宗像大社から足をのばして 気のいい河童と巡る贅沢な海鮮グルメ
数千もの伝承の中から、都道府県ごとに一匹の妖怪を選び、造形作家森井ユカの独自の解釈で創造しました。
妖怪に誘われるがまま旅すると、美味しいもの、きれいな景色に必ず出会える!? ようこそ、空飛ぶ百鬼夜行へ。
長太郎河童
福岡県宗像市の釣川に暮らした河童のボス的存在。400歳まで生き、晩年にはシルバーグレーに輝く立派な体毛を纏っていた。人間たちと河童たちとの間に立ち、不道徳な河童を懲らしめた。河童のなかでも気のいい「長太郎河童」。人間との間に立ち、悪さをする河童は懲らしめます。
ご利益:事業発展
力強く流れる釣川に伝わる人と河童を繋ぐ長太郎伝説
日本で最もよく知られている妖怪の一つ、河童は、九州地方にその伝承が数多く存在する。滑稽だったりちょっと怖かったりという印象だが、実は九州から殿様に随行し、着いた先の江戸で火事を消し止めたという勇ましい伝説もある。
河童自体のルーツは、古くは弥生時代であったとのこと。農耕文化を日本に伝えた中国江南の農耕儀礼の中に河童の姿が見られたらしいが、その存在が全国に広まったのは江戸時代からである。
地域により河童の姿も性格も様々で、総括するのは困難を極めるため、ここでは長太郎と呼ばれた河童に注目し、福岡県の宗像市(むなかたし)に飛んだ。ときは宗像大宮司氏国(むなかただいぐうじうじくに)の頃(901年)、宗像大社の近くに片脇城を築造の折、人手が足りないため多くの藁人形(わらにんぎょう)が動員された。城が完成したのち、藁人形のほとんどが領内の釣川(つりかわ)で河童となって暮らしたが、やがて食糧不足などの不満が蓄積され、ならずものの河童たちも出現するように。
そこで人間たちとの間で調整役として奔走し数々の物語を残したのが、人々からの信頼も厚かった河童の頭領、長太郎河童だった…。
妖怪を知ることは人間を知ること。古の人々が河童に託して後世に何を伝えたかったのかに思いを馳(は)せるのは、なんとも豊かなひとときだ。
イカと泳ぎ穴子に驚く 河童が導く福岡の晩餐
河童が多く棲んだという、宗像市を流れる釣川。この川が注ぐ玄界灘は、言わずと知れた海産物の宝庫。なかでも誉れ高いのが、透明な身が美しく滋味に溢れるヤリイカだ。釣川の河口に近い『玄海若潮丸』はもともと漁師が始めた鮮魚店だったが、20年ほど前から通年ヤリイカの活き造りを供するようになった人気店。イカは夏を過ぎた頃に、より身が厚くなり甘みが増すとのこと。
透き通るヤリイカは一番人気。後に残る耳や足など(後造り)は塩焼き、天ぷら、お刺身から選べる。イカの有無は当日に電話で確認を。(玄海若潮丸)
玄海若潮丸
食後には釣川を少し遡り、宗像大社横の駐車場にできたカフェ『むなかた茶愉(ちゃゆ)』で新たな名物となる姫餅(きもち)と茶愉けし餠をいただいた。
むなかた茶愉/munakata chayu
さらに釣川を遡り、帰路の博多ではこれもまた福岡の名産である穴子を。薬院の『一(はじめ)』は2022年に開業した、穴子に特化した珍しい専門店。うなぎと姿は似ているが、天ぷら、刺身、しゃぶしゃぶなど料理のバリエーションが多いのが穴子の魅力だそうだ。特に刺身の弾力がありコリコリとした歯応えと深い味わいは、他ではなかなか体験することはできない。穴子は通年あるが旬としてはまさに夏場。
お好みにより出汁茶漬けにしても。
一(はじめ)
クライマックスにさらにヤリイカの活き造りを『河太郎』中洲本店で。九州では河童を意味する河太郎という名の通り、なんと店の内外で大勢の河童の像が出迎えてくれる。ここは1961年に日本で初めて生簀(いけす)料理を始めたというパイオニア。
『河太郎』のロビーにいる河童たち。
ふっくらとしたイカ焼売。
熟練した職人の技で瞬時にさばかれ、海の側(そば)と変わらぬ新鮮なイカのお造りをいただける。河童に始まりそして終わる旅は、水の恵みを思い切り堪能する旅になった。
河太郎中洲本店
取材・文・造形 森井ユカ
立体造形家/キャラクターデザイナー「ネコカップ」「ネゴ」のデザイン、ポケモンカードゲームのイラストレーション、粘土あそびセット『ねんDo!』のディレクションなどを担当。著書多数。
参考
『宗像伝説風土記〈下〉』上妻国雄(西日本新聞社)
『九州河童紀行』九州河童の会編(葦書房)
『郷土のものがたり福岡県の民話と伝説』福岡県総務部広報室(福岡県)
『九州の河童』純真女子短期大学国文科(葦書房)
撮影 五味茂雄
編集 中野桜子