故郷・能登の再生を目指して 伝統と未来への希望に満ちた“被災地”
希望きらめく私の故郷・能登
2024年1月1日。私が生まれ育った石川県能登地方を巨大地震が襲いました。
発災の瞬間、和倉温泉のイベントに出展していた私と漆芸作家の父は、その後、自宅のある輪島へまっすぐ戻ることができず、一度は妹が暮らす金沢に身を寄せました。帰宅が叶ったのは4日のこと。ふだんなら2時間も車を走らせれば到着できる輪島。しかし、このときは5時間以上を要しました。
車窓から見えたのは、亀裂が入り、崩落した道路。あれほど美しかった里山里海の景観は、跡形もなく消え失せてしまったようでした。輪島の町も、そこかしこで建物が倒壊し電柱は倒れ、地面のあちこちが隆起して……変わり果てた町並みに車内の私と父は、一言も発することができなくなっていました。
私の大切な故郷、美しい能登は「被災地」となってしまったのでした。
先述したように、私は父が漆芸作家という家庭で育ち、高校卒業まで輪島で過ごしました。大学進学を機に地元を離れ、卒業後は東京でインテリア店などで商品開発に携わりました。当時は帰省するたび、父の工房から職人さんたちが徐々に減り、漆器店が閉店していくなど、伝統産業の衰退を肌で感じていました。いっぽうで、同世代の職人さんたちが地元で20年以上も輪島塗の伝統を守り継承している姿に胸を打たれ、「私も故郷のために何かしたい」と思うように。
そして、2023年夏、私は輪島にUターン移住。先細る伝統産業を再興すべく「ヌシヤ」を立ち上げ、「WAJIMANU/RE/BORN」プロジェクトを始動、その直後の被災だったのです。
若手の職人さんたちと製作した商品は焼失し、工房は倒壊してしまいました。正直「大変なときに帰ってきてしまったな」とは思いました。でも、輪島を離れたいと考えたことは一度もありません。故郷のために何かをしたいと、始めたこと。輪島が危機的状況に陥ったことで、当初の思いがより強くなっただけ。やること、やるべきことは変わらない、そう考えたのです。
今回、改めて私は、復興の途上にある能登を巡りました。そこで出会った人たちは、みなさん一様に前向きでした。七尾和ろうそくの高澤さんは「地域の希望になるために再建を決めた」と話していました。游戯窯の篠原さんは「珠洲焼は地域の誇り」と誇らしそうでした。mebukiの池端さんは、修業したフランスの田舎町以上に「能登のポテンシャルは高い」と教えてくれました。
私自身も、海山に囲まれ自然豊かな能登半島、ここにしかない、能登だからこそ、育まれた文化や伝統があると、そう確信しています。そう、いまは「被災地」と呼ばれ、打ちひしがれているように見えたとしても、じつはキラキラとした希望が満ちているーーーそれが私の故郷・能登なのです。
2023年6月、「ヌシヤ」を起業。現在は避難先の金沢と輪島を往復しながらオンラインショップを再開。
ヌシヤ
石川県輪島市稲舟町竹ノ端50
案内人 浦出真由(ヌシヤ株式会社代表)
取材・文 仲本剛
撮影 須藤明子
能登へは羽田から、小松へは羽田、福岡、千歳からANA便で。
※運航情報は変更になる可能性がございます。