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旅客機のプッシュバックに革命 航空業界の課題を解決する“小さな巨人”〜翼の流儀

旅客機のプッシュバックに革命 航空業界の課題を解決する“小さな巨人”〜翼の流儀

ANA REPORT 翼の流儀

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「初めてこの機材を見たときは、小さくて正直、頼りないと思ってしまいました。でも、実際に機体をプッシュバックしてみたら……『すごい、こんな簡単にできちゃうんだ!』と。驚きでした」

伊丹空港の駐機スポット。グランドハンドリングの制服に身を包んだ仲美咲季はこう言って微笑んだ。その隣には、同じく制服姿の吉本胡桃の姿も。二人の視線の先にあるのは、不思議な形をした機材だった。

運転席も見当たらない。重量5400キロ、全長3243ミリ、全幅2546ミリ、全高にいたってはわずか553ミリという小さく平たい機材。あまりに小ぶりで、たしかに頼りなさそうにも見えるこれこそが、今回の「翼の流儀」の“主役”、ドイツ製のリモコン式トーバレストラクター「Mototok Spacer8600(以下・MOTOTOK)」だ。

通常、自力で後進することのない旅客機。出発のときは、安全に自走を開始できる位置まで、巨大な機体を後方に押し出すように移動させる必要がある。「プッシュバック」と呼ばれるこの作業、多くの空港では車体、エンジンの出力が大きい牽引車「トーイング・トラクター(以下・タグ車)」が担っている。
だが、タグ車によるプッシュバックには高度な運転技術が必要で、その習得には、長い時間を要する。自ずと作業を担当するのはベテランスタッフに限られ、その人材の育成は航空業界にとって大きな課題となっていた。

そこでANAは、将来の労働人口減少も見据え、先進技術を取り入れた。2018年、日本で初めて、旅客機のプッシュバックにリモコン式のトーバレストラクターを導入したのだ。それがこのMOTOTOKだった。

その小ささからは想像もつかないようなパワーの持ち主で、最大牽引能力は95トンを誇り、ボーイング737や、エアバスA320/321など小型機に対応でき、3時間でフル充電できる。“満タン”状態のMOTOTOKは30回のプッシュバックが可能だ。

運転席ではなく、車両から離れた位置からリモコンで操縦するMOTOTOK。機体周辺の状況が視認しやすく、繊細な操作も可能になる。車両と旅客機の前輪(ノーズランディングギア)をつなぐ金属の棒「トーバー」が不要なことも大きな特徴で、接続の際の力仕事や手間もない。短期間で資格取得が可能で、性別や年齢に関係なく、比較的容易にプッシュバック作業に携われるため、多様な社員の活躍につながっている。

ANAでは現在、4つの空港で計8台のMOTOTOKを運用している。そのうちの半数、4台が伊丹空港で活躍している。当空港でリモコンを手に日々、MOTOTOKを操っている“グラハン女子”に聞いた「新時代のプッシュバック」とは――。

「初めてプッシュバックできたときは感動した」

「もともと航空業界志望ではなかったんです。ただ、大学時代、外国語学部で学んでいて、周りに航空業界を目指す友人が大勢いました。それで、私もセミナーに参加したところ、グラハンの女性の方と話す機会がありました。屋外で、作業着を着てバリバリ働く女性って格好いいなと思ったんです」

仲は2015年、ANA大阪空港株式会社に就職した。入社以来ずっとグランドサービス部に籍を置き、憧れのグラハン業務に従事してきた。従来のタグ車によるプッシュバックの社内資格を有し、その経験もある。だから2021年、伊丹空港にMOTOTOKが導入されたときを振り返ると、冒頭で紹介したような、驚きのコメントになる。

「タグ・プッシュバックというのは、とても緊張を要する作業なんです。少しでも操作をミスすると、機体に損傷を与えてしまったり、お客様全員に降機していただかなければならなくなったりします。その点、リモコン式のMOTOTOKの場合は離れて操作ができるので、全体がよく見えて、安心感を持って操作することができます。『こんなに簡単!』と驚いたのは、そういうわけなんです」

一方、「中学生のころから航空業界で働くのが夢でした」と語るのは、2018年に入社した吉本。入社から3年間、旅客サービス部を経験したのち、仲と同じグランドサービス部に異動してきた。ゆえに、当初はMOTOTOKについての知識は、ほぼゼロだった。

