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ANAヒューストン便10周年 NYから赴任した所長が人生を賭けた日本流サービス

ANAヒューストン便10周年 NYから赴任した所長が人生を賭けた日本流サービス

ANA REPORT 翼の流儀

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テキサス州ヒューストン郊外にある「ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港」。この44.51平方キロメートルの広大な敷地、本の滑走路を有する巨大空港の駐機場に、その男性の姿はあった。“南部”ならではの強い日差しが降り注ぎ、取材時点の春先でも気温は30度近くに達している。額にかすかに汗を浮かべた彼は、滑走路に進んでいく航空機に向かって満面の笑みで手を振り続けていた。

「10年間、欠かさず続けているセレブレーションです。出発されるお客様を、スタッフ一同が心を一つにしてお見送りする。これが、私たちのスタイルです」

ANAヒューストン支店空港所長のロバート・ヘンリーは、無事飛び立った機体を仰ぎ見ながらこう話すと、もう一度、柔らかな笑みを浮かべてみせた。

日本のエアラインとして初めてANAが東京―ヒューストンの定期路線を開設してから、7月で10周年を迎える。NASAのジョンソン宇宙センターがあることで知られるヒューストン。アメリカの石油・エネルギー産業の拠点都市で、数多くの日系企業も進出している。また、アメリカ国内はもちろん、中南米各都市への経由地としても利便性が高く、東京―ヒューストン路線は開設当初から高い搭乗率を維持している。

そして、その第一便がこの空港に降りたった10年前のあの日も、東京からの多くの搭乗客を、ヘンリーはいまと同じ温かな笑みとともに迎えていた。

今回は入社からすでに34年、ANAの外国籍スタッフきってのキャリアを誇る空港所長に聞いた、人気路線・東京―ヒューストン、その10年の歩み――。

働いて感じた、日米の航空会社の違い

「私はガイアナで生まれました。南米で唯一、英語が公用語の国です。13歳のとき、両親の仕事の都合でアメリカ・ニューヨークに移住しました。学生時代はアビエーション(航空業界)マネジメントを専攻しました」

大学卒業後は当時、アメリカの“フラッグ・キャリア”だったパンアメリカン航空に入社。同社で18カ月間、勤務したのちの1991年8月、ANAに転職した。

「同年の3月に、ANAはニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に就航したばかりでした。転職の動機もまさにそれで“新しい会社”でのチャレンジが自分のキャリアをもっと広げてくれるはず、そんなふうに考えたんです。挑戦することが多ければ多いほど、成長できると信じているからです」

さらに、こう言葉を継いで笑った。

「でも、そうやって選んだ道が、こんなにもいい道だったとは、自分にとって“ドリーム・ジョブ”になるとは、そのときはまだ、気づいていませんでしたね」

ANAに入社してすぐ、ヘンリーは日米それぞれの企業、そして、そこで働く人たちの違いに気がついたという。

「自己紹介するときなど、同僚は『ANAの◯◯です』と、会社や所属部署を併せて名乗ります。会社や、組織を代表している自分にプライドを持っているように感じました。ANAに限らず多くの日本企業の人たちは、概ねそのような考え方だと思います。一方、アメリカの企業に勤める人は、組織よりも個人のことを強くアピールする。そこは大きな差がある点だと感じました」

さらに「サービスの考え方が、同じ航空会社でも日米で大きな違いがあった」と語る。

「たとえば『今日はちょっと嫌な日だな』と自分が思っていたとしても、ANAの一員として、お客様の前では常に笑顔でいることが求められています。お客様が望む以上のものを提供してこその『サービス』『おもてなし』という考え方です。また、トラブルが発生したときも、お客様からご指摘をいただく前に気づかなくてはいけないと考えます。何より正直な対応が求められ、必要であればすぐに謝罪しなければなりません。それは企業の倫理観を表していると思いますが、アメリカの企業とは観念が大きく違うように感じます。ANAではお客様のところまで足を運んで謝るということを、当たり前に行いますが、アメリカの企業では、ちょっと考えられない。日本の人たちが当たり前に思うことが、アメリカでは全然、ノーマルではないんです」

そんな、アメリカでは決して普通ではないANAの企業風土に、ヘンリーは比較的早くから馴染めた。いやむしろ、彼には“水が合った”ようだ。

「私は『いつもオネスト(正直であること)でいよう』と考える人間です。時間を守る、丁寧な接客を心がけるなど必要なことを理解し、何より私が誠実に、ベストを尽くしていることを早くから上司が認めてくれたのが大きかったと思います。

それに、空港の仕事というのは時間が限られていて、何かが起きてもミニマムな指示で、短時間で対処しなくてはなりません。日本の人は皆で話し合って物事を決めることには長けていますが、それでは間に合わないことも。その点、慌ただしいニューヨークで育ち、前職の経験もあった私は、個人の判断で素早く動くことができました。それは会社にも良いことだったはずです。私はもちろん、上司もハッピーだったと思います」

時間的制約のある空港での接客でも「誠実さこそがもっとも重要」とヘンリーは話す。

「お客様に対しては常に誠実に。たとえ本当のことが良くない内容だとしても、正直な対応は結果的にお客様の満足につながる。それはANAで学んだことでもありますし、いまとなっては、それ以外のやり方がわからないほど、私自身のスタイルにもなりました」

