八丈島で10万人が訪れた民宿 料理は島のおふくろの味―八丈島をいただきます−3
民宿「ガーデン荘」の栄子女将は、「昨年(2023年)はテレビに6本出たっけな。ばあちゃんは忙しくてよ」という、島で一番の有名人。島の人は親しみを込めて“えいこば”(八丈島の言葉で栄子婆)と呼ぶ。古くは2010年の「いきなり黄金伝説」から昨年のNHKワールドニュースと、バラエティからニュース番組まで幅広く登場。島と島の食材で作る島ごはんの魅力をたくさんの人に伝える、八丈島を取り上げるなら外せない女性(ひと)。
彼女の作る料理は「今はグローバルな時代だからな。時代に合わせることも大事なんだ」と言いつつも、「島の素材を使ったシンプルな料理」という基本は曲げていない。一番の人気は島寿司。「『いつ寿司?』『今夜のごはんはなに?』と、皆が島寿司を楽しみにやってくる。たとえ一泊しか泊まらないお客であっても、必ず島寿司を握っている。
「“鍋寿司”と呼んでるのよ。鍋の中で暖かいまま握れるのがいい」と握ったご飯の上に本日のネタであるキンメと目鯛と岩のりとキハダマグロを漬けにして乗せる。漬けのタレは「お酢と砂糖同量と塩少々をざっくり混ぜる。ほら、簡単だろ!寿司屋はケチって岩のりを少ししか使わないけど、うちは“ぶん”のせるのよ」(ぶん=たくさん)。
島寿司は辛子でたべる。島にわさびがなかったからだ。「からし菜の種を擦ってつけたり、島唐辛子を刻んでつけたりして食べる。そもそも新鮮な魚はわさびより辛子が美味しいんだから」。
かつて島寿司は田植え、お祭り、運動会などのお昼ごはんに食べるものだった。昔は白いご飯が貴重だったということもあるが、「漬けにすることで腐り難くなるので、畑仕事や漁に出る父ちゃんたちの弁当」や、「東京に行くとき船で24時間かかるのでお弁当として持たせた。今は観光客向けになってるけどよ、それが島寿司の起源」。
島寿司に続いて「酒の肴に最高の一品」と作ってくれたのがキハダマグロと目鯛とネリと赤唐辛子。そこにちょっと味噌をいれて混ぜた島料理。因みにネリというのはオクラのこと。
「なんでもいいだわ。残りもんとネリを混ぜて叩けば完成。とくに旨いのがムロアジとオクラの組み合わせ。島そのまんまの味なんだからうまいに決まっている。酒の肴に最高さ。それによ、簡単でないとだめ。簡単でないとばあちゃんできないからよ」と謙遜する。
えいこばは「明日葉こそ、島を代表する食材」だと言う。「明日葉を使った料理は天ぷらだな。島のさつま芋、玉ねぎ、人参、竹輪(昔はイカを使っていたが、近海で捕れなくなったため竹輪で代用)。ちくわ以外全部島のもんだよ」。元々島に自生していたもので、「秦の始皇帝の時代からある薬草だよ。精力がつくって言われてるくらい元気になるのよ。今はそういうことを言うとセクハラだなんだと言われるけどよ、ばあちゃんが言うぶんには大丈夫だろって」
えいこばの元気の源、それはどうやら明日葉ににあったのだ!
料理をしながらえいこばがぽつんと呟いた。
「都会の人は疲れているなぁ…というより話題が少ない」だからそんな彼らの教育係として、『このバカモン!』と叱ったりすることもあるのだそうだ。「オバアちゃんがいうとパワハラにならないからよ。皆喜んで聞いてくれるし、会話をしようと変わる。和んでもらって心を開かせるのが私の得意ワザ。本心を語ってもらうこれが私の裏技。会話をよ、しないとよ。なごむじゃん。私はずーとここにいるんだから。いつでも話に来いって」
「料理と古いものは変えたくないけどよ、設備は新しくしないとな。シャワーを付けたり、ウォシュレットにしたりよ。部屋もベッドにしたり、いろいろばあちゃんも考えてんだ。夕飯の焼酎は無料だし。話しに来い。マネーを払ってきてくれるんだから、それに見合うお返しをしないとだめだ。
訪ねてきてくれたお客は10万人は超えてるかな。毎日のメニューもこうしてノートに付けて、同じものが重ならないように工夫してな」。
料理をしながら、いろんな島のストーリーを聞かせてくれたえいこば。その本心は「マネーのためにもなるけど人がいないと寂しい」の一言に違いない。「57年もやっているけど、お客さんが帰るときは毎回涙がちょちょぎれるよ」。
今年87歳になる島生まれ、島育ちのえいこば。
「国(本土)にあんまり行ったことねぇよ。島のほうが生活しやすいじゃん」
取材・文 山下マヌー
写真 高砂淳二