都市緑化が息づくミュンヘン カントとゲーテの思想に学ぶ“緑の哲学”
「自然美への関心は道徳的に善なる心情と親和性がある」― イマヌエル・カント
この言葉が示すように、美しい自然は、ただ眺めるだけの存在ではなく、私たちの内面に深く働きかける力を秘めている。都市と自然が調和するドイツ第3の都市ミュンヘンでは、その感覚が日々の暮らしに息づいている。大樹の下で本を読むこと、川辺で語らうこと、都市で野菜を育てること。そうした些細な営みが、人と都市に新たな倫理を芽吹かせる。緑を慈しむこの街で、私たちは「自然美の力」を改めて問い直すことになる。
「自然は常に正しい。誤るのは人間だけだ」―ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

都市であって都市でない。
ミュンヘンの街は、自然と共にあることで、人の暮らしにも思想にも、静かな倫理を宿す。ニンフェンブルク宮殿の庭園は歴史の中の風景のように静謐(せいひつ)に広がり、イザール川は人の営みと自然との境界を緩やかに流れる。中心部にある世界最大級の都市公園エングリッシャー・ガルテンは、街の喧騒を包み込む森の思考。都市の鼓動と自然の静寂とが、この街では対立せずにひとつの呼吸の中で共にある。
また、グリーンルーフ(屋上緑化)は空に向かって開かれた新たな地表でもあり、都市農業はアスファルトに根を張る哲学、川や水辺は自然と遊ぶ人間の自由の象徴だ。ミュンヘンの“緑の哲学”はたんなる景観ではなく、都市における倫理の形。快適さや便利さを超え、「どのようにあるべきか」という問いに静かに応える風景なのだ。自然を背景や借景とするのではなく、対話の相手とする姿勢でもある。それは人が地球の中心ではないという気づきであり、都市という存在のあり方を根底から問い直す「生の選択肢」、もしくは緑を通じて描かれる「もうひとつの未来の設計図」。

古代思想家が自然の中で思索したように、ミュンヘンの緑は都市の思考空間となる。観光客であふれるマリエン広場からわずかな距離で、自然の静寂に出会える位置関係。これは人間が技術と自然の間で築き上げた調和であり、都市計画という理性に、予測不能な自然を招き入れる叡智(えいち) なのだ。緑と共にあることは、未来への先見性をもたらすもの。気候変動という現代的な課題に対し、ミュンヘンは緑という言語をもって応答する。

Botanischer Garten München-Nymphenburg
人間の倫理を超越した自然との調和が、ここでは静かに息づいている。王家の意思により市民の憩いの場として、また自然科学研究の場として1914年に開園したミュンヘン・ニンフェンブルク植物園。ここには、人の手によって丹念に育まれながらも、本来の美と秩序を湛えた植物たちの姿がある。温室に広がる熱帯植物、季節ごとに移ろう花々。自然が常に正しく、人が学ぶべき存在であることに気づかされる。
街にグリーンオアシスを作る

ミュンヘンは都市でありながら、自然と共に暮らす知恵を積み重ねてきた。その象徴ともいえる施設が、再開発地区のビルの屋上に羊を放ち、街の空の下に牧場の風景を蘇らせたヴェルクスフィアテル・ミッテ。
Werksviertel-Mitte

一方、ミュンヘン圏内だけで80近くも存在する市民農園のクラインガルテンは、都市のグリーンベルトとなり、市民の生活に潤いを与えている。これらは装飾としての「緑」ではない。自然と共に歩むことを選び続けてきた都市の哲学であり、経済効率や利便性の陰で見失われがちな「生きるための豊かさ」でもある。

Kleingartenverband München e.V.
取材・文 山下マヌー
写真 Dice.M.P.
編集 小嶋美樹
コーディネーター 見市知
協力 ドイツ観光局
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