祈りが幾重にも重なる地 足利の結界の記憶を辿る
室町幕府を開いた足利氏の発祥地として、いまも歴史の層が色濃く残るまち・足利。
山上にそびえる大岩山では、日本三大毘沙門天の一つが263年ぶりに出開帳(でかいちょう)された。
豆まきの起源とされる“毘沙門天の夢のお告げ”や、2021年の山林火災であらためて現れた結界伝説、さらには多くの文人墨客が逗留(とうりゅう)した旅荘ーー。
祈りと文化が重なり紡がれた歴史の道をたどれば、いまだけ開かれた特別な扉の前に立つ旅へと、自然と心が誘われる。
土木博士の副住職が見つめる祈りの地形――結界の記憶
「足利は、風水的に非常に恵まれた土地なんです」。そう語るのは、最勝寺の副住職・沼尻さん(前出)。山並みに抱かれ、町の中心を渡良瀬川が流れ、かつては海も近かったという豊かな地形が、縄文の昔から人々の営みを支えてきた。

行基が訪れた当時の坂東(関東)の地は、まだ人々が竪穴式住居に暮らし、前方後円墳などを築いていた古墳時代の直後だった。現在、足利一帯からは1300基以上の古墳が確認されている。
「これほどの数が密集しているということは、この地域がいかに栄えていたかの証拠です」
そんな沼尻さん自身、京都大学大学院で土木工学を学び博士号を取得した、いわば街の構造を読み解く専門家でもある。
「日本では、古くから土木の知恵を最も持っていたのが僧侶でした。行基も空海も、治水やまちづくりを担っていたんです」
その視点で足利を眺めると、土地を包む見えない層(結界)が浮かび上がる。
「足利には、時代ごとの祈りが幾重にも重なっています」
古代から中世にかけては、権力争いや戦とともに呪詛による攻防が実在した時代。源氏の治世で栄えた足利に社寺が多いのも、そうした歴史の名残だという。
関東地方を震撼させた平将門伝説にまつわる寺社、足利城(現・両崖山)を守護する七弁天。そして近年の山火事が、偶然にもその弁天が張る結界のラインで鎮まり、町への延焼を免れたという逸話が加わった。
渡良瀬川は、かつて水運の道として、軍事の要衝として人と想いが行き交った場所だ。その静かな流れには、時代を超えて積み重なった祈りの余韻が、たゆたうように漂っている。


足利への翼
足利へはANA便で羽田空港へ。
羽田空港から首都高、東北自動車道を経由して北関東自動車道で「足利IC」へ。
写真 宮澤正明
取材・文・編集 服部広子
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