ANAの“宇宙担当”が語る夢と挑戦 元整備士が描く持続可能な宇宙ビジネスとは?
「まだ、ご存知ないかたも多いかと思いますが……、じつは私たち“空”だけではなく、“宇宙”もやってます!」
ANAホールディングスのグループ経営戦略室事業推進部・宇宙事業チームのマネジャーを務める熊谷大地は、こう言って笑みを浮かべた。 1952年、日本初の純民間航空会社として産声を上げたANAが運航していたのは、2機のヘリコプター。それから70年余。いまやその“仕事場”は、熊谷が語ったように宇宙にまで拡がりを見せている。
「そもそもは2015年、弊社の『長期戦略構想』の裏表紙に、とあるメッセージが記載されたのがはじまり。それが『次は、宇宙へ。』でした。ANAグループはその言葉を具現化しようと動き出します。2018年に『宇宙事業化プロジェクト』が立ち上がり、将来の宇宙ビジネスの可能性を探り始めます。そして、2021年4月。現在、私が籍を置く『宇宙事業チーム』が正式に発足。昨年4月には全日空商事にも『宇宙ビジネスチーム』が立ち上がり、今年4月から『宇宙ビジネス開発室』が発足しました。現在は私が所属する宇宙事業チームと併せて二つが、グループ内で宇宙事業を担っています」
現在、ANAグループが展開するのは①宇宙輸送ビジネス、②航空機と衛星のデータリンク、③航空産業ビジネスモデルを宇宙産業へ応用、という主に三つの領域。詳細は後述するが、たとえば「宇宙輸送ビジネス」とは端的に言えば、人やモノを宇宙へ運ぶサービスだと思われるが……。熊谷は「それに限らない」と話す。
「人々が宇宙へ行き活動するためには、飛び立つ前に地上でできること、すべきことがいくつもあります。その一つが宇宙に行く人に求められる教育訓練です。乗務員の訓練などを長年、実施してきたANAグループにはさまざまな経験、知見があります。その強みを活かした事業を展開できるのではないか、そう考えています」

ANAホールディングスは2023年、宇宙航空研究開発機構(JAXA)から宇宙飛行士候補者の基礎訓練の一つ「心理支援プログラム」を行う企業として選定された。昨年には、二人の宇宙飛行士候補者(当時)、諏訪理さん、米田あゆさんの訓練を担当。「ANA Blue Base(ABB)」での訓練の様子は広く報道された。
熊谷は言う。「さまざまな人々が宇宙で活躍できるようになるためには、どのような準備や訓練が必要になるのか、こうした経験がその研究の1ステップにもなるとも考えています。 あくまでも個人的、希望的観測ではありますが……2035年、あるいは2040年には宇宙旅行が実現される、そんなふうに私自身、期待しています」
今回の「翼の流儀」は熊谷が抱く夢――、ANAグループで目指す果てなき宇宙に馳せる想いを紹介する。
ずっと抱いていた、宇宙に「挑戦」したいという思い

幼いころの熊谷は、ずっと空を仰ぎ見るようにしながら、育ったという。
「福岡県出身の私は、祖父母が暮らす八女市星野村で幼少期、多くの時間を過ごしました。山間のその名のとおり星がきれいな村で、九州最大の天文台も。茶摘みの時期には特産の、八女茶(星野茶)の茶摘みの手伝いをしたり、夜はやっぱり澄んだ星空をよく眺めたりしていました。宇宙をすごく身近に感じ『いつかは自分も宇宙に……』と思っていました」
熊谷少年にはもう一つ、身近に感じていたものがあった。
「それは、飛行機。じつは村の真上が航空機の飛行ルートで。1日数本しか来ないバスよりも、むしろ飛行機を見る頻度のほうが、ずっと多かったんです」
大学では人工衛星を作るプロジェクトの立ち上げに参加するなど、少しずつ、宇宙に近づいていった。
「衛星プロジェクトや宇宙に関わる研究は非常に面白かったです。一方で、飛行機も好きな自分は『飛行機のような乗り物に乗って宇宙に向かえたら最高だな』という気持ちも強くて。ですが、当時、日本の宇宙開発において、『日本独自の有人宇宙輸送機の開発はまだ先なのだろうな』との印象を抱いていました」
当時、熊谷はJAXAの派遣生として、国際宇宙大学(ISU)のショートプログラムにも参加している。
「将来の宇宙業界を担う人材育成のため、80年代後半にフランスで設立された大学です。この大学では、世界各国から学生、教師陣、客員講師たちが集い、宇宙工学、宇宙科学、生命科学などの技術分野はもちろん、法律、経済、政策、哲学等の非技術的分野についても学習、情報共有ができる大学で、私が留学したのは中国・北京で行われたショートプログラム。宇宙飛行士や著名な研究者から教わることは、人生を大きく左右する刺激的な経験でした」
就職活動中、熊谷は考えていた。「宇宙を“研究”するのではなく、宇宙に関わるビジネスに“挑戦”ができる企業はどこだろうか?」と。「就活中の私が勝手に抱いていたのが『ANAって挑戦する会社だよな』というイメージでした。もし将来、民間だからこそ取り組める宇宙ビジネスに挑戦できる時代となれば……ANAなら、きっとやるんじゃないかなって。もう勝手に思ってました(笑)。それがANAを志望する動機の一つにもなりました」

