栃木・足利の手仕事を訪ねて 蕎麦と器に受け継がれる先人の心
室町幕府を開いた足利氏の発祥地として、いまも歴史の層が色濃く残るまち・足利。
山上にそびえる大岩山では、日本三大毘沙門天の一つが263年ぶりに出開帳(でかいちょう)された。
豆まきの起源とされる“毘沙門天の夢のお告げ”や、2021年の山林火災であらためて現れた結界伝説、さらには多くの文人墨客が逗留(とうりゅう)した旅荘。
祈りと文化が重なり紡がれた歴史の道をたどれば、いまだけ開かれた特別な扉の前に立つ旅へと、自然と心が誘われる。
蕎麦と器 足利に息づく、継承の手
足利の町に根を張り、それぞれの手仕事を守り続ける二人がいる。一人は蕎麦処「蕎遊庵」の店主・根本忠明さん。もう一人は陶芸家の柳川謙治さん。

根本さんは、コーヒー店主から蕎麦職人へと転身。「蕎聖」と呼ばれた一茶庵創業者・片倉康雄氏の教えを受け継ぎながら、十割更科蕎麦“さらしな生一本”の技を極めた。「更科蕎麦が打てて、二八蕎麦(並蕎麦)の完成」と、道具作りから蕎麦打ちまで日々手を動かす。師に言われた「自分で使うものは自分で作れ」という教えを麺棒や包丁作りにも生かし、手元の道具一つひとつに心を込める。

一方、柳川さんも足利の土と向き合う。陶芸の修業を経て、地元の粘土を選び、日々試行錯誤を重ねる。「足利萬古」と呼ばれる江戸後期の焼き物の伝統に触れつつ、土を掘り、砕き、水を加え、焼き上げる。完成まで予想できないところも面白い。「器は、料理が盛られて完成する」と語る柳川さんの器は、日常の食卓で料理を受け止め、使う人との対話を生む。

蕎麦と器。異なる手仕事の中にも共通するのは、継承の重みと楽しさだ。根本さんは教室で生一本の蕎麦打ちを伝え、柳川さんは足利の土の可能性を模索する。どちらも先人の知恵に触れ、自らの手で形にすることで、技を次の時代へとつなぐ。
「足利は神社仏閣が多い。日本蕎麦が食文化として根づいたのも、そうした歴史と結びついているからでは」と根本さん。
二つの手仕事は交わらないようで、同じ風土を背に、同じ思いを抱く。足利という土地で磨かれた技は、形や味を超えて人々の心に根を下ろし、時代の移ろいとともに息づいている。

足利の街並みを見渡す織姫山の中腹に建つ「蕎遊庵」。江戸前ならではのつるりとした食感の打ち立て蕎麦や、季節の変わり蕎麦が楽しめる。名物の“さらしな生一本”は、太さ0.5ミリの細麺を1~2秒でさっと湯がく繊細な蕎麦。根本さん曰く「熱や乾燥にとても敏感で、ほんのわずかな違いで切れてしまう」ため、提供する店は全国でもごくわずか。蕎麦打ち教室は予約制。
1982年、足利市生まれ。専門学校を卒業後、家具修理の仕事に携わるなかで“ものづくり”への思いを深め、人の勧めを受けて京都の陶工訓練校で学び、村田森氏に師事。2012年に独立し、地元へ戻って作陶の道を歩み続けている。やわらかな質感と温もりを宿した器は、和洋中いずれの料理も美しく引き立てるとしてプロの料理人からの信頼も厚い。
柳川謙治(店名:やながわ)
足利への翼
足利へはANA便で羽田空港へ。
羽田空港から首都高、東北自動車道を経由して北関東自動車道で「足利IC」へ。
写真 宮澤正明
取材・文・編集 服部広子
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