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ウィンナーコーヒーの真相から迫る ウィーンのカフェ文化と歴史

ウィンナーコーヒーの真相から迫る ウィーンのカフェ文化と歴史

TRAVEL 2024.08  ウィーン特集

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ウィーンで是非確かめたかったことの一つ。それは「ウィンナーコーヒーはウィーンに存在するのか?」ということ。

結論から言えば、それは存在しなかった。ナポリにナポリタンがないように、上海に上海焼そばがないように、ウィンナーコーヒーもどうやら日本人がネーミングしたものらしい。

日本でウィンナーコーヒーと呼ばれているものの正式名称は、メランジュ (Melange)。オーストリアを代表するコーヒーで、エスプレッソに同量のスチームミルクを加え、泡立てたミルクを乗せたもの(クリームを加えることもあり)。

それがどうして日本ではウィンナーコーヒーと呼ばれるようになったのかはよくわからないが、とにかくウィンナーコーヒーというものはウィーンには存在していないし、「ウィンナーコーヒープリーズ」とオーダーしても通じない。

メランジュを飲むならカフェに決まり。実はウィーンのカフェ文化は、2011年にユネスコの世界無形文化遺産に登録されている。カフェは単なる飲食の場を超え、社会的、文化的な中心地として重要な役割を果たしてきたという歴史もある。現地の人にカフェについて質問してみると、全員が「なくてはならないもの」と答える。多くの市民がカフェを利用するため、市内には1000軒を超えるカフェが存在。ちなみに日本のスターバックスの店舗数は1917軒(2023年時点、スターバックスジャパンHPから)。人口約200万人のウィーンに、日本のスタバの半数以上ものカフェが存在していることになる。

そもそも何故カフェが発展してきたのか? いろいろな理由がある中、最も「なるほど!」と思わされたのは、「昔は貧しく多くの家に暖房がなかった。人々はカフェにやってきてコーヒー一杯で暖を取りながら長時間過ごした」というもの。集まってきた中には作家やアーティストたちも少なくなく、多くの著名な作家や哲学者がカフェで作品を執筆したり、議論を交わしたりしていたという。

18世紀以降、ウィーンはハプスブルク帝国の首都として栄え、芸術家や知識人が集まる文化的な中心地でもあった。カフェは人々が交流し、議論する場として重要な役割を果たすように。つまりカフェは文学者や音楽家、芸術家の活動拠点であり創作活動のインスピレーションの源であり、その空気と空間は今でも保たれている。

ウィーンに存在するカフェの多くは数十年、中には100年を超える歴史を持つ。観光客で大行列の店から、路地裏に佇むローカルが集まる店までいろいろあるのだが、最も伝統的なスタイルのカフェとはどういうものなのか?

「店は建物のコーナーにあり、店内に新聞が置かれていること」。それと「大きな鏡がある店」というのが伝統的な店のスタイルらしい。新聞があることが大切という答えは意外だが、「カフェは新聞を提供し、訪れる人々が最新のニュースを知ることができた場所。カフェは情報交換の場としても重要な役割を果たしていたのです」という説明を聞いて大いに納得。

何故コーヒーを栽培していないオーストリアで、カフェ文化が醸成されてきたのか? 

それはオスマン帝国がウィーンを包囲し、オスマン軍により大量のコーヒー豆が運ばれてきたことによる。1863年に最初のカフェが開店して以降、ウィーンでコーヒー文化が始まったとされる。

カフェは誰もが利用できる公共の場として機能し、異なる背景を持つ人々が集まり対話し、交流する場となることで社会の多様性を受け入れる役割を果たしてきた。ウィーンの街を歩いて感じる「観光客でも受け入れてもらえる」「よそ者扱いされない」感覚。それはもしかしたらカフェ文化から来ているのかもしれない。

写真 秋田大輔
取材・文 山下マヌー
協力 ウイーン市観光局、オーストリア大使館観光部オーストリア政府観光局

ウィーンへの翼
東京国際空港(羽田空港/HND)からANA直行便利用でウィーン国際空港(VIE)まで約14時間(毎週月・木・土発)。
ウィーン国際空港から市内まで快速電車(CAT)で約16分、タクシー、バス共に約30分。
帰国はウィーン国際空港(VIE)からANA直行便で東京国際空港(羽田空港/HND)へ(毎週火・金・日発)。

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