整備担当者、「航空業界初」への挑戦〜翼の流儀
「正直、プロジェクトが立ち上がった当初は『本当にできるんだろうか?』と、どこか半信半疑でした。それから2年。やっと完成し、電源を入れて問題なく動いてくれたときは『やった! よかった!』と本当に嬉しかったですし、ホッと胸を撫で下ろしました。また、その後の反響の大きさにも、とても驚いています」
羽田空港にほど近いガレージ。車体の大きさに比して、驚くほど小さな駆動音でゆっくりと進んでくる車両を、整備服に身を包んだ小暮龍也(こぐれたつや)は目を細め、見つめていた。
全日空モーターサービス(以下、ANAMS)は今年春、ディーゼルエンジンの「ベルトローダー」を、自前でEV(電気自動車)へコンバージョン(改修)し、廃棄対象車のアップサイクルに成功した。その車両は5月に公開され、各方面から大いに注目を集めた。
ベルトローダーとは、飛行機の貨物室に手荷物を搭降載するための、ベルトコンベアなど荷役装置を装備した「GSE(航空機地上支援車両)」と呼ばれる特殊車両の一つだ。
ANAでは、グループ一丸となって「航空機の運航以外で発生するCO2排出量を、2030年度までに33%以上削減(2019年度比)する」という中期環境目標を掲げている。GSEのEV化は、この目標達成に欠かすことのできない要素の一つだった。
さらに……。航空需要が急速に回復し、世界各国の空港でGSEのEV化も加速していることで、当該車両の新車の購入価格は高騰の一途をたどっていた。そのような状況下での自社開発、しかも、廃棄対象車をEVにアップサイクルすることに成功した事実は、EV導入の選択肢を格段に広げ、経済的メリットの可能性をもたらすもので、ANAの脱炭素の取り組みに大きく貢献することが期待されていた。
そして、この難題に挑んだのが、ANAMS GSE整備部に籍を置く小暮たちだったのだ。
「いつもは車両の整備を担っている私たちが、一から車両を作り上げるようなものでした。なかでも、いちばん苦労したのは電子回路の設計と、それに伴う配線図を書くということ。整備作業はもちろん慣れていますし、そのために配線図を見ることは従来、多々あっても、配線図を書くなんて経験は、これまでは皆無でしたから」
こう言って頭をかく小暮。「一からEVを作り上げるなんて、まるで“ANAのイーロン・マスク”ですね」と水を向けると、「いやいや、経営センスがないですから」と言いつつも、照れ臭そうに、そうごうを崩してみせた。
これまで、さまざまな分野で“本邦初”“業界初”を成し遂げてきたANAグループ。今回は、やはりこちらも“日本の航空業界初の取り組み”を実現させた、車両整備のプロフェッショナルに聞いた、仕事の流儀――。
乗用車の整備から特殊車両の整備の世界へ
小暮は2017年、ANAMSに入社した。それ以前は、大手メーカー系の販売店で、整備士としてのキャリアを積んだ。
「専門学校を卒業したのち、ディーラーの整備士として15~16年、働きました。その間、乗用車の整備は修理から板金に至るまで一通り経験し、こなせるようになったので、もっと特殊な車両相手の仕事がしてみたい、そんな思いに至ったんです」
小暮はもともと、飛行機も大好きだった。
「それで、どこか空港の近くで働いてみたいな、と思って職探しをしたところ、見つけたのが今の職場でした」
自ら望んで飛び込んだ特殊車両の整備の職場。しかし、その“新たな挑戦”、最初は一筋縄ではいかないことの連続だったという。
「入社当初はかなり苦労しました。GSEって『これ、本当に車と呼んでいいの!?』と思えるほど、それまで触ってきた乗用車とはまるで違いました。一般車の整備では見ることのない油圧の配管図を、まずは頭に叩き込まないと仕事にならない。それに何より、部品一つひとつの大きさがまるで違うんです。乗用車ならば、だいたい手のひらに収まるサイズのものが、GSEの部品となると、見たことないほど大きく重たくて。ほんと、面食らいましたね(苦笑)」
ディーラーでの整備作業は、ほとんど単独で行うものだった。だが、ANAMSでは基本的に、複数人のチームでGSEの整備に取り組む。そこも、大きな違いだったという。
「作業中に出る音もすごく大きいんです。その大きな音のなか、複数の人間が1台の車両の整備に当たりますから。整備中、試験的に稼働するときなどは、周りに目を配らないと、誰か同僚を怪我させてしまう恐れもある。そういったところも、ディーラーの整備士時代とは大きな違いでした」
