「急がなくていい」と思えたのはなぜ?──西オーストラリア・コーラルコーストを走りながら生き方を変える旅

パースを出て、コーラルコーストを北へ向かう。
最初に変わるのは景色ではなく、自分の「速度」。信号が減り、建物が遠ざかり、まっすぐな道が続く。
それだけのことなのに、気持ちが少しずつ緩んでいく。目的地に着くより先に、心のほうが先に旅に入ってしまう。そんな感覚。

最初に立ち寄ったピナクルズに着いたのは、夕方前。奇岩のあいだに立つと、風の音が遠のく。
正確には、静かになるというより、自分の周囲の音量が下がる感じ。
「何万年もかけてできた岩です」と説明されても、正直、実感はない。
「どうして?」は解決しなくてもいい景色というものもあるし、むしろわからないほうが神秘的で良いのだ。

ランセリンの白砂は、何千年もの時間をかけて風と海に運ばれ、ゆっくりとこの地に積み重なってきたものだと言われる。そして今もなお、砂丘は一年に数メートルずつ形を変えながら動き続けている──そんな話を聞けば、時間の尺度が変わる場所というのは、きっとこういう場所のことなのだろう。
一歩踏み出すと、砂の表面が少しだけ形を変える。

カルバリ国立公園の地層でも同様のことを感じる。「18億年の積み重ね」と言われても、やはり想像はできない。けれど、谷の深さや岩の重なりを見ていると、「時間が積もる」という感覚だけは、なんとなく理解できる気がする。
ここでもまた、自分の一生が短いとか、何かを急がなければいけないとか、そういう考えはあまり意味を持たないという気にさせてくれる。散々使い古された言葉だが、「壮大な景色を前にすると自分の抱えている悩みが小さく見える」というのは、やはり本当だと思う。

旅をすると、きれいな風景が心を動かすのだと思っていた。
けれど今回のコーラルコーストの旅では、どうも逆なような気がする。
心を動かしていたのは風景そのものではなく、走り続けることで生まれる距離と時間のような気がする。
距離が伸びるほど、焦りや不安、頭の中のざわつきが、後ろに置いていかれる。
思考の速度が落ち、呼吸が深くなり、視線が自然と遠くへ伸びていく。
それが積み重なると、「旅をしている」というより、時間から少し解放されているような感覚になっていくのだ。
今回のセルフドライブを振り返って、強く残っているのは写真ではなく、「時間の感触」。
ピナクルズの静けさ。
ランセリンの風。
カルバリの地層の重なり。
どれも風景そのものというより、自分の中の時間が整っていった瞬間として記憶に残っている。
またここを走りたくなるのは、景色をもう一度見たいからだけではない。
この土地で、自分の時間が自然な速さに戻る感覚に、もう一度身を置きたくなるからだ。
写真 高砂淳二
取材・文 山下マヌー