鹿児島・薩摩に息づく発酵と匠の物語 麹菌を懐に守った男たちの軌跡
鹿児島には、自然と人の匠が生み出す恵みが根付いている。長い歳月を重ね、息をし続ける桜島に象徴される特異な地形。黒酢、焼酎、鰹節(かつおぶし)といった発酵文化が刻む、時間と歳月の深み。それらを支えてきたのは、常に人の手による匠の技である。職人たちの絶え間ない観察と試行錯誤によって、大切に育まれてきた微生物たちの恩恵を、五感で味わってほしい。

あらゆる発酵は、ここから始まる……発酵大国・日本を支える「種麹」の繊細かつ力強い世界

「空襲警報が鳴ると、懐のサラシに麹菌の試験管を入れて逃げた」
それほど麹菌に人生をかけた河内源一郎という男がいた。体温が伝わる腹部の環境は麹菌に最適。麹を、病に倒れた日も身につけていた。彼が研究を始めた1909年、当時鹿児島の焼酎は不味(まず)く腐りやすかった。その原因を、暑い土地に向かない黄麹菌で造っていることにあると見抜き、沖縄から黒麹菌を持ち帰って3年かけて「河内黒麹菌」を培養した(学名アスペルギルス・アワモリ・ワァル・カワチ)。
その功績は焼酎文化の礎となり、1931年に創業した河内源一郎商店は、現在も4代にわたり種麹づくりを守り続ける。現在わが国の本格焼酎の8割が河内菌を使用し、韓国のマッコリも多くが河内菌で生産されている。焼酎蔵の裏には、100年の努力と執念が静かに根を張っている。



上から白麹、黄麹、黒麹。河内菌の発端となった黒麹菌はもともと泡盛の種麹。黄麹菌は主に日本酒や味噌、醤油の種麹。白麹菌は黒麹培養のあと研究に成功するも当時は注目されず、23年後に日の目を見る。

人気の甘酒。「河内源一郎商店」では、焼酎、ビール、甘酒、マッコリ、調味料、サプリメントなどを製造・販売している。鹿児島空港からほど近く、隣接する「麹・発酵ホテル」やレストランも人気。

100年にわたり守ってきた種麹ブランドの4代目である山元文晴(ぶんせい)さんはもともと外科医師の経験を持つ。先祖である河内源一郎氏の意思を引き継ぎ、現在はその知見を生かして麹菌と向き合う。

河内菌本舗
「黒酢」が産声をあげた老舗 職人による数十年の経験のみが香・音・色を見極める

桜島を背景に、壷畑が見渡す限り広がる。静かにその壷に耳を傾ける職人。壷の中に響く、微生物たちの声を聞く。ここ福山町では江戸後期から壷を用いた米酢造りが始まり、坂元醸造は熟成が進むにつれ色濃くなる美しさから「くろず」と名づけた。一つの壷の中で糖化、乳酸発酵、アルコール発酵、酢酸発酵が行われる製法は、世界でも類を見ない。蒸し米、米麹、地下水のみを用い、太陽と微生物の力を借りて、最大10年かけて発酵・熟成させる。過去には別の土地で試みたが、同じレベルの酢が造れなかったという。

そして発酵の手助けとして何より重要なのは、五感を研ぎ澄ます職人の技である。黒酢の成長は壷ごとに異なり、香り、音、触感、色みから状態を読み取り一定の味に仕上げる。AIには決してできない技がここに存在する。一人前の醸造技師になるには、最低でも10年は壷と向き合う。受け継がれる技と味の背後には、ひたむきな努力と愛情が息づいているのだ。

この道40年の醸造技師のみぞ知る発酵の音や感触。環境や天候、個体差に左右されずその味を守り抜くことができる。




坂元醸造 黒酢ガーデン壺畑 SHOP&RESTAURANT
挑戦と挫折を繰り返し、納得のいく酒造りを 本格焼酎を世界へ
焼酎の酒蔵である小牧醸造でウイスキーと向き合う小牧伊勢吉さん。ここ5年で試行錯誤を繰り返したウイスキー造りも、いよいよ納得のいくものとなって完成する。ズラリと並ぶ屋久杉でつくられたカスク(樽)たちに、莫大な時間と労力、資金を注いできた。

ウイスキー造りを始めた大きな動機は「焼酎を世界の人に知ってもらいたい」という想い。世界中で親しまれるウイスキーに本格焼酎の製造、特に蒸溜技術を生かすことで、ウイスキーはもちろん、それを入り口に焼酎に関心を持ってもらえたら。度重なる災害やコロナ禍を乗り越え、小牧蒸溜所は確かな歩みを刻んできた。
洗練された味わいの銘柄造り、そしてブランドデザインを新たにし、すでに芋焼酎大国である鹿児島でも注目を集める。両親が守り続けてきた焼酎造りとその精神を大切にしながら、時代に寄り添う新たな酒蔵のかたちを模索する。そのこだわりとセンスで、温故知新のブランディングは邁進(まいしん)し続ける。




ウイスキー(左)の隣は、2011年発売の新銘柄の焼酎「一尚ブロンズ」「紅小牧」。新しいロゴデザインは家紋をオマージュしたもの。

3代目・小牧伊勢吉さん。祖父から父へと受け継がれた杜氏名を襲名した。兄・一徳さんとともに小牧蒸溜所を支える。
小牧蒸溜所
撮影 神林環
取材・文・編集 中野桜子
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