会津塗も本郷焼も、会津絵ろうそくも…世界が価値を認めた会津の手しごと
「会津っぽ」―。この地に生きる人々の正義感の強さ、一徹さ、頑固さを表す言葉。酷暑の夏に、豪雪に閉ざされる冬―。厳しい環境だからこそ、会津っぽは育まれたのかもしれない。その“ぶれない心”の持ち主たちが、数百年もの間、大切に紡ぎ続けてきた「もの」たち。会津木綿、会津本郷焼、会津塗、それに、会津絵ろうそく……。この、個性豊かな逸品たちにいま、世界の目が注がれている。
会津の土地が生んだ、世界が認める至極の陶器
「この旅を経て、私は会津木綿と同じことが、会津のほかの伝統工芸品にも当てはまると確信しました」
案内人・山崎ナナさんは旅の終盤、こう言って何度も頷いていた。
会津木綿のユニークさをもっと世界の人に知ってもらいたい、そう考えて、ニューヨークに進出した山崎さん。その結果、会津の地で400年以上作られ続けていた伝統産業品、その価値を“逆輸入的”に高めることに成功した。
「すでに欧米で高い評価を得ている『会津本郷焼』はもちろんのこと、『会津塗』も『会津絵ろうそく』も。会津木綿の価値が見直されたように、会津のほかの伝統工芸品にも同じことが起きても、まったくおかしくない。AIが幅を利かせる今だからこそ、本当に頑固なまでに手間と時間を惜しまず、長い歴史を重ねてきた会津の手しごとは、世界の心を掴む可能性に満ち満ちていると、私は思います」(山崎さん)
世界が認めた、会津の「土の力」
八代・利浩さんの代表作の一つで、自身の名を冠した「利鉢」(写真右上)と、緋色が美しい九代・利訓さんの「朱彩天目盃」(同下)
「私たちのルーツは福岡県の宗像大社の神官。奈良時代に会津に移り住み宗像神社を建立し、代々神官を務めていました。やがて作陶を始めるに至り、1719年に創業しました」
会津本郷焼「宗像窯」の八代・宗像利浩さんは自身の祖先について、こう語った。
宗像窯の作品は早くから世界の目利きを唸らせていた。1958年、利浩さんの祖父、六代が作った「にしん鉢」は、ベルギーのブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞している。にしん鉢とは、会津の伝統的保存食「にしんの山椒漬け」を作るためのもので、民藝運動を主導した柳宗悦も絶賛した陶器作品だ。
利浩さん自身も、彼の長男である九代・利訓さんも、過去にパリやニューヨークで個展を開催、それぞれの作品は高い評価を得ている。
「見た目の綺麗さ、形の良さ以上に大切なのは、作り手の精神。それに、土が持っている力をいかに引き出すか。私たちの仕事はそこに尽きます」(利浩さん)
宗像窯、その原料として使われているのは、登り窯のすぐ裏手にある山城の土。
「かつて向羽黒山城跡の的場で採れた土なので『的場陶土』と呼ばれています。じつは、それほど扱いやすい土ではないんです。しかし、この個性の強い土にしか出せない風合いというのが、父や私の作品には現れていると思っています」(利訓さん)
最後に、宗像窯の未来を担っていく利訓さんはこう言って真っ直ぐ前を見つめた。
「世界に、本郷焼の魅力を伝えていくには、私自身が陶芸家としての哲学を持っていないといけない、そう思っています」
会津本郷焼「宗像窯」
江戸時代から「用の美」を全国に届け続ける
工房で蒔絵をする伝統工芸士の中村光彩さん。「彼は、会津を代表する漆器職人です」(鈴木さん)
「会津塗はいいものを早く安く、たくさん作ってきたというのが特徴です」
こう話すのは創業190年を超える老舗「鈴善漆器店」の六代で、会長の鈴木勝健さん。
「他産地の漆器が高級な“作品”だとすると、会津が長年作ってきたのは大衆向けの“商品”です」
