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なぜ青島は宮崎を「南国」に変えたのか “日本のハワイ”と呼ばれる島の物語

なぜ青島は宮崎を「南国」に変えたのか “日本のハワイ”と呼ばれる島の物語

TRAVEL 2026.04 宮崎特集

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青島は、単なる観光地ではない。戦後、宮崎市長・岩切章太郎がこの小さな島で見た亜熱帯の森と黒潮の気配は、まだ無名だった地方都市に“南国・宮崎”という未来を与えた。なぜこの島だけに異国のような風景が生まれたのか。その謎をたどると、宮崎観光の原点が見えてくる。

南国の入口としての青島──宮崎観光の物語はここから始まった 

宮崎が“南国”として語られるようになった背景には、戦後の宮崎市長・岩切章太郎の構想力がある。だが、その構想の原点にあったのは、彼が初めて青島を訪れたときに受けた衝撃だった。海岸線にぽつんと浮かぶ小さな島に、びろう樹を中心とした亜熱帯植物が密生し、海風に揺れる姿は、当時の日本ではほとんど見られない風景だった。岩切はその瞬間、「宮崎は日本の宝になる」と直感したという。

当時の宮崎は、南国とは程遠い地方都市だった。しかし青島だけは、黒潮の気配をまとい、海と森が重なる“異国の入口”のように見えた。岩切はこの島の風景を、宮崎全体の未来像として拡張しようと考えた。南国の象徴であるフェニックスを街路樹として植え、海岸線を整備し、青島を中心に“南国・宮崎”というブランドをつくり上げていく。その起点にあったのは、青島の不思議な自然形態だった。

青島にのみ成立した亜熱帯の森──漂着説と“島が選んだ”という伝承

青島の植生は、いまも学者の間で議論が続く謎に満ちている。長友宮司によれば、植生の起源には二つの学説がある。一つは、古い地殻変動の名残として、かつて南方と陸続きだった時代の植物が“取り残された”という遺存説。もう一つは、黒潮に乗って南方から種子が漂着し、島で根づいたという漂着説だ。実際、今でも年に十数個のヤシの実が青島に流れ着くという。

さらに、地元にはこんな伝承も残る。「青島の木を本土に運んで植えたが、どれも根づかなかった」。事実確認は必要だが、島の人々は“青島の森は青島にしか成立しない”という感覚を共有している。
青島はもともと貝殻が堆積してできた“沙州”で、そこに飛来した種子が根づき、やがて森を形成したという説もある。だが、なぜこの小さな島だけが亜熱帯の森を育んだのか──その問いには、科学だけでは届かない余白が残る。岩切が青島を見たときに感じた“南国の気配”は、まさにこの余白から立ち上がっていた。

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森が自ら守る島──自然のふるまいが南国の物語を深めた

青島の森には、もうひとつの不思議がある。台風の季節になると、森が“自ら防御をつくる”ように振る舞うのだ。島の外側には段竹が自然と密生し、潮風を切り、中の植物を守る。人が植えたわけではない。それはまるで、森が島の形に合わせて役割を分担しているようでもある。

森が南国の気配をまとい、島が自らを守り、中心には命の水が湧く──この小さな島は、自然の偶然と必然が重なり合う“生命の縮図”のようだ。岩切が青島を宮崎観光の象徴に据えたのは、単に南国らしい景観だからではなく、この島が持つ“物語性”が人々の心を動かすと確信したからだ。

新婚旅行ブームと“南国・宮崎”の完成

昭和30〜40年代、宮崎は新婚旅行の定番地として全国的な人気を得る。青島の森と海は、人生の門出を祝う風景として広まり、宮崎は“日本のハワイ”と呼ばれるほどの存在感を放つようになる。岩切は航空路線の拡充にも奔走し、全日空を口説き落として宮崎路線を開設させた。空からアクセスできる“南国リゾート”としての宮崎は、ここで完成する。

だが、その中心にあったのは、やはり青島だった。ここにだけ成立した亜熱帯の森、黒潮が運ぶ種子、台風に備えて自ら防御をつくる植生、海に囲まれながら湧く真水──青島の自然は、宮崎の南国イメージを支える“根”となった。
自然がつくった南国と、人が育てた南国。その両方が重なり合う場所として、青島は今も静かに息づいている。宮崎が“南国”として語られるとき、その物語の最初のページには、必ず青島の森が揺れている。

写真 清水健
取材・文 山下マヌー

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