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会津の伝統工芸品がNYセレブの愛用品になった納得の理由

会津の伝統工芸品がNYセレブの愛用品になった納得の理由

TRAVEL 2024.09  会津特集

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「会津っぽ」―。この地に生きる人々の正義感の強さ、一徹さ、頑固さを表す言葉。酷暑の夏に、豪雪に閉ざされる冬―。厳しい環境だからこそ、会津っぽは育まれたのかもしれない。その“ぶれない心”の持ち主たちが、数百年もの間、大切に紡ぎ続けてきた「もの」たち。会津木綿、会津本郷焼、会津塗、それに、会津絵ろうそく……。この、個性豊かな逸品たちにいま、世界の目が注がれている。

厳しい風土が育んだ、高機能で飽きのこない布地

「ちょっと無骨な、ゴワゴワした生地ですが、じつは隙間がたくさんあって、通気性が高く夏も快適。いっぽう内部に多くの空気を含むことから高い保温性もあって冬も温かい。会津木綿は、夏は酷暑、冬は豪雪という厳しい会津の風土が育んだファブリックなんです」

この旅の“案内人”山崎ナナさんは、こう言葉に力を込めた。 山崎さんは、会津木綿工場「はらっぱ」の代表で、ニューヨークにも拠点を置くブランド「YAMMA」のデザイナーでもある。

YAMMAの設立は2008年。そして、その翌年。山崎さんは会津木綿と出会った。

「ブランドの立ち上げ当初から『流行は追わない』『大量生産はしない』『長く着られる日常着を作る』というのを基本理念としていた私にとって、そもそも農作業用の“野良着”を作るための布、会津木綿はまさに、理想的な素材でした」

会津木綿は会津の地で400年以上続く伝統産業。山崎さんがとくにひいきとしたのが、明治32年に創業、会津でも唯一「染めから織りまで」の一貫生産を続けていた「原山織物工場」が生み出す会津木綿だった。

「当時は、同工場の生産する生地のほぼ半分を、YAMMAが買い付けていたと思います」

工場閉鎖の危機を乗り越え、NYで脚光を浴びて

山崎さんは「このユニークな会津木綿という布地をもっと広く、世界の人に届けたい」と考え、ニューヨーク進出を決断するのだが……。

「その矢先の2014年暮れ、原山織物工場の社長が急逝してしまって、工場の閉鎖が決まってしまうんです」

なんとか、工場を再開できないでしょうか――。

急遽、会津に飛んだ山崎さんは遺族にこう直談判。数カ月に及ぶ話し合いのなか、やがて、山崎さんの熱い思いが創業家の心を動かしていって……。建築会社を営む先代社長の従兄弟と山崎さん、この二人が共同代表となって、原山織物工場を引き継ぐ形で新たに「株式会社はらっぱ」が創業された。

こうして2015年、ブランド・YAMMAのデザイナーに加えて、会津木綿の織元・はらっぱの代表という肩書きも引っさげて、山崎さんはニューヨークに乗り込むのだが。

「当初は、『外国ではこんなゴワゴワ、ガサガサの硬い布地はウケませんよ』と忠告を受けたこともありました。実際、そのスタートは決して順風なものではありませんでした」

転機はコロナ禍だった。パンデミックに襲われ、日々の営みを奪われたニューヨーカーたちは、自分たちを取り巻く環境や、大量生産品が溢れる暮らしに疑問を抱き始め、手にするものをじっくりと吟味するようになる。

「原料や素材はもちろんのこと、そのものが、どのようにして作られているか、また歴史的背景までも、多くの人たちがきちんと目を凝らして見るようになったんです」

果たして、会津木綿にも光が当たる。

「先ほど述べたように、厳しい気候風土のもと育まれた機能性、いまや世界的にもたいへん希少になった100年もののシャトル織機が織りなすミドルウェイトの木綿の布地、それに元来、農作業のための『野良着』用という、頑丈で少し野暮ったい風合い……、ニューヨークではその独特な個性を理解した多くの人たちが、会津木綿を手に取り、袖を通し、そして気に入ってリピーターになってくれているんです」

ニューヨークでも人気の会津木綿。トム・クルーズの元妻で俳優のケイティ・ホームズさんや、NBAのレブロン・ジェームズ選手、WWEで活躍中の日本人レスラー・中邑真輔さんも会津木綿の大ファン。

山崎ナナ | やまさきなな

2008年、アパレルブランド「YAMMA」を設立。2015年、閉鎖が決まった会津木綿工場「原山織物工場」の存続に立ち上がり事業継承。「株式会社はらっぱ」代表取締役に。ニューヨーク在住。昨年、東京に「YAMMA神楽坂」をオープン。

https://yamma.jp

山崎ナナ 写真

案内人 山崎ナナ(はらっぱ代表/デザイナー)
取材・文 仲本剛
撮影 須藤明子

会津への翼
会津へは大阪(伊丹)などからANA便で福島空港へ。
※運航情報は変更になる可能性がございます。最新の情報はANAウェブサイトをご確認ください。

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