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レジェンド整備士と新規事業担当が語る「ANAの原点と未来」  〈70周年記念対談〉

レジェンド整備士と新規事業担当が語る「ANAの原点と未来」 〈70周年記念対談〉

ANA REPORT 翼の流儀

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「けん2( けんけん) と呼んで」と気さくに笑いかけるのは整備士の林田健一郎さん。ANAグループで最高レベルの整備士に与えられる「グループマイスター」の認定資格を持ち、後進の育成に当たる「レジェンド」的存在だ。そんな彼を訪ねたのが新規事業担当の保理江裕己さん。ANAが大事にしてきた「精神」を先輩に聞いた。

「久しぶりに来ましたけど、やっぱりハンガー(格納庫)って大きいですね。ここ、端からまで、いったい何メートルあるんですか?」

親子ほども歳の離れたふたり。ジャケット姿の若い男性が、爽やかな笑みを浮かべて問いかけると、年嵩のいった作業着姿の男性は、ニヤリと微笑み、こう即答した。「長いよ、すごーく長い」。その回答に少し驚いた若い男性。その顔を見てさらに相好を崩した年配男性、こう畳み掛けた。「なに? 合ってるだろ、間違ってないだろう(笑)」

ふたりは、ともにANAグループの社員だ。作業着姿の男性はANAベースメンテナンステクニクスに所属する林田健一郎(62)。整備士としての技術と経験が最高レベルにあると社内認定された「グループマイスター」だ。グループ全体で4千300人を数える整備部門のなかで、同資格の認定を受けた者はわずか8名。林田はそのなかでも、自他ともに認めるトップ中のトップ、いわば整備のスペシャリストだ。

いっぽうの若い男性は、ANAホールディングス「未来創造室デジタル・デザイン・ラボ」に籍を置く保理江裕己(36)。開発中の〝空飛ぶクルマ〞と呼ばれる電動エアモビリティを使った、新しい航空サービスの事業化を図っている。

今月、創業70周年を迎えたANA。それを機に、グループの次代を担う若手が、創業時から連綿と受け継がれてきたANAイズム、いや、全日空精神について聞くべく、それを熟知する大ベテランのもとを訪ねたのだ。ともにグループの一員とはいえ、いまや総社員数4万数千人を数えるANAグループ。ふたりはこの日が初対面だった。

思い出深いのはジャンボ機

対談する林田さん(右)と保理江さん
「僕はね、入社以来43年、ずっと整備一筋」(林田)
「すごい、まさにレジェンドですね」(保理江)

保理江:林田さん、ハンガーって本当は幅、何メートルなんですか?
林田:230メートルだったかな。飛行機7機がすっぽり収まるんだから。長いよ(笑)。
保理江:確かに長い(笑)。ところで、林田さんは何年入社ですか?
林田:昭和54年、1979年。
保理江:79年ですか……、私、生まれてません。そのころはまだ、カケラもございません。
林田:そりゃ、そうだろうね(笑)。
保理江:入社当時のANAって、どんな環境だったんですか?
林田:僕はまず、三重県で入社して。
保理江:三重県?
林田:そう。当時は、各部署ごとの入社。現在のように、全新入社員をハンガーに集めての大規模な入社式なんてなかった。整備は整備だけ、営業は営業だけ。それに、デスはデスだけで入社式をした。
保理江:デスって、もしかしてスチュワーデス? CAのこと?
林田:そう、時代がわかっちゃうでしょ(笑)。それで、僕は入社から2ヶ月間、三重・鈴鹿で訓練を受けて。その後、伊丹空港に移って8月まで、今度はYS-11を使った実機訓練。いま、成田の航空博物館に飾ってある機体、まさにあれで実機訓練をやったんです。
保理江:伝説の国産プロペラ機ですね!
林田:そう。その後、僕は東京整備工場に配属になった。以来43年間、整備一筋、整備しか知らない。でも、もう僕みたいなやつは、ほとんどいない。皆さん定年になっちゃった。僕はね、もうちょっとやってみようかなと思って、いまもやってます。
保理江:そうなんですね。ところで林田さんはYS-11以降、いろんな飛行機の整備をされてきたと思いますが、印象深い機体というと?
林田:やっぱりジャンボです。「ジャンボを極めてやれ」と思って、ずっとやってきたから。あれは忘れられない、あのバカでかい機体は。
保理江:ボーイング747ですね、確かにあれは大きかった。
林田:でも、いまの若い整備士はジャンボって言っても通じないんです。「ジャンボが……」と言ったところで「なんすか、それ?」って(苦笑)。悲しいかな、それが現実。あ、そうそう、当時、ジャンボは2つあったの、知ってます?
保理江:え、2つ?
林田:そう、飛行機のジャンボと、ゴルフのジャンボ……、ジャンボ尾崎さんね。
保理江:……(苦笑)。ところで、今月でANAは70周年ですけど、元々はヘリコプターの会社が、小型飛行機を導入し、エアラインを始めた。先輩たちは、当時の常識からしても、難しい挑戦をしたわけですよね?
林田:そういうことだね。
保理江:そんな先輩たちが、どんな話をしていたのか興味があって。林田さんの入社時は、創業時の人たち、まだいらしたんですよね?
林田:いましたよ。僕が入ったころは、昔の飛行機を整備してた人たちがまだまだ大勢いた。そして「我々はこんな整備をしてきたんだ」と言うんだけど、既に創業から20年以上経っていて、もう扱う飛行機も違うから、当時若手だった僕らには、なかなか通じなくて。でも
ね、それでも先輩たちは、僕らにきっちり教えてくれました。「たとえ飛行機は変わっても、やり方は変わらない、やることは同じだ」と。
保理江:え、どういう意味ですか?
林田:だって、整備というのは、我々がこの手でやるんだから。プロペラだろうと、ジェット機だろうと、飛行機が変わるだけであって、整備をするのは生身の人間、そこは変わらないと。その、魂みたいな部分を、先輩たちは身をもって教えてくれました。
保理江:気持ちの部分が大事と?
林田:そうです、そうです。そのうえで「和協の精神」を叩き込まれた。
保理江:和協の精神!? それ、私も新人社員研修で、教わりました。
林田:僕らの時代はね、先輩たちからこんこんと言い聞かされてきました。「整備でも、どんな仕事でも和協の心がないとダメだ」と。要は「誰かが困ってたら、放ったらかしにせず一致団結しろ」ってこと。それが、全日空という会社の風土だった。だって当時は後ろ盾も、
それに、お金もない会社だったんだから。いまはどうか知らないけど。
保理江:いまも、そんなにないかもしれません(笑)。
林田:そういったなかで、いかに困難な場面を打破するか。たとえば、外国で運航中の飛行機から、部品の不具合が見つかったりする。すると、国から同型機の一斉点検の通達が来るんです。「いつまでに、全機体の安全を確認せよ」と。期日を厳守するため、通常業務をこなしながら、全部署が協力し合うんです。担当など度外視し整備点検に当たったものです。連日、早朝から深夜までね。これこそが和協。そんなとき、誰か一人でも自分勝手なふるまいをしていたら、会社は立ち行かなくなってしまうんです。

