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VRで革新的進歩 時間も人員も半減させたANAのグラハン訓練に迫る〜翼の流儀

VRで革新的進歩 時間も人員も半減させたANAのグラハン訓練に迫る〜翼の流儀

ANA REPORT 翼の流儀

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グランドハンドリング業務では、特に地方空港など、就航便数や機材の有無などの違いによって、訓練にかかる時間や方法にばらつきがあった。2024年10月に導入されたVR訓練シミュレーター「∀TRAS(アトラス)」は、そういった課題を解決するだけでなく、訓練にかかわる時間や人員を少なくすることにも寄与する。今回は、最新機器を用いたグランドハンドリング業務の“新たな姿”に迫る。

グランドハンドリング訓練用VR シミュレーター「∀TRAS」の開発・導入に携わった面々。写真左から藤田、山藤晃大、小林、長岡正記。小林(ANA エアサービス福島)以外の3名は、ANAオペレーションサポートセンター・グランドハンドリング企画部に籍を置いている

「グラハンの理想像を目指していきたい」ー VR機器の導入で実機や人員の用意がなくてもグランドハンドリングの訓練が可能に

「私たちグラハンの仕事では、一人前になるためには回数をこなすこと、そして何よりイメージがとても大切なんです。新人時代、先輩たちからは『イメージトレーニングを繰り返しやりなさい』と言われたものです。ただ、私が勤務している福島のような就航便が少ない空港では、2〜3日おきの訓練となり、頭の中でイメージを保つことも簡単ではないんです。ですから、この『∀TRAS(以下・アトラス)』は、とても有効な訓練ツールだと、そう思っています」

こう話すのは、ANAエアサービス福島に籍を置く小林記銑(きずく)。現在、小林は福島空港のグランドハンドリング業務に就きながら、「マスターインストラクター」として、同空港で後輩社員の指導・育成も担っている。小林が「とても有効」と話したアトラスとは、VR(ヴァーチャルリアリティ= 仮想現実)を活用した訓練シミュレーター。ANAが昨年10月から、すべての国内空港のグランドハンドリング部門の訓練のため、順次導入を始めている。

アトラスは「ANA Training System」の略称で、システムはVRとAR(拡張現実)、MR(複合現実)を融合させたXR(クロスリアリティ)コンテンツを製作する株式会社積木製作とANAが共同で開発した。装着したゴーグル内のモニターに、駐機場や航空機の機体などのVR映像が映し出され、手の動きも連動することで、訓練者は作業を模擬体験できる。

アトラスの開発に携わったANAオペレーションサポートセンターの藤田亮平は言う。

「グラハン部門の訓練の多くは実際の航空機を使って行っています。しかし、空港によって就航状況は異なり、使用機材にも偏りが出てしまっていて、訓練が思うように進められないという課題がありました。それを打破する手段として、私たちはアトラスを開発、導入したのです」

今回の「翼の流儀」では、実写と見紛(みまが)うほど緻密に再現されたVRを使ったグラハンの訓練、その最前線に迫った。

特殊車両の操作性をどうやってVR上で再現するか

藤田は2009年、新東京空港事業(現ANA成田エアポートサービス)に入社。以来、長らくグランドハンドリング業務に従事し、2022年、現在の職場に出向した。

「今の仕事は簡単に言うと“グラハンの窓口”のようなところ。現場が抱えている困りごとを解決するのが役割です。私自身も13年ほど、ずっとグラハンの現場にいましたから、訓練に課題があることは実感していました。訓練では実機(航空機)を使用することも少なくないのですが、そうなると訓練と言いながら、実態は本番です。訓練者にかかるプレッシャーはとても大きい。また、訓練中には教官からさまざまなことを教わるのですが、実機の運航のための作業中ということもあって、メモを取る余裕がないこともあります」

さらに、アトラスの開発の背景にはコロナ禍も影響した。航空機の運航が休止し、航空業界全体でグラハン従事者の離職率が高まるなか、訓練環境の改善は、喫緊(きっきん)の問題でもあったのだ。

「すでに、客室や整備部門のトレーニングでは、安全コンテンツという形でVRは活用されていました。そういったものも参考に『これ、グラハンの訓練に取り入れられるのでは』というのが、アトラス開発の原点です」

こうして2022年春、藤田たちはVRコンテンツ開発企業の選定に着手するなど、VRシミュレーター開発に取り掛かった。

「難しかったのは、特殊車両の操作性をVR上にいかに再現できるかといった点です。私も含め現場の人間は、感覚的に操作している部分があります。その感覚をどうやって言葉でコンテンツ作成会社の担当者に伝えていくか、実現性を高めてもらうかというところは苦労しました。たとえば航空機のプッシュバック。トーイングカーのハンドルをここまで切ると、車両と航空機を繋(つな)いでいるトーバーの接合部がどう曲がるのか、といったこと。そのような場合は、担当者の方に羽田空港に足を運んでいただいて、トーイングカーの助手席に乗ってもらって、実際の作業を撮影していただいたり。そんなふうにして、感覚を掴(つか)んでもらいながら、VRを開発していただきました」

