自然を守るとは何か?西オーストラリア・パースで知った“何千年も何もしない選択”の意味
パースは「世界一のガーデンシティ」と呼ばれるが、そこにあるのは“自然を管理している街”ではない。街の輪郭そのものが、最初から緑と地形に委ねられているような感覚。人間の都合が、風景の主役になっていない。

その感覚は、コーラルコーストを北へ走り、シャークベイへ近づくほどに強まっていく。赤い大地と青い海が並び立つ風景は、どう見ても絶好の観光資源だ。けれど、なぜか騒がしくない。理由は単純で、「放置」されているからだ。つまり、人の手がほとんど加えられていない。
柵もなければ、説明過多な看板も、余計なサインボードもない。「自然を守っています」と声高に主張する気配すらなく、ただ風景があり、そこにこちらが立っているだけ。その距離感が、この土地の空気を静かに保っている。


この地で長く暮らしてきたアボリジナルの人々は、自然を“利用する対象”としてではなく、“預かっているもの”として捉えてきたと言われる。
旅をしながら強く感じたのは、彼らが何をしてきたかより、何をしてこなかったかだった。
取りすぎない。
作り変えない。
支配しようとしない。
この「しない」という選択を守り続けてきたからこそ、今もなお、この貴重な環境と風景が当たり前のように残っているのだろう。


フランソワ・ペロン国立公園で4WDを走らせていると、風景がこちらを試すように、ゆっくりと感覚を変えてくる。広がりすぎた空、乾いた風、終わりの見えない赤土。普段の生活で使っている尺度が、まったく役に立たなくなる。
「ここでクルマが故障したら……」
「日が沈んで、あたりが闇に包まれたら……」
そんな不安が、自然と頭をよぎる。アボリジナルの人々は、そんな環境の中で、風向きや雲の動きを読み、水のある場所を記憶し、季節ごとに無理をしない移動を重ねながら、自然を味方につけて生きてきたのではないだろうか。だからこそ、自然を取りすぎず、作り変えず、支配しようとしなかったのだと、腑に落ちる。

自分がこの場所を支配できないと理解した瞬間、むしろ気持ちは軽くなる。それは、自然の中に“入り込んだ”のではなく、一時的に場所を借りている──そう思えることで心が落ち着くからだ。旅の終わりに残ったのは、絶景の記憶よりも、この感覚。
近づきすぎない。
触れすぎない。
シャークベイが教えてくれたのは、自然と仲良くするには、ときには「放置」することが、いちばんうまくいく場合もある、ということなのかもしれない。それは、人との距離感にも少し似ている。
写真 高砂淳二
取材・文 山下マヌー
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