鈴木さんによれば会津塗、とくに鈴善の漆器は江戸時代から全国に流通。その時代、時代の社会のニーズを捉え、応えてきた。鈴善の先々代は他の漆器産地に先駆けるようにして、それまで木材だけだった素地に、初めてプラスチックを使った。かように会津塗は、鈴善は、技術革新にも常に前向きに取り組んできた。それは今も……。
「時代は移り変わり、家庭での漆器の存在感はすっかり薄れてしまいました。それでも、漆の良さを、素晴らしさを少しでも多くの人に知っていただきたいと、漆を塗った布製品の試作など、今も私たちは挑戦を続けています」(鈴木さん)
「漆に恩返しがしたい」と、鈴木さんは2019年、鈴善の歴史的建造物を開放し『会津塗伝承蔵』をオープン。会津塗りの歴史の歩みがわかるパネル展示を行っているほか、会津独自の技術や会津で開発された技法、また職人の道具などの現物を展示し、わかりやすく解説している。また、鈴木さんは「会津塗は大衆向けの商品」と話していたが、伝承蔵には“人間国宝”や、工芸作家が生んだ漆芸作品も多数並ぶ。
「美しい会津塗の漆器を残せるだけ残したい、その素晴らしさを一人でも多くの人たちに伝えたい、その一心なんです」(鈴木さん)
鈴善漆器店では蒔絵体験も可能。今回は案内人・山崎さんを、中村さんが直々に指導。「山崎さんは驚くほど筋がいいです」(中村さん)
会津塗「鈴善漆器店」
世界共通の安らぎもたらす、伝統のともしび
「江戸時代、会津絵ろうそくはこの地を代表する産業の一つで、将軍家に何度も献上されました。当時の将軍は『会津をもってこい』とリクエストしていたと言います。そう、将軍にとっては『会津=絵ろうそく』のことだったんです」
こう話すのは七代続く老舗「小澤蠟燭店」の小澤成子さん。
室町時代から連綿とこの地で作られ続けてきた会津絵ろうそく。ろうそくの白い肌に、梅や菊などの鮮やかな花模様が一本一本、丁寧に手で描かれている。
「雪深い会津の冬は、仏壇に供える花もない。絵ろうそくは、冬場も枯れることのない供花として、たいへん重宝されたんです」
会津絵ろうそくは芯巻き、芯固め、ろう掛け、かんな掛け、絵付け、上掛け、頭切り・尻切り……いくつもの工程を、すべて職人の手作業で、約1カ月の時間を費やし、作られる。最初の写真は、絵ろうそくの灯芯に用いられる原材料の藺草。
かつては漆、その後はハゼの実から抽出した油脂を主原料とし、灯芯には和紙と藺草が使われている。石油由来の原料で、綿糸を芯にする洋ろうそくとは、燃え方もまるで違うという。
「炎は大きく、ロウが垂れることなく燃え尽きます。それに、ともしびが全然、違うんです。見る人に安らぎをもたらす会津絵ろうそくのともしびを、ぜひ、一人でも多くの人に知ってほしいです」
小澤蠟燭店の店舗は明治初期に建てられた趣あるもの。訪れる外国人観光客も少なくない。取材のこの日も「歴史が好き」と話す、香港からの来客があった。
彼は、小澤さんが丹精込めて作り上げた絵ろうそくを眺め「綺麗ですね」と呟いた。
「嬉しいですね。そう言ってもらえる瞬間が、いちばんです。一本一本、一生懸命に作ってますから。こうしてお店に来たお客様が『あら、いいわね』と言ってくださることが、私の生きがいなんです」(小澤さん)
会津絵ろうそく「小澤蠟燭店」
山崎ナナ | やまさきなな
08年、アパレルブランド「YAMMA」を設立。15年、閉鎖が決まった会津木綿工場「原山織物工場」の存続に立ち上がり、事業継承。「株式会社はらっぱ」代表取締役に。ニューヨーク在住。昨年、東京に「YAMMA神楽坂」をオープン。https://yamma.jp
案内人 山崎ナナ(はらっぱ代表/デザイナー)
取材・文 仲本剛
撮影 須藤明子
会津への翼
会津へは大阪(伊丹)などからANA便で福島空港へ。
※運航情報は変更になる可能性がございます。最新の情報はANAウェブサイトをご確認ください。