気がつけば、ANAでのキャリアは、日本駐在の1年間も含め四半世紀に迫ろうかとしていた。2015年、ヘンリーに昇進の辞令が下る。それは、ヒューストン支店の初代空港所長を任ずるものだった。

住み慣れたニューヨークからヒューストンへの赴任

「日本の人たちにとってヒューストンという街は、知名度の高い、ニューヨークやロサンゼルスほどの馴染みがない」

苦笑いを浮かべたヘンリー。

異動を告げられたときは、長年暮らした世界的な大都会・ニューヨークからの転勤に、少なからず抵抗も覚えていたと打ち明ける。

「最初は、テキサスには引っ越したくなかった(苦笑)。でも、よく考えてみると、これは自分のキャリアにとってはベストな選択だと思い至りました。ANAのヒューストン就航目前で、私が引っ越してくる日の90日後に第一便が飛んでくるというタイミング。そのうえ、当時の支店の社員は私一人だけ。ですから、オフィスを一から作ることも、宣伝も、スタッフの採用やさまざまな契約も含めて、とにかく多くのことをサポートメンバーの力も借りながらやらなければならなかった。たいへん苦労しましたが、すごく貴重な経験を積むことができました」

ANAの企業風土にすぐ馴染んだヘンリーだが、テキサスの慣習には「最初は戸惑った」と笑う。

「当初はニューヨーク時代と同様に、こちらの企業にもEメールで連絡を取ろうとしました。ですが、最初は皆ノーアンサー、誰も返信をくれないんです。それで、ちょっとイライラしてきて(苦笑)。先方まで足を運んで言ったんです。『どうして返事をくれないんですか⁉』と。ところが、実際にお会いすると、皆さんすごく親切で、どこもかしこも、とてもウェルカムなんですよ。『さあさあ、そこに座ってください』という感じで。『ホワイ?』と思いましたけど、すぐ理解しました。テキサスでは、商談は直接会うことでスムーズに進む、ということを。それが、こちらのスタイルなんだと」

そして、ヘンリーはこう続けた。

「アメリカは本当に広いんです。ニューヨークからヒューストンまでは約4時間半。東京―香港のフライト時間とほとんど変わらないんです。それだけ離れていれば、同じ国とはいえ、スタイルだって違って当然なのかもしれません。私はまだテキサスを学んでいる最中。本音を言えば、なにごともスピーディなニューヨーク・スタイルのほうが好きなんですけどね(笑)」

苦労の末、迎えた2015年6月12日。東京からの第一便がヒューストンへ。

「長いキャリアのなかでもこの瞬間が、いちばん思い出深いです。東京からの最初の便でお越しになったお客様たちの顔は、いまも鮮明に覚えています」

その日から、まもなく10周年という節目を迎える。

「昨年11月には延べ旅客数ワンミリオン(100万人)も達成したんです。でも、赴任当初は正直、ワンミリオンも10周年も、想像できませんでした。ただ、こちらに来て3年目に私は家を買いました。日本での知名度は高くないかもしれませんがヒューストン便は連日満席でしたし、あまり知られていない街だからこそ、ここで成功を勝ち取りたい、チャレンジしたいという気持ちがいっそう強くなりました。生来、私は挑戦が好きなんです」

力を込めるヘンリーに、記者が「チャレンジ成功ですね、Congratulations!」と伝えると、いったんは相好を崩したものの、彼はふたたび気持ちを引き締めるようにして、こう続けた。

「でも、毎日が挑戦ですから。たとえ10周年を迎えても、その翌日には新たなチャレンジを始めないといけません。そんな毎日の積み重ねがワンミリオンであり、10周年なんです」

ヒューストンの「毎日」。その締めくくりが冒頭で紹介した10年間欠かすことなく続けてきた“グッバイ・ウェーブ”だ。

滑走路に向かう出発機を、ANAの地上スタッフが皆で手を振り見送る“儀式”――。日本国内の空港で目にしたことがある人も少なくないと思うが……。

「ここには多数の航空会社が就航していますが“グッバイ・ウェーブ”をしているのは、私たちANAだけです。他社の人からは『なんでそんなことを?』という声も聞こえてきますが、その答えは『これが私たちのやり方だから』。それ以外にも毎朝、カウンターでチェックインの開始時や、搭乗ゲートが開くとき、私たちはお客様に向かってお辞儀することも欠かしません。お客様に少しでも快適で安心していただきたいという思いです。それに、私たち自身も、やっぱりすごく気持ちがいいんです。お客様を無事に送り出すことができた証でもありますから」

入社から34年。ニューヨークで、まだ“新しい会社”だったANAとともに歩み始め、ヒューストン路線を一から育んできたヘンリー。「いまでは少しだけ、自分自身をパイオニアと感じることもあります」と誇らしげに語り、目を細めてみせた。

「自分の成長とともに、ANAの発展に少しは貢献できたのかなと。まぁ、それだけ私も、年をとったということですね(笑)」

明日からも、彼の挑戦は続いていく。そしてそこには、チャレンジに常に正直に向き合う、空港所長の姿があるはずだ。

撮影 須藤明子 
取材・文 仲本剛

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