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白黒つけなくてもいい コーラルコーストのドライブ旅は色彩と風景で教えてくれる

白黒つけなくてもいい コーラルコーストのドライブ旅は色彩と風景で教えてくれる

TRAVEL 2026.03 西オーストラリア特集

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西オーストラリア州コーラルコーストを走っていると、「境界」のようなものを越えていく感覚に出会うことがある。

砂漠と海、赤い大地と青い海、乾いた空気と湿った風。まったく違う性質のもの同士が、無理なく、自然に隣り合っている。
たとえば、海と陸の境界にあたるシャークベイ。
赤い大地のすぐ隣には、信じられないほど鮮やかな色の海が広がっている。自然界の色の組み合わせとしては、かなり派手で、異質と言ってもいい。「どうしてこんな境界が生まれたのだろう?」と、理由を考えたくなる。でも、しばらく見ていると、その問い自体がどうでもよくなってくる。ただ、そう在るものとして受け入れてしまうのだ。

カルバリー国立公園の断崖も、同じ感覚を呼び起こす。
足元は乾いた大地なのに、目の前には深い谷が口を開けている。風の音が強くなったり、急に弱まったりして、まるで大地と空が会話しているようにも感じられる。こちらはただ立っているだけなのに、風景のほうが忙しなく表情を変えていく。

こうした境界は、砂漠と海のあいだにも現れる。
乾いた空気の中を走っていたはずなのに、ある瞬間、突然海の匂いが混じってくる。その匂いを嗅ぎ取った途端、身体のスイッチが切り替わるのがわかる。境界とは、地図に引かれた一本の線ではなく、人の感覚や気分を切り替える「きっかけ」のようなものなのかもしれない。

「景色がきれいだから心が動く」というのは、確かにそうだ。そんな場所は、これまでも数えきれないほど見てきた。

けれどこの旅では、移動の途中で出会う境界を越えるたびに、気分や心の位置そのものが少しずつ動いていく、不思議な感覚があった。走っているだけなのに、自分の内側が書き換えられていく。

コーラルコーストの途中に点在する、いくつもの風景の境界。
それらは決して、くっきり線を引かれたものではない。緩く、淡く、気づかないうちに越えていて、ふとした瞬間に「もう向こう側に来ていた」と理解する。その、あいまいな境界を越えている時間こそが、いちばん心地よかったりする。どちらか一方を選ばなくても、両方の良さを受け取れるからだ。

人間関係も、仕事も、つい白か黒かを決めたくなる。
でも実は、そのあいだにある“ゆるい境界”のほうが、ずっと楽で、自然なのかもしれない。そんなことまで考えさせられた、コーラルコーストのセルフドライブ旅だった。

写真 高砂淳二
取材・文 山下マヌー

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