釜山の海の幸が集結 朝から夜まで続く港町の活気を歩く

朝6時、港に威勢のいい掛け声が響く。ノドグロやフグ、金目鯛などの高級魚が、男たちの素早い手捌きにより競り落とされ、次々とトラックに詰められて捌ける。夜にも競りは行われ、魚は港に揚がるやいなや勝負の場へと送られる。

釜山港は、1876年の日朝修好条規で開かれた韓国初の国際港。以来、釜山は韓国最大の貿易都市として発展。そんな中、朝鮮戦争後に人々が生きるために「魚」を売り始めたのが、チャガルチ市場の原型だという。



5歳から母の背を見て。焼き鯖通り、最愛の一軒
その背景で始めた一軒の鯖の店が残る。1974年創業、メニューは焼き鯖とケランマリ(卵焼き)のみ。現在は母娘2代で店に立つ。娘さんは幼い頃から店を手伝い、母には継がなくていいと言われたが、どんな不況のときも50年店を守れたのは「母の力」だと幸せそうに語った。


韓国で消費される鯖のほとんどが釜山の港に揚がるものだそう。「ゴカルビハルメチプ」のある路地は、昔は焼き鯖通りで有名だったが今は1軒のみ。常連客のお目当ては、パリッと肉厚な焼き鯖と、そして母娘との会話だろう。「戦後は売れるものは何でも売った、運よくここで店を開けたのは父のおかげ」とも娘のパクヒスクさんは語る。釜山の人の“働くエネルギー”は、こうした戦後の生きる力を見せた親世代の背中にあるのではないだろうか。

ゴカルビハルメチプ〈고갈비 할매집〉
22, Gwangbok-ro 67beon-gil, Jung-gu, Busan
営業 15:30〜23:00
眠らぬ街。働くプサンアジマ

前述した通り、釜山に来て驚くのは皆とても働き者だということ。朝は早く、夜は遅くまで。ミンラッフェタウンのアジマ(おばちゃん=アジュンマを釜山ではアジマとも言う)たちの団結力は強い。20年、30年、40年魚を売り、捌く。その包丁捌きは実にお見事。この敷地内の店は皆平等に客が行くように分配され、値段も一緒の設定、営業時間は深夜2時まで。それぞれ店を持ちながら、ひとつのコミュニティに生きている。団結して支え合う韓国の人の生きる知恵・文化の一つなのだろう。
「フェ」とは、新鮮な魚を薄切りにして盛り合わせた料理。つまり日本の「刺身盛り」。生食を好むのは日本人ばかりではない。朝鮮半島でも古くから魚を生食する習慣がある。釜山は韓国でもフェの本場で、フェ目当てに、多くの観光客が訪れる。
ミンラッフェタウンで深夜まで刺身を売るアジマと、早朝のチャガルチ市場の様子。チャガルチ市場は鮮魚店が多いが、野菜や豆腐、乾物など幅広い食材が手に入る。

ミンラッフェタウンでは魚や貝をその場で捌いてくれ、持ち帰るか、2階の食堂で食べることができる。2階の食堂で調理してくれたタコとヒラメの刺身。特製の酢みそかわさび醤油で。

民楽刺身タウン(ミンラッフェタウン)
181-84, Millak-dong, Suyeong-gu, Busan
営業 10:00~翌2:00
チャガルチ市場
52 Jagalchihaean-ro, Jung-gu, Busan
営業 5:00〜22:00(店舗による)
釜山には海鮮の専門店がたくさん。常に満員御礼の「ミポジプ」の海鮮の醤油漬け盛り。醤油は“ヘルジャン”という、3年以上熟成させた果物酵素でつくったもの。高級米で作る、アワビやタコの釜飯も名物。

ミポジプ海雲台本店〈미포집 해운대본점〉
3 Dalmaji-gil 62beon-gil, Haeundae-gu, Busan
営業 11:00~15:00/17:00~21:00
取材・文・編集 中野桜子
写真 金子斗夢
通訳・コーディネーター ウォン・ガビン
コーディネーター 前園亜耶
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釜山への翼
釜山へは、東京(羽田空港)などからANA便でソウル(金浦空港)へ。ソウルからKTX(韓国高速鉄道)または韓国国内線飛行機で釜山へ。福岡空港から直行便飛行機や船便も出ているので、その際は福岡空港までANA便をご利用ください。