それでも「生来、挑戦することが好き」と話す小暮は一歩、また一歩とANAMSでの挑戦を続けていった。
「なにかにトライしてみたいと思ったとき、頭ごなしに却下されるようなことは決してないんです。多くの場合『よし、やってみよう』と言ってもらえる。働く者にとって夢を持てる職場、それがANAMSだと思います」
現在の環境を笑顔で語る小暮。そんな彼の整備士キャリア最大の挑戦が、GSEのアップサイクル・プロジェクトだった。
廃車待ちとなった特殊車両をEVとしてコンバージョン
世界的な課題であるCO2排出量の削減。先述したように、ANAグループは2030年度までに、航空機の運航以外の場面で排出するCO2を33%削減することを目指している。そして、グループの一翼を担うANAMSが発案したのがGSEのEVへのコンバージョンだった。
「先ほど『半信半疑だった』と話しましたが、本当にそうなんです。車両整備の知識のあるディーラー時代の先輩からは『さすがにEVをイチから作るなんて、無理なんじゃない?』と言われましたし。私自身、最初は『コンバージョン』という言葉の意味すら、わかっていなくて。『それっていったい、なんですか?』って(笑)。そんなところからのスタートだったんです」
プロジェクトの発足は2022年5月。まずは、ベースとなる車両を手配するところから始まった。
「成田空港で29年間、第一線で活躍したのち、廃車待ちとなっていた1994年製、ディーゼルエンジン仕様のベルトローダーをANAから調達しました」
ちなみに配備空港による塩害の有無や稼働状況によって違いはあるが、概ね20~25年がベルトローダーの“寿命”とされている。
小暮たちは、再生を目指す車体の経年劣化した部位に板金修理などレストアを施しながら、コンバージョンのための構造設計や電子回路の組み上げを行ういっぽうで、心臓部となるエンジンや燃料タンクなどを取り外した。そのうえで新たに、リチウムイオンバッテリーや走行モーター、荷役モーター、それにモーターの回転数を制限し高いトルクを得る減速機や、ECU(上位コントロールシステム)などの調達、搭載に順次取り組んでいった。
もっとも苦労したのは、小暮が先に語っていたように、電子回路の設計と、それに伴う配線図を書く作業だった。
「自分たちで回路を設計すること自体が初めての経験でした。おそらく、社内にも配線図を書ける人間は一人もいなかったと思いますし、航空業界ではまだまだ少ないEVですから、最初は本当に手探りのスタートでした。配線図を書いては、技術者同士で意見をぶつけ合い、また、当初から協力してくださった『電気自動車普及協会』の方々のアドバイスも頼りに、少しずつ知識を深めながら仕上げていった、そんな感じです。今になって思うと、最初のころに自力で書いた配線図では、おそらくベルトローダーは、まったく動いてくれなかったと思います」
コロナ禍で、部品調達が思うように捗らないなど、自分たちではどうすることもできないハードルもあった。
15年の継続使用が可能に他の特殊車両のEV化も構想中
そして、今年2月27日。ついに通電に成功し、廃車予定のベルトローダーはEVとして蘇った。3月7日にはANAMS敷地内を走行、荷役部分もしっかり稼働することを確認。以降、実使用を目指し、試験走行を繰り返している。
「走行や荷役に必要な性能、それに操作感も、従来のディーゼルエンジン仕様のベルトローダーと同等に仕上がりました」
こう言って胸を張った小暮たちのたゆまぬ努力により“寿命”が尽きかけていたベルトローダーは、さらに15年ほどの継続使用が可能になった。
「EV化によって低騒音、低公害の車両として生まれ変わりました。何より、この1台のベルトローダーのコンバージョンで、年間2・1トンのCO2排出量削減が見込まれています」
ANAが保有するベルトローダーは386台。GSE全体では、およそ1万4千台が全国の各空港で稼働している。
「現在、2台目のベルトローダ―のコンバージョンに取り組んでいて、来年早々には通電できると思っています。将来的には他のGSE、たとえば、飛行機に乗り降りするお客様にご利用いただく階段付き車両『パッセンジャーステップ』や、コンテナやパレットを貨物室に搬入・搬出する『ハイリフトローダー』などもEV化してみたいと、同僚とも話しているんです」
さらに多くのCO2排出量削減へ、期待は膨らむばかりだ。