50代で富山県庁に出向 「ベテラン営業担当」の新たな挑戦~翼の流儀
「社員の外部出向もありうることだろうと思っていた。自分もその一人に選ばれたんだな、そう理解しました」。出向を告げられた場面をこう振り返るのは、富山県地方創生局観光振興室の須田直樹主幹。ANAグループで旅行会社向けの営業などに携わってきた彼のいまの仕事は、富山県内の観光の振興だ。果たして、その仕事とは、どのようなものなのか。
「こちらは、今年開湯100周年を迎えました。地元の関係者や黒部市などで構成される実行委員会が中心となってさまざまなイベントが企画されています」
富山県黒部市の宇奈月温泉。黒部峡谷の入り口、渓谷沿いにある温泉街を案内する、スーツ姿の男性。
「また、この先の欅平から黒部ダムの区間には、来年『黒部宇奈月キャニオンルート』として一般開放されます。黒部川第四発電所建設に伴い、地底に造られた工事用ルートを再整備されたもので、蓄電池機関車やインクライン(動力台車)など、当時の人類の英知が結集した電源開発の軌跡を間近に見ることができます。このキャニオンルートは富山県のみならず、日本の観光素材の目玉と、国内外から注目されていて……」
その解説は、どんどんと熱を帯びていく。
「山と海が近いことも、本県の特徴です。ご覧のように、深い山に囲まれた宇奈月温泉ですが、宿の夕食には、ごく当たり前に、朝どれの新鮮な海産物が、テーブルに並ぶんですよ」
こう言って胸を張ったのは、富山県地方創生局観光振興室の、須田直樹主幹。“お国自慢”を滔々と語る姿は、いかにも県の職員らしいが、じつは彼の、同県庁でのキャリアは2年余りに過ぎない。須田は“本籍”をANAグループに置く出向者なのだ。
元来、エアラインとして地域と世界をつないできたANA。
2021年4月からはグループ企業の「ANAあきんど」を中心に地域創生に注力。その一環として、100人ほどの社員が日本各地の自治体や団体、企業に出向し、それぞれの地域の持続可能な発展に寄与している。現在、富山県庁に籍を置く須田も、そのうちの一人だ。
「私は長年、旅行会社さんに飛行機の席を売るという、営業の仕事をやってきました。そんな私が、会社に籍を残したまま、新しいスキルを学ぶことができる、新たなチャレンジができるということで、自分としては出向をとても前向きに捉えています。ANAでの経験を生かし、頑張ってみたいと、そう思ってここ、富山県に来たんです」
出向で「新しい挑戦」ができる
「もともと旅行業志望でした。とくに、海外旅行に携わる仕事に興味があって。それで、1992年、新卒で『全日空ワールド』(現・ANAあきんど)に入社しました」
最初に配属されたのは東京支店。その後、大阪、名古屋、沖縄と転勤を重ねた。途中、2003年には会社がグループ内で合併し、勤務先の社名は「ANAセールス&ツアーズ」になった。
本人が先述したように、総務部に籍を置いた6年間を除いて、須田はずっと営業畑に身を置いてきた。そんな、営業のエキスパートが「いちばんの思い出」と語ったのが2011年、名古屋支店でのエピソードだ。
「その年、見事にリーグ二連覇を果たした中日ドラゴンズの優勝旅行の契約を、支店の総力を挙げて取りにいきました。優勝のマジックが点灯したころから売り込みを始めましたが、当時、名古屋/中部国際空港―ホノルルはANAの定期便が飛んでいませんでした。なので、チャーター便の手配に始まり、運航料金はもちろん、食事や飲み物をどう搭載するかなど、細かな交渉を重ねました」
当時、営業課長だった須田はその売り込みの最前線にいた。競合他社との入札を経て、見事、その大仕事を勝ち取った。
「定期便とは異なるチャーター便のオペレーションをどう進めていくのかなど、長く営業をしてきた自分でも初めての経験が多くて。とても勉強になりました。課員と一緒に苦労もしましたが、やりがいも強く感じた仕事でした」
さまざまな経験を重ね、すっかりベテラン営業マンの域に達した須田のもとに、思いがけない内示が届いたのは、関西支社に勤務していたときのことだ。
「あるとき、直属の上司である部長に呼ばれて。異動の季節が近かったので転勤の内示かな、と思っていたら『来月から富山県での勤務です』と告げられて」
部長の言葉の意味はすぐに理解できた。出向の内示だ。初めてのことで、多少なりとも動揺はあったが「じつは、すでに覚悟もしていた」と須田は言う。
「会社がちょうど『ANAあきんど』に変わるタイミングで、これからは地域創生事業に力を入れると聞いていました。それに、コロナ禍になって、業界全体が厳しい時期でもありました。だから社員の外部出向も十分、ありうることだろうと思っていた。自分もその一人に選ばれたんだな、そう理解しました」
不安がないと言えば嘘になる。しかし、このときの須田には、先に本人が述べていたように、ネガティブな思いは少なかった。
「こんな言い方は語弊があるかもしれませんが、50代になった自分が新しいことに挑戦できることを、とてもポジティブに考えていました。公務員なんて、かつてはなりたくてもなれない、そう思っていましたから。だから、後ろ向きな思いというのはほぼなくて。むしろ、大勢の同僚が同じタイミングで出向になったので、自分だけが富山県で成果を挙げられなかった、なんてことだけは避けたいと、いい意味でプレッシャーを感じていましたね」
2021年4月1日。須田は富山県庁に初登庁を果たした。
