my daughter.”

Chiharu: I was having a conversation with my daughter, who had just entered high school at the time, about her future. Being that age, she would simply respond with things like, “I can’t do that,” or “That’s impossible.” Annoyed by her attitude, I blurted out “You won’t know until you’ve tried!”

After that sudden outburst, Chiharu collected herself again.
Chiharu: Looking back at myself, the reason why I studied English was because I wanted to work in the airline industry. However, I gave up on it without ever trying myself, so I began to feel like I didn’t have the right to judge her. I then thought to myself, if I truly want to give my daughter advice, I first need to become someone who has the confidence to do so.
Just around that time, I came across a job opening at Noto Airport.

Chiharu: I was 39 when I applied for the position. While my daughter was the reason why I applied, I also felt like this would be my last chance, so it was now or never.”

True to her word, in 2018, Chiharu became a member of the ground staff at Noto Airport. Her daughter, inspired by her mother achieving her dream, studied hard and went on to her first-choice university, afterwards eventually achieving her own dream of becoming a hotelier.

Her belief is “Don’t turn a blind eye”

Ground staff duties require a significant amount of memorization for things like security issues and customer service, procedures for purchasing boarding passes, check-in terminal operation, and ticket-gate operation at the boarding gates.

Chiharu: I’ve never been good at memorizing things, so it can be hard for me to keep up. [smiles wryly] There are things I’ve learned that have to be relearned every day, thanks to changes in regulations or the introduction of a new system.

With laughter, she says that she’s still busy studying every day despite this being her eighth year here.

Chiharu giving boarding announcements. Being congratulated by a passenger on winning the contest, she says, “I’m surprised at how much attention the contest has received. I’ll continue doing the best work I can.”

Chiharu: I enjoy talking with our customers. After all, customer service isn’t just something I like, but it’s what I’m good at. What I’m not good at, however, is everything else, including terminal operation. My growth here hasn’t been balanced.

With those words, she expressed humility. After all, the reason behind her unbalanced growth is due to her outstanding customer service skills, which outweigh everything else. She goes on to talk about an incident from the other day.

Chiharu: An elderly frequent flyer told me they didn’t know how to use their miles. Using a smartphone together at the counter, I showed them how, but days later, they came back looking defeated, having not been able to do it on their own after all. Hearing that, I drew up a flowchart on how to use miles effectively and handed it to them.

On another occasion, she tells us with a smile how she helped a regular customer bound for Tokyo to watch sumo with directions from Haneda Airport to the Kokugikan National Sumo Arena. She noted, though, that that was only possible because she had some time on her hands.

Chiharu: Of course, the easy thing to do would be to tell them to check online, or to ask at Haneda Airport, but in the end, I wouldn’t know if the customer would get what they were looking for, and I wouldn’t want to leave a customer like that.

“If a customer is in need, I will never turn a blind eye,” are the words behind Chiharu’s work ethic.

She also states that she eventually even befriends customers who were furious over something. Upset customers who shout angrily are usually difficult to approach, but Chiharu takes the initiative and reaches out to talk to them. She upholds her work ethic even for those types of customers.

We worked our legs off helping everyone in response to the earthquake

Chiharu: Everyone’s mobile phone alerts went off at once, immediately followed by tremors so strong we couldn’t stand…

On January 1, 2024, an earthquake measuring 7 on the seismic intensity scale struck the Noto region. Chiharu was at the airport at the time.

In the immediate aftermath of the quake, about 600 people in total took shelter at the airport, including boarding and arriving passengers, their greeting parties, and even local residents. While Chiharu and other staff too, were affected by the disaster, because all flights had been suspended, they worked harder than ever to provide the maximum hospitality possible.

Chiharu: Perhaps because we were wearing ANA safety vests, those taking refuge thought we would assist them with everything. Whether they were asking for water or even cardboard boxes to sit or sleep on, we would find and deliver them. But while doing one task for one person, another would ask for another, so we were on the move non-stop all night.

Even during emergencies, Chiharu upholds the beliefs behind her hospitality.

Chiharu: We could have easily said we didn’t know when asked about things, or simply told them where things are instead of getting them ourselves, but I just can’t bring myself to feign ignorance and leave people in need. If there’s someone in need of assistance, then I want to help them however I can. That’s who I am, and who the ground staff at Noto Airport are. We worked our legs off for everyone, even giving up our own sleep.

On December 11, 2024, as the year was winding down, Chiharu, with just her determination and her admirable, genuine hospitality, took home the grand prize in the Airport Customer Service Skills Contest.

Chiharu: What made me happy was that everyone in Noto Airport, including the director, celebrated my win as if it were their own, and even customers extended their congratulations. I was surprised at the overwhelming responses to my win, but also truly glad I took home the grand prize.