「伊丹空港ではターミナルと飛行機をつなぐボーディングブリッジのオペレーションは、旅客サービス部が担当しています。ですから、導入当時のMOTOTOKのことは、出発業務を終えた歩道橋の上から眺めていました。でも、まさかプッシュバックを担っているとは思わなくて。『ギアに何か変なものが付いてる……あれはなんだろう?』って、不思議な気分で見てました(笑)」

先述のように、MOTOTOKの資格は短期間で取得ができる。現在、インストラクターも務める仲曰く「最短で約10日間で資格は取れます」とのこと。現在、ANAグループでは、約100名の有資格者が、MOTOTOKでのプッシュバック作業にあたっている。若い女性のスタッフも多い。2年前に資格を取得した吉本も、その一人だ。

「最初は緊張もしましたし、どのくらい曲げたらいいのか、その後、きちんと真っ直ぐに戻ってくれるのか、感覚を掴むのに苦労しました。でも、夜間、お客様の乗っていない飛行機で4日間ほど、その後は実機で訓練を重ね、トータル10日間で、なんとかひとり立ちできるようになりました。あの大きな飛行機をMOTOTOKと一緒にプッシュバックできたときは、とても感動しました」

こう言って目を輝かせた吉本。彼女たちにとってMOTOTOKは、“頼れるパートナー”そのもののようだ。

グラハン業務を変革する CO2削減にも期待

現在、伊丹空港で稼働している4台のMOTOTOKには、それぞれ愛称が付けられている。
「最初に導入された初号機は重鎮らしい名にしようと『門十郎』とつけました。4台ともMOTOTOKの『モ』から始まる愛称にしています。2台目が『モッピー』、3台目は羽田空港から送られてきたので都会的な『モニカ』、名古屋から来た4台目は『モコミチ』です」

“相棒”たちを紹介しながら仲は笑みを漏らしたが、先進技術ゆえに、導入当初は故障などもあったという。資格を得て作業に従事し始めたころ、吉本も青ざめるような経験をした。

「門十郎を飛行機のギアにつないで、いざプッシュバックをしようとしたところで、まったく動かなくなってしまって。そういうときの緊急操作方法がマニュアルにあるのですが、それをすべて実行しても、まったく反応しません。門十郎が飛行機の車輪を抱え込むようにしてつながったまま固まってしまい、このままではタグ車をつなぐこともできないという状況に。結局、出発便は遅延することになってしまいました。機械の不具合ではあったのですが、私自身もとても責任を感じました」

それでも、彼女たちの相棒への信頼、そして将来への期待感は揺らぐことはない。吉本はこう力を込める。

「従来のタグ車でのプッシュバックではドライバーのほか、機体周辺の状況を目視で確認する人員が左右に一人ずつ、つまり全部で3人必要でした。それがMOTOTOKの場合は、伊丹空港では、2人でできるんです。長らく人材不足が叫ばれている航空業界ですから、そういった点でも、MOTOTOKは寄与できる存在だと思います」

キャリアが浅いスタッフの活躍できる場が広まったことや、作業にあたって男女の性差がないことも、大きな変化だ。半世紀近くほとんど変化のなかったグラハン業務に、MOTOTOKの登場は大きな変革を起こしているといえる。

「環境保全にも貢献できる」と仲も言葉を継いだ。

「なにより、MOTOTOKは電動で動く機材です。だから、タグ車と比較すると、CO2排出量は大幅に削減できています。それに、あの小さな機材でのんびり動くところが可愛らしくて。多くの人に愛される存在になっているんです。先日も、乗務前のパイロットから『お、今日はモコミチだね』なんて声をかけてもらいました。プッシュバックする門十郎の動画をSNSに上げてくださったお客様もいます。いま、MOTOTOKの人気が少しずつ広まっているのを、現場の私たちも肌で感じています」

MOTOTOKの愛らしさは、そのゆっくりとした動作も関係しているようだ。吉本は、親しみを込めて語る。

「速度は2段階、切り替え可能で、私たちは『かめモード』『うさぎモード』と呼んでいます。速い『うさぎ』でも時速6キロ、人の早歩きぐらいの速さしか出ないんです」

取材・撮影を終え、「かめモード」でゆっくりと車庫に戻るモニカ。その相棒を眺める二人の眼差しは、どこまでも優しかった。