葉加瀬太郎が作曲したANAのあの名曲 誕生秘話を井上慎一社長と語る
「多くのお客様に愛されているANAの機内音楽Another Sky。今日はその誕生のエピソードを、ぜひうかがってみたいと思っています」

2002年、ANA創立50周年を記念し、制作されたAnother Sky。世界的なヴァイオリニスト・葉加瀬太郎さんによって作曲・演奏されたもので、20年以上にわたって数多くの搭乗客に親しまれてきた。
FM番組『ANA WORLD AIR CURRENT』(J-WAVE) の放送が始まった2000年4月から、結びつきを深めてきた葉加瀬さんとANA。さらに、コロナ禍で航空業界が苦境に立たされていた2021年には、葉加瀬さんからの呼びかけで、ANAグループ社員で構成される「ANA Team HND Orchestra」(通称・羽オケ)とのコラボレーションも実現。その際、演奏されたのは、やっぱりAnother Sky だった。
今回は、そんな熱い絆で結ばれた葉加瀬さんとANA 井上社長による特別対談をお届けします。
最初のミーティング中にAnother Skyは“降りてきた”

井上 機内音楽・Another Skyは本当に多くのお客様に愛していただいています。また、私どもの社員もみな、大好きな曲です。素晴らしい曲を、本当にありがとうございます。
葉加瀬 こちらこそです。こんなに長い間、使っていただいて、本当に嬉しく思っています。
井上 長く使わせていただいている背景、それは熱烈なファンがとても多いから。日本の方はもちろん、海外の方もこの曲を聴くと「ああ、ANAだ、日本だ」、そう感じてくださる、そういうお客様がたくさんいらっしゃいます。Another Skyはまさに、ANAのテーマ曲です。
葉加瀬 ありがとうございます。正直言いますと、作曲した当時はこんなに長期間、使っていただけるなんて思ってもいませんでした。そして、長く使っていただいたからこそ、曲に命が宿ったとも思っています。もし1年、2年で終わっていたら、曲の命もそこで途絶えていたはずです。ずっと使っていただいて、多くの方の耳に馴染みのある曲に成長できた。いまでは僕自身、コンサートでたびたび演奏する曲にもなりました。
井上 その素晴らしい楽曲、Another Skyの誕生秘話を、教えてください。弊社は2000年4月からFM番組『ANA WORLD AIR CURRENT』の提供を開始させていただきました。ここから、葉加瀬さんとのお付き合いも始まるわけです。
葉加瀬 そうでした。
井上 その後、創業50周年を迎えるにあたって、改めて企業のイメージ曲を作りたいという企画が立ち上がり、当時の宣伝部長が「それならぜひ、葉加瀬さんにお願いしよう」と。それがAnother Sky誕生の端緒でした。

葉加瀬 そのとおりです。部長さんがJ-WAVEの収録スタジオまで来てくださって。「曲を書いてほしい」とご依頼くださったこと、そして、すぐにその場のみなさんと、ブレインストーミングを始めたことをよく覚えています。というのも、僕はこれまで、さまざまな企業や自治体の方とお仕事をさせていただいておりますが、企画書を拝見するだけでは、なかなか曲のイメージは湧いてこないんです。ところが僕に「曲を書いてほしい」と思ってくださった方と直接お話をさせていただくと、もう、事はとっても早いんです。
井上 そうなんですか?
葉加瀬 はい。その方のパッションのようなものが伝わってくるんです。僕としては、もちろんANAの曲を書こうと考えるわけですが、気分としては、もう目の前のその人のために書きたい、となる。
井上 当時の宣伝部長は、かつての私の上司ですが、たしかに仕事に対するパッションにかけては人一倍熱い、そういう人でした(笑)。
葉加瀬 本当に、すごい熱意をぶつけてくださいました(笑)。そして、そうなると僕の場合、概ねいつも起こる現象なんですが……会議中に、メロディがふっと降りてくるんですよ。
井上 え、そんなふうに、曲って生まれるんですか?
葉加瀬 本当にそう。それで、浮かんだメロディをササッとその場で書き留めて……。
井上 その部長も「すごいものを目撃した!」と驚愕しておりました。いま、おっしゃったとおり、その場で葉加瀬さんは鼻歌まじりに譜面を書き上げてくださったと。
葉加瀬 はい。曲を作ることって、そのきっかけを掴むことが大切なんです。最初の0から1を生み出す瞬間が何より重要で。あのときも、部長さんも交えての会議中に楽曲のイメージが降りてきて、そう、まさにメロディの冒頭の部分ですね。その降りてきたメロディをみなさんの前で声に出して歌いながら走り書きで譜面を起こして「お、いけるかも⁉」と思ったのを覚えています。その後、デモテープの完成まではあっという間だったと思います。
井上 はい、本当に短時間で、ほぼ完成形というデモテープが送られてきたと聞いておりましたが……そんなふうにしてAnother Skyは生まれたんですね。
葉加瀬 はい。でも、本当に長く愛していただいて、僕も嬉しいです。当時からANAをよく利用させていただいていて。最初のうちは機内で自分の曲が流れてくるのが照れ臭いというか、少し恥ずかしかった。また、これは最近もそうですけど、私が搭乗していることに気づいたCAさんが気を遣ってくださるのか、少しボリュームを上げてくれたり(笑)。
でもですね、僕としてはすでに納品を済ませてしまった曲なんです。そして、聴けば聴くほど「あそこを直したい、あ、こっちも直したい」と、アイディアが次々に浮かんできてしまって、もうキリがないんです。ですから、ANAに乗るときは、申し訳ないんですが、できる限り耳を塞いでおくようにしています(笑)。