Closing out the year of chaos, Chiharu’s cheerful and unwavering spirit of hospitality brought smiles to the faces of those around her.

Chiharu: Thinking about my future, well… until the day I think I’ve outgrown this uniform, I’d like to continue on here as a member of the ground staff.

Chiharu says, “My daughter, who made this job opportunity possible for me, is now a hotelier. Inspired by the contest I took part in, she studied hard for a promotional exam and passed.”

Photographer: Tatsuya Mizuno, Interviewer/writer: Takeshi Nakamoto

以“自然不做作的待客方式”登上顶点

因服务水平而获奖的能登机场地勤人员——人偶艺术家转行进入航空业

“我完全没有自信”——这样说道的是在评估地勤人员服务水平的“机场客户服务技能大赛”中拔得头筹的能登机场员工加波千晴。她在39岁时转行进入航空业,经历了地震与暴雨肆虐的2024年。本文将回顾她迄今为止的职业经历,并介绍她在比赛中展现出的“款待之道”。

“这是我第一次挑战,而且相比年龄来说,我的资历也并不算长。完全没有自信。能拿到优胜,说实话,完全是意料之外……”
  以“能登里山机场”的爱称而闻名能登机场。隶属于北陆名铁开发、担任地勤工作的加波千晴,在满脸笑容中这样回忆起去年12月的“喜悦的瞬间”。
  全日空自2008年起举办“机场客服技能大赛”,对在机场柜台负责办理值机手续等业务的地勤人员的服务水平进行评估。而在上一年度的比赛中,优胜的正是加波。
  在采访过程中,加波始终挂着灿烂的笑容,给人留下了深刻印象。然而,也有那么一刻,她的笑容略显黯淡。
 “在我度过的48年人生中,去年真的是最充实、最动荡的一年……现在回想起来,这一年发生了太多事情,多到让我一时间都理不清。”
  2024年元旦,一场强烈地震袭击了加波生活和工作的石川县能登地区。就在震后重建刚刚开始步入正轨之际,同年9月,又遭遇了前所未有的暴雨灾害。
  本次,让我们听听加波如何讲述她的“待客之道”——这位在经历“动荡的一年”后,站上全日空旗下遍布国内外共94个机场、约7000名地勤人员之巅的冠军。

曾经一度走上 与航空业截然不同的道路

加波成为能登机场地勤人员是在她40岁的时候。“前辈们大多是二十多岁。但我根本没空去在意这些。我下定决心抛弃所谓的自负。”此后,她发挥了自己引以为傲的“待客之道”,如今已成为机场中不可或缺的存在。”

“因为结婚,我搬到了能登。”
  加波出生并成长于福冈县。正如开头所说,她的职业生涯并非一开始就在航空业。短期大学毕业后,她进入当地的一家百货公司工作,负责活动策划。在此期间,她结识了一位从事轮岛漆器制作的男士,并于23岁时结婚。
 “其实,在短期大学的时候,我也怀抱着对航空业的憧憬,所以选择了英语专业。但还没来得及做好心理准备,找工作的时间就匆匆而至。带着些许遗憾,我就这样进入了完全不同的行业,后来结婚,搬到了能登。之后很快就有了孩子……”
  一边照顾孩子,加波一边寻找可以在家完成的工作。她本来就对自己的手工能力很有自信。
 “升学时我曾纠结是读英语专业还是艺术类学校。在育儿的同时,我决定成为一名人偶艺术家。我曾拜访多位知名人偶艺术家,向他们请教。从25岁后到35岁这大约十年的时间里,我作为创作人偶艺术家活动,开设过工作室,也举办过个人展。曾在大阪阿倍野的一家百货商店举办过人偶展。”
  加波在社交媒体上传了许多她制作的人偶照片。回顾过去的帖子时,她高兴地说:“这张人偶的照片还曾被用作信用金库的日历呢。”这位声名远播的人偶艺术家为何会转行成为机场地勤人员呢?
 “契机是我的女儿。”加波这样说着,又露出了灿烂的笑容。
 “我和在读高中的女儿聊起了她的未来道路。当我跟女儿说‘不如试试这条路吧?’时,仿佛青春期特有的叛逆一般,她却倔强地回应我说‘我做不到’或者‘那是不可能的’。我听了她这样的态度,有点气恼,便说:‘不试试怎么知道呢!’”
  当不小心提高了声音后,加波冷静了下来。
 “回想起来,明明是因为想‘将来在航空业工作’才选择了英语专业,但却没有勇气去挑战,早早地就放弃了。像我这样的人,哪有什么资格去劝诫女儿呢?我觉得,首先自己得变得更加自信,才能堂堂正正地给女儿建议。”
  就在那时,能登机场发布了招聘信息。
 “那时我39岁。虽然最初是为了女儿,但我也抱着最后一次机会的心态。心想‘如果这次不行,那就干脆放弃’,于是鼓起勇气报名了。”
  就这样,加波于2018年成为了能登机场的地勤人员。看到实现梦想的母亲,女儿也努力学习,最终考上了第一志愿的大学,成为了梦想中的酒店从业者。