2008年。密かな野望を胸に秘め、熊谷はANAに入社。最初の十年間は航空整備士として働いた。
「羽田の格納庫で電装系のドッグ整備を担当しました。航空整備士は多くの資格を取得する必要があって、目の前の仕事と勉強に追われる毎日で。航空整備士として一人前になることを目指し毎日必死でしたので、宇宙のことは頭の隅っこのほうに追いやってました(苦笑)」
7年、8年とキャリアを積み上げ、やがて「航空整備士なら憧れる人も多い」という、新造機領収検査員の任に就く。
「当時はボーイング787を多数導入していた時期。シアトルの工場に行き完成したばかりの飛行機の試験、その機体に乗ってそのまま帰国し、数週間後にまたシアトルに。そんな生活が続きました」
充実した日々に、野望は霧散したかに見えたが……。毎月のように赴いたシアトルには、航空宇宙ミュージアムが。「航空宇宙産業の盛んなシアトルの博物館には、さまざまな飛行機に並んで、ロケットや人工衛星、宇宙機も展示されていたんです」 押さえつけてきた「いつかは宇宙に挑戦したい」という野望が息を吹き返していく。それはちょうど、先述の長期戦略構想で「次は、宇宙へ。」というメッセージが打ち出されたのと同時期のこと。
そして、2017年に始まった内閣府の宇宙を活用したビジネスアイデアコンテスト「S-Booster」。その初代大賞をANAの社員が受賞。 ANAグループ内のそこかしこで、宇宙への想いが芽吹き始めていた。
宇宙飛行士候補と過ごし「本当に刺激的で充実した時間でした」

2016年、ANAホールディングスは、宇宙旅行・宇宙輸送の実現を目指し2007年に設立された、航空機のように滑走路を使って水平に離発着する有翼のロケット『スペースプレーン』の開発に取り組む、愛知県のベンチャー企業「PDエアロスペース」に出資。その後、ANAグループ内で同社への出向人財の公募が行われた。熊谷は志願をし、2018年にPDエアロスペースへの出向の任に就いた。
「こちらで私は『スペースプレーン』の実現に向けた無人飛行実験機等の設計、製造、試験、さらには公官庁との調整まで幅広い業務を担当し、大変な日々でした。でも、いま思えば、とても貴重な経験をさせてもらいました」
4年後。ANAグループに帰任し、現在の宇宙事業チームに。「将来、さまざまな人やモノが宇宙で活動できるようになるためには、地上や宇宙空間でどのようなことが必要になるのか。そのような観点で、ANAグループのノウハウを活用した『現実的な直近での宇宙ビジネス』と『将来を見越した宇宙ビジネス』、そういった全体像を描きながら新たな事業開発に取り組む仕事をしています」
その一環として熊谷が携わったのが、昨年行われた宇宙飛行士候補心理支援プログラムの訓練だったのだ。「宇宙での長期ミッションでは、技術スキルはもちろん大切ですが、同じくらいクルー同士のコミュニケーションであったり、状況認識、チームワークやリーダーシップなどの行動特性も重要と言われています。それらを効果的にトレーニングできる方法として期待されているのが、私どもエアラインが実施している『CRM(クルー・リソース・マネジメント)訓練』でした」
運航に関わる人や情報を最大限に活用しミスを防ぎ、安全運航を実現させるためのCRM訓練。これは宇宙空間の限られたリソースで、あらゆる事象に立ち向かわなければならない宇宙飛行士と親和性が非常に高いと考えられている。そして、これまで関わってきた宇宙事業のなかで、熊谷自身も、昨年の訓練プログラムがもっとも印象深い仕事だったと話す。
「数カ月に渡るABBでの訓練に携わらせていただき、とてもいい刺激をいただきました。もちろん、狭き門を突破し宇宙飛行士候補者として選抜されたお二人ですから、能力、コミュニケーション、お人柄も素晴らしく、本当に素敵な方々でした。私も、もともと『宇宙に行きたい』と思っていた人間ですから、その中で、これまで培ったANAグループの運航や教育ノウハウの強みを活かし、プロフェッショナルな教育訓練スタッフと一丸となり挑戦し、お二人への訓練を実現できたこと、一緒に仕事ができたことは、本当に刺激的で充実した時間でした」
自身が「宇宙に行く」という夢は当面、叶いそうにない。「でも」と熊谷は力を込めた。「私が夢に向かって突き進み、これまで掴んできた知識や経験を活かして、ANAグループで宇宙事業を持続的なビジネスにする――。これを私の道として歩んでいきたいと、いまはそう思っています」
いま思い描く夢、そして目標について改めて問うと、熊谷はまっすぐ前を見つめるのだった。
「持続的な宇宙事業の創出に取り組みながら、将来、誰もが宇宙を利用できる、そういう社会を実現するのが目標です。個人的にはもちろん、宇宙に行くという夢は、いまも。もしいま、宇宙に行くことができたら? そうですね、まずはやっぱり宇宙から地球やほかの星を、この目で、自分の目で見てみたい、それに尽きますね」
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