転機となった“世界の歌姫”との3年間
井上 今回、対談をさせていただくうえで、改めて葉加瀬さんの経歴を拝見しました。そこで、やはりとても印象深かったのが、セリーヌ・ディオンさんとの共演です。1995年にセリーヌさんと共作されたTo Love You Moreが130万枚以上という大ヒットになった。
葉加瀬 はい、そうです。
井上 ワールドツアーにも3年間、ご同行されていますよね。
葉加瀬 はい。
井上 配信動画も拝見しました。世界100カ国を巡られたんですか?
葉加瀬 100回ぐらいコンサートをした、ということですね。国や都市の数で言うと、もっと少ないと思います。でも、全米ツアーはもちろん、ヨーロッパ、オセアニア……3年かけて、世界の主だった国々には行かせていただきました。
井上 そこから、文字どおり“世界の葉加瀬太郎”になられた。
葉加瀬 ありがとうございます。
井上 そもそもなんですが、どうしてセリーヌさんとお仕事をすることに?
葉加瀬 それ以前に僕がやっておりました「KRYZLER & KOMPANY」の演奏を、セリーヌのプロデューサーであるデイヴィッド・フォスターが見てくれていて。「面白い!」と感じてくださった。当時、セリーヌはまだまだ売り出し中だったんですが「素晴らしい歌手がいるから、一緒に何か作らないか?」ということで声をかけてくださって。そして、日本のテレビドラマのテーマ音楽として制作したのが、To Love You Moreでした。ですから、アメリカなど彼女が世界向けにリリースしたアルバムには、当初は未収録の曲だったんです。でも、セリーヌもすごく気に入ってくれていた。
95〜96年というのは、僕はちょうどバンドを、KRYZLER & KOMPANYを解散した時期にも重なるんです。そこで、セリーヌ側から「そうであるなら、1曲でもいいからスペシャルゲストとして公演に弾きに来ないか?」とお誘いをいただいたんです。彼女のルーツの地、カナダ・モントリオールで演奏したり、あるいはシドニーで演奏したり、何度か試験的に参加したところ、セリーヌも、デイヴィッドもすごく手応えを感じてくれて。客席もすごく盛り上がるんですよ、僕があの曲を演奏すると。
井上 私も映像を、拝見しました。ものすごい盛り上がりでした。

葉加瀬 ところが、先ほども申し上げたように、To Love You Moreは日本以外の国では未発表の曲でしたから。どの国でも、演奏するとそこから火がついて、ラジオでオンエアされるようになった。数あるセリーヌの楽曲のなかでも「ちょっと不思議な、誰も知らない、だけど名曲だ」ということになったんです。そののち、アメリカでもちゃんとアルバムに収録されリリースされることになり、そこからはドン、ドン、ドンとヒットしていったんです。
井上 なるほど、そのような経緯があったんですね。
葉加瀬 ですから、ちょっと“前時代的”と言いますか、ラジオから火がつくなんて、なかなかいまの時代ではないことなんですけれどね。そういうことで、あの曲が全世界的にヒットしたこともあって、僕もずっとツアーに帯同させていただくことになりました。ちょうどそれは、あの映画『タイタニック』(1997年)が大ヒットし、セリーヌがアカデミー賞とグラミー賞をダブルで受賞した時期。つまり僕はトップ・オブ・トップの歌手のツアーに、ずっと同行するという、貴重な経験をさせてもらったわけです。どの国、どの街に行っても5万人超の観客が迎えてくれました。なかでも、いちばん大きかった会場は、フランス・パリのスタッド・ド・フランス。10万人×2デイズでした。
井上 え、10万人が2日間!
葉加瀬 はい。そこは、パリ市内から少し離れたところにあります。コンサートが終わったら、10万人の観客の移動に巻き込まれないようセリーヌも、我々バンドのメンバーも、直ちにバスに乗り込み市内に向かうのですが、そこはパリ市警の白バイ、10台ほどの先導付きなんです。まるでモーゼの十戒のように、目の前で車のうねがキレイに分かれていくさまは圧巻でした。パリ市内に入ってからも、赤信号は全部スルーです。
井上 なかなかできない経験ですね。
葉加瀬 本当に、めったにできない経験をさせてもらいました。いい思い出です。
井上 世界の歌姫となったセリーヌさんと時間を共有して、葉加瀬さんご自身に変化はありましたか?