在成为地勤人员之前,加波是一位人气颇高的人偶艺术家,曾在全日本举办个人展。

信条是“绝不能视而不见”

  要胜任地勤人员的工作,必须牢牢记住大量关于安保与待客的相关规定。除此之外,还要掌握购票、办理登机手续所用设备的操作方法,以及登机口检票机的操作等,需要学习和记住的事项可谓多如牛毛。
 “可能是因为我本来就不太擅长记东西吧,大脑总是跟不上节奏(笑)。就算好不容易记住了,有时规定会更改,或者引进了新的系统,每天都有需要重新学习的内容。”
  即使入职已满八年,如今的她依然笑着说:“每天都忙着学习。”
 “我很喜欢跟客人交流、提供服务,也很擅长这些。但像操作设备之类等方面我基本都不太拿手。一直没能做到均衡发展。”加波谦虚地自我评价。可之所以会觉得“不均衡”,只是因为她的“待客能力”实在过于突出。前些日子就发生了这样一件事。
 “有一位经常来机场的年长乘客对我说,‘我不太会用里程’。于是我就在柜台上陪着看手机,一边操作一边教学‘这样操作就可以了’。但过了几天,客人又来了,沮丧地说‘果然我一个人还是不行’。所以我就亲手画了一个使用里程的流程图,交给了对方。”
  除此之外,对于一位说要去东京看相扑比赛的常客,加波还陪着他一起查找从羽田机场前往国技馆的路线。对此,加波依旧露出她那标志性的笑容,说道:“当然,那是因为当时我正好有空。”
 “要是只回答一句‘请上网查一下’或者‘到了羽田机场再问问吧’,当然是最轻松的做法。但那样一来,客人可能根本找不到答案。我不想半途而废地把客人丢在一边。”
  加波的信条是“客人有困难,绝不能视而不见”。
 “有些客人一开始气得火冒三丈,但后来却成了我的熟人。即使是那种一看就让人有点退避三舍、情绪激动大声喊叫的客人,我也会主动去跟他们说话。我没办法对那样的人置之不理。”

正在引导乘客登机的加波,收到了乘客的一句“恭喜你获得冠军”。她表示:“我很惊讶这次比赛的关注度这么高。也意识到自己更要打起精神,全力以赴地投入工作。”

应对地震灾害 腿都跑断了

“顾客们的手机警报声同时响起。紧接着,发生了足以让人站立不稳的强烈摇晃……”
  2024年1月1日,能登地区遭受最高震度7级地震袭击的那一刻,加波仍坚守在机场。
  灾害发生后,机场聚集了准备搭乘航班的旅客、送行和迎接的亲友,以及附近居民,共约600人。加波和其他员工虽然也身处灾区,但在航班停飞的机场,他们比以往更加用心地提供了充满人情味的服务。
 “可能是因为我穿着全日空的背心,前来避难的人们似乎都觉得找我可以帮忙。有人需要水,我就帮忙搬水;有人需要硬纸板,我就帮忙找并搬运。每完成一件事,在机场里走着走着,又会被请去帮忙别的事情,就这样一直忙到深夜。”
  即使在紧急时刻,加波的待客信条始终如一。
 “说‘我不知道’当然很简单。只是告诉他们‘纸箱?就在附近’也许就够了。但我真的不想对那些遇到困难的人视而不见。如果有人需要帮助,我会尽我所能去帮他们。这就是我,也是能登机场的地勤人员。我觉得大家都废寝忘食,拼尽全力奔波努力着。”
  2024年末的12月11日,正如前文所述,加波在“机场客户服务技能大赛”中秉持着“自然不做作的待客方式”,成功夺冠。
 “能登机场的所有人,包括机场所长,都像是自己得奖一样替我高兴,真的让我非常感动。还有客人对我说‘恭喜你获得冠军’,让我再次感受到这次获奖带来的巨大反响,也让我由衷地觉得,能拿下这个冠军,真的是太好了。” 
  加波那份开朗、始终如一的待客之心,成为这动荡一年最后的温暖注脚,也是带给身边人笑容的原动力。
 “将来吗?我想想。只要还穿得了这身制服,我就会一直将地勤的工作继续下去。”

“让我走上这份工作的契机,是我的女儿。如今她成为了一名酒店从业者。她因为我夺冠的消息而受到激励,努力学习并顺利通过了晋升考试。”

摄影:水野龙也 采访/撰稿:仲本刚