八丁味噌200年の歴史で受け継がれる重み 江戸の胃袋を支えた老舗を訪ねて
愛知県の中央部、岡崎市や碧南市を含む西三河地域と、尾張地域の海沿いにある半田市を含む知多半島には、日本酒や味噌、しょう油、酢やみりんなどの醸造調味料の蔵元が数多く集まる。その歴史は古く、200年以上続く老舗も少なくない。そして、この地域の醸造文化こそが、当時「世界最大の都市」とまで言われ栄華を誇った江戸の胃袋を支え、今日の日本食文化の礎の一端を担ってきたことをご存じだろうか。西三河・知多の醸造文化の歴史と今、未来に向けた取り組みをみていきたい。
八丁味噌の仕込みに欠かせない 巨大な木桶と円錐状の重石
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徳川家康公の生誕城として知られる岡崎城。そこから西へ八丁(約870m)の距離にある「八丁村」で誕生した八丁味噌は、今や全国区の知名度を誇る豆味噌のひとつだ。その味噌が「まるや」「カクキュー」というたった2軒の蔵元のみで、江戸時代初期から代々造り伝えられてきたことを知る人は多くない。
今回訪れたカクキューは、江戸時代初期、正保2(1645)年創業で、現在の早川久右衛門氏で19代目だ。徳川家のお膝元だった江戸の町でも愛され、江戸時代後期には、総出荷量の3分の1もの八丁味噌が、近くを流れる矢作川の船着き場から江戸に運ばれていたという。
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一般的な味噌は、熟成期間が半年から1年ほどのものが多いなか、八丁味噌は「二夏二冬」と呼ばれ、2年以上の熟成期間を経なければ完成には至らない。その理由は意外なもので、この辺りは川が多く、高温多湿な気候。そんな環境下でも耐えられる味噌造りを研究するなかで生まれたのが、仕込み水を極限まで減らし、時間をかけて熟成をさせる八丁味噌だった。唯一無二のコクと風味を備えた八丁味噌は、この地だったからこそ生まれたもの。多くの文化人や政界人にも愛されてきた。
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今も一度に約6トンもの味噌が入る巨大な木桶で仕込まれ、その桶の上に円錐状に積まれた大量の重石も、八丁味噌の蔵元ならではの風景だ。水分量の少ないこの味噌を仕込むためには多くの重石が必要なのでこの形になった。すべて形の違う天然の川石を、地震の際にも決して崩れないほど強固に積み上げるには10年以上もの修業が必要だそう。ここにも、一朝一夕にはマネできぬ歴史の重みを感じる。
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一年を通して蔵見学が可能で、木桶が並ぶ味噌蔵や歴史ある美しい建物を間近に見ることができる。登録有形文化財の蔵内には、八丁味噌の歴史や貴重な資料を展示した史料館も。併設の食事処では、大きな湯葉のてんぷらがのった「ゆば天 味噌煮込みうどん」が人気。
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カクキュー八丁味噌
愛知県岡崎市八丁町69
写真 秋倉康介
取材・文・編集 小嶋美樹
西三河・知多への翼
東京(羽田)などからANA便で中部国際空港セントレアへ。 岡崎へは車で約1時間、碧南へは車で約40分、 半田へは車で約30分。
※運航情報は変更になる可能性がございます。最新の情報はANAウェブサイトをご確認ください。
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