葉加瀬 そうですね、エンターテインメントの力といったものを、教えていただいたと思っています。彼女のチームというのは、本当に家族的なんです。セリーヌは14人きょうだいの末っ子なんです。お父さんもお母さんもミュージシャンで、彼女が小さいころからずっと、家族でバンに乗り込んで、田舎町を巡りながらカントリーソングを披露していく“一座”のような、そんなファミリーバンドが彼女の原点なんです。
そして、スターの座を駆け上がった当時も、家族も含めて、彼女がとても若かったころのままのメンバーと、ずっと一緒にやっていた。一般的には、あそこまでブレイクしたアーティストは、ニューヨークやロサンゼルスのトッププレーヤーたちを雇ってツアーをすることが多いんです。でも、彼女はかたくなに地元の人たちと、小さいころからよく知るミュージシャンたちと、一緒に続けていたんです。
井上 そうなんですか?
葉加瀬 はい。だから、彼女たちはカナダ人ですけど、セリーヌ本人はもちろん、バンドのメンバーも、いわゆる“アメリカン・ドリーム”みたいなものをストレートに、わかりやすく体現していたと思います。
井上 地方から出てきて、成功を勝ち取った?
葉加瀬 はい。そこが、彼女の歌の真髄だと思うんです。歌い上げたとき、時折ドンドンドンと、力強く自分の胸を叩いて「いくぞー!」とみんなを鼓舞したりする。そんな様子を3年間、ずっと横で見てきました。じつは、僕と彼女は同い年なんです。「セリーヌ・ディオンはどんな人ですか?」と聞かれることも少なくなかったんですが、僕は「バレーボール部のキャプテン」と答えてたんです(笑)。まさしく、そういう感じでチームをまとめ上げ、引っ張っていく本当に体育会系の、クラブの部長さんみたいな人なんです。

井上 私もいくつか動画を拝見しましたが、強烈なリーダーシップが垣間見えました。
葉加瀬 そうなんです。どんどん売れて、チームの規模が大きくなっても、彼女の牽引力は変わらなかった。舞台上で力強くバンドを鼓舞したかと思えば、舞台裏でも、あらゆるスタッフに気を配っていた。そういったエンターテインメントの裏側、バックステージでの振る舞いの大切さなどを、僕はすごく学びました。日本に帰ってきて自分のツアーをやるときも、メンバーやスタッフとどういうふうに付き合っていくべきなのかということを、すごく気にかけるようになりました。
対談の続きはこちら
葉加瀬 太郎 (はかせ たろう)
大阪府出身。1990年、KRYZLER&KOMPANY のヴァイオリニストとしてデビューし、セリーヌ・ディオンとの共演などで世界的アーティストに。2002年、自身が音楽総監督を務めるレーベル HATS を設立。デビュー35周年にあたる 2025年は、春に『オーケストラコンサート 2025〜The Symphonic Sessions〜』、秋から年末にかけては、『葉加瀬太郎コンサートツアー2025 TAROHAKASE 35th Anniversary〜The Best of 35 Years〜』を開催
https://taro-hakase.com/blogs/live_info/2025-the-symphonic-sessions
INFORMATION
画家デビュー30周年記念 葉加瀬太郎絵画展「SUPER LOVE ART」5月14日(水)〜26日(月) 大阪・阪急うめだ本店9階阪急うめだギャラリーにて開催
写真 宮澤正明
取材・構成 仲本剛
翼の王国のアンケートにぜひご協力ください。
抽選で当選した方にプレゼントを差し上げます。