実写と見紛うばかりのアトラスのVR 映像。空港の建物や駐機場の様子はもちろん、特殊車両の車内や航空機もリアルに再現されている。訓練生が装着するゴーグル内のモニターに映し出される主観映像
教官が操作するPC 画面の4分割映像
「イベント発生機能」などでアクシデントが発生すると、画面全体が赤く明滅する

藤田たちが苦労の末、完成させたのが、「昼・夜」の時間帯と、「晴・雨・曇・雪」の各天候を組み合わせて訓練できるVRシミュレーター・アトラスだった。不具合や不測の事態を強制的に発生させる「イベント発生機能」も備えていて、対応機材はボーイング機が737、767、777、787、エアバス機がA320、A321、A380など、ANAの運航機種すべてを網羅。

現在、再現している空港は羽田、那覇、中部、そして松山の4空港で、今後は年1〜2空港ずつ追加していく予定だ。採点機能もあって、習熟度を数値化することもできる。昨年10月4日の羽田空港を皮切りに、その後は新千歳、福島、成田、中部、伊丹、関西、松山、福岡、佐賀、那覇の各空港へと順次導入された。

「プッシュバック/トーイング」「特殊車両走行」「パッセンジャーボーディングブリッジ(旅客搭乗橋)」「防除雪氷」という必要不可欠な4つの訓練が、仮想空間で受けられる

「プッシュバックに限っても、新人が一人前になるためには平均で70〜80回ほど、多い人だと200回も繰り返し訓練しないといけません。しかし、実機での訓練では運航便を使用するため、訓練生の前後の業務や移動時間を含めると時間がかかり、一日に実施できる回数が多くても5回と、非常に限られます。それが、このアトラスを使えば、純粋にプッシュバックの作業を短時間に何回でも繰り返すことができる。訓練回数を積み重ねていくことが、アトラスによって飛躍的に伸ばせると思っています」

アトラスが節減できるのは、訓練時間だけに留(とど)まらない。「従来、たとえば地方空港で夜間、お客様が降りた実機を使ってプッシュバックの訓練を行う際などは、一人の訓練に4名の人員を割さかなくてはならなかったんです。この初期の訓練が、アトラスならば、訓練生と教官の2名で可能になります。一回の訓練でマイナス2名ということは、年間に換算すると、かなりの数の要員節減が可能になるんです」

コロナ禍以降、訓練稼働要員の捻出に苦労していた各空港にとって、アトラス導入はまさに画期的な出来事だったのだ。

アクシデントでの緊急対応も再現した

「私が初めてアトラスの試作版を目にしたのは昨年5月、パッセンジャーボーディングブリッジの訓練コンテンツを試用したんですが……、あまりのリアルさに驚いたのを覚えています。同時に『福島空港に、すぐにでも導入してほしいな』、そう思いました」こう言って、笑みを漏らした小林。

自身が新人時代を振り返り、「アトラスはイメトレに打ってつけ」と話す。

「グラハンの作業では、周囲のスタッフに対して手で『OKサイン』を出すなど、さまざまな決まりごとがあるんです。でも、特殊車両の操作手順に気を取られていると、忘れてしまうこともあります。でも、アトラスでは映像上でハンドサインを出すことまで徹底して指示が出ますから。ですので、福島の同僚も『イメトレにももってこい』だと話しています」

現在、教官として訓練生を教える立場でもある小林。「イベント発生機能」も訓練には効果大だという。

「グラハンの規定には、緊急時の回避方法や操作法も記されてはいますが、訓練では実際にそれを経験することは、まずありません。たとえばプッシュバック時にトーバーが破損してしまうようなアクシデントが発生したケース。私から訓練生には『そういうときは、こう対処するように』と言葉で説明するのが従来は精一杯でした。でも、アトラスならば、実際にトーバーが折れるシーンを再現できる。車両を緊急停止し、その後の正しい対処の方法を、リアルなVR上で体験できるんです」

そして、藤田は最後にこう言って締め括(くく)った。

「グラハンって、人の力に頼る部分がすごく大きい職掌なんです。その分、まだまだデジタルやイノベーションで改善できる余白が残っていますし、それが活用できた先にこそ、将来のグラハンの理想像があると思っています。個人的には、その理想像に近づけるための作業に、少しでも関われたら嬉しく思います」

ANA公式YouTubeで「【翼の流儀】グラハンVR訓練の最前線に迫る!」もご覧いただけます。