県の「関係人口」を増やす
「この2年間、須田さんのことを、これでもかというほど使い倒させていただいています」
こう言って、現在の直属の上司・山下章子課長は笑った。
「民間で、しかも営業をされてきた方だから、フットワークが軽くて仕事を進めるのが速いですね。また、役所がやろうとしている事業を県内の事業者さんに伝える場合も、現場の感覚ややりとりをよく理解されているし、何より民間出身の須田さんが話す言葉は、事業者さんたちに伝わりやすいと感じています」
民間事業者との“共通言語”を持っていることが、須田の強みの一つだ。コロナ禍のさなか、スピード感が求められたさまざまな支援制度の施行に当たっても、その強みは大いに発揮された。いっぽうで「庁内では、まさにその言葉で苦労しています」と須田は苦笑した。
「私が書く資料や書類は、8割がた訂正されてしまうんです。出向してきた当初なんて、赤ペンの訂正が入りすぎて、書面が真っ赤になっていました(苦笑)」
山下課長が補足する。
「やはり、役所は議会対応もありますし、行政文書を公文書として県下の市町村に送ることも多々あります。ですから、文書の文言、その言葉遣いは厳に、正しい日本語でなければならないんです」
上司の説明を聞きながら、須田は頭を掻いた。
「出向前、私は関西支社の課長職でしたから、部下に指示を出していたんです。それが、こちらに来たら、私の書類を直してくれるのは、まだ入庁数年という若いプロパーの人たち。経費精算なんかも、彼らに助けてもらいながらでないと、手も足も出ない(苦笑)」
そのほか、「仕事の進め方の違いに最初は戸惑った」と須田は話す。
「富山県庁に来て学んだのは、行政は何よりもまず公平性を重視しなくてはならない、ということでした。ANAにいたころなら、売れるところを優先するのが当たり前でした。でも、ここでは、何か事業を進めるにしても、県内のすべての事業者さんに公平に接しなければならないんです」
立山連峰の美しい山並みに、立山黒部アルペンルート、黒部峡谷トロッコ電車、世界遺産にも指定されている五箇山の合掌造りの集落、それに、日本有数の漁場である富山湾の美味しい魚介類……。観光素材の充実ぶりは、決して他県に引けを取らない富山県。
須田が担っているのは、そんな富山の魅力を県外に積極的に情報発信し、「まだ富山県に来たことがない人に、来てもらうこと。そして、県の関係人口を増やすこと」だという。
「じつは、私自身も出向以前は富山県に来たことがありませんでした。私がそうだったように、世間には『富山県って何があるんだっけ?』という人が少なからずいる。でも、来県した人は『いいところだった』『いい旅ができた』と喜んでくれます。一度でも足を運んだことがあって、富山のことを悪く言う人に、私は会ったことがありません」
それはつまり、県にはもちろん、須田の仕事にも、まだまだ伸び代が、成長の余地が残されているということだろう。そして、この2年余りの短い時間で、須田は結果を残してもいる。
「県民割や全国旅行支援など、コロナ禍の観光需要を喚起するさまざまな支援制度では、私のこれまでの経験が少しは役に立ったのかなと思っています。どのような運用にすれば、宿泊事業者さんがキャンペーンを打ちやすいのか、また、そのキャンペーンをどう運営すれば誘客が望めるのか……、これにはANAで航空座席販売をして得ることができた知識が、多少は生かせたように思います」
須田はその支援事業の運用について「富山県はわりとうまく回っているほう」と控えめに話すが、結果は数字にも表れていた。昨年、観光庁の出した宿泊旅行統計によると、コロナ前の2019年と比べた延べ宿泊者数の伸び率が、富山県はプラス13.5%を記録し、全国2位になったのだ。
また、須田が若い職員と一緒になって手掛けている県の公式観光サイト「とやま観光ナビ」、その閲覧数も飛躍的な伸びを見せている。
「日本観光振興協会が今年2月、発表した統計によると、都道府県別の公式観光情報サイトのランキングで、富山県はそれまでのランク外から11位にジャンプアップしたんです。これは、ちょっとだけ自慢です(笑)」
短期間のうちに、実績を残した須田。だが、任期次第で将来的には県を離れることになる。山下課長は言う。
「観光振興室のなかで、須田さんにはガッツリとさまざまな仕事をやっていただいているので。万一、いま抜けられたら本当に困ります。それに、富山きときと空港は県民にとって、世界とつながる扉だと私は思っています。ANAさんとの良好な関係をしっかり維持していきたいと思います。個人的には朝イチのフライトを増便してほしくて。須田さんにはいつもお願いしているんですけど(笑)」
直属の上司からの褒め言葉に恐縮しきりで苦笑いを浮かべる須田。当の本人は、将来をどう見据えているのだろうか。
「ANAあきんどに戻ることがあったら、今度は富山県で学んだことが生かせるとは思います。以前の私は、県や行政がどんな考えのもとで施策を進めているのか、よく分かっていませんでしたが、この2年半でずいぶん理解できるようになりましたので。行政に対するアプローチの仕方は、未経験の人よりは、分かっていると思います」
県職員として花開いた須田のANAイズム。近い将来、彼ら出向者が行政マンとして培ってきたスキルが還元され、ANAで実を結ぶ日が来るのかもしれない。
撮影/水野竜也 取材・文/仲本剛