羽田空港の格納庫で、機体の点検作業をするグループマイスター。「僕のような熱い整備士をもっと育てていきたい」(林田)

保理江:それは、国の通達を守るのはもちろん、飛行機を安全に飛ばすため、お客様に運航便をちゃんと提供するため、ですよね?
林田:もちろん、そう。とくに僕ら、現場仕事は、決して一人じゃできない。やっぱりチーム、和協です。でも、いまの時代はリモートだ、なんだと、一人で仕事をする場面が増えたでしょ。そうなってしまうと、チームで働くことの大切さを、身に沁みて覚えることが少なくなってしまう。だから、先ほどのジャンボじゃないけど、和協という言葉ももしかしたら忘れられちゃうのかと、心配しています。なんとしてでも、その精神を次世代に引き継ぐ、それが、僕のいまの仕事です。

社内横断でプロジェクトを推進

林田:保理江さんは入社は何年?
保理江:私は2009年、平成21年入社です。それこそ、最初は技術で入りましたから、3ヶ月間は整備訓練を受けたんですよ。
林田:ほう、そうだったんだ。
保理江:その後の本配属で別の部署に配属になってしまったので、泣く泣くツナギと安全靴を返却して(苦笑)。6年ほど前からは現職に。当時発足したばかりの「デジタル・デザイン・ラボ」に異動しました。
林田:そこでは、どんな仕事を?
保理江:世の中的には「空飛ぶクルマ」と呼ばれてますけど、電動エアモビリティ(電気で飛ぶ航空機)を使って、新しい航空サービスを作ろうとしています。
林田:へぇ〜。その仕事は、何人で当たってるの?
保理江:専属は私を含め3人(兼務も含めると15名程度)ですが、これは社内の横断的プロジェクトなので。ANA各部門のスペシャリストたちに、それこそ、林田さんの後輩の整備のプロの人にも加わってもらって、どう事業を作っていくのか、日々、動いています。
林田:そのエアモビリティって、具体的にはどんなものですか?
保理江:現状の飛行機の100倍から1千倍は静かで、滑走路も必要ないんです。現在、アメリカのベンチャー企業が開発中で、あと数年で完成見込み。あ、そうそう、私、その開発現場のハンガーの視察にも行ったんですが……、林田さん、そこは驚くほど臭いが違うんです。
林田:ん? 何が違う?
保理江:臭いです。電動なので、ハンガーも油の臭いがほとんどしない。家電製品の工場みたいで。
林田:あ〜、なるほどね。ちなみに大きさはどのぐらいなんですか?
保理江:おおよそ10メートル×10メートルほどです。小型のセスナ機ぐらいですね。

アメリカの企業が開発中の電動エアモビリティ。「滑走路もいらないですし、音も静かなので、いまよりもっとコミュニティの近くで離着陸できるようになると思います」(保理江)。数年後、この機体を日本で飛ばすのが、保理江の仕事だ(写真・Joby Aviation 提供)

保理江:翼がありますから。でもキャビン自体はRV車ぐらいです。
林田:それ、僕が整備しますよ。
保理江:え!?
林田:いまから勉強しておくから。65歳からということで(笑)。
保理江:本当ですか やったー!? ありがとうございます。こんな心強いことないです。でも、林田さんはやっぱり大先輩、ちょっと近寄り難い存在なのかなと思っていたんです。でも、今日もいちばん最初にご自分のことを「けん2(けんけん)って呼んでね」っておっしゃられて。そんなところも、すごいスキルだなって感心してました。
林田:いや、だってさ、一緒にやるんじゃないですか、今日のこの対談だって。だったら、偉そうに構えているより「僕はこんな人間です、よろしくね」って自分から始めたほうが、うまくいくじゃない。そうやって和を作って協力し合う、これだって立派な和協なんですよ。
保理江:スキルというより、和協の精神なんですね。
林田:そう、人間味が大事なんです。だって、僕らは生身の人間なんだから。どんなことするにしても、人間味を失ったらダメなんですよ。
保理江:よくわかりました。それじゃ、けん2、電動エアモビリティの整備、よろしくお願いします!
林田:けん2、がんばります(笑)。

撮影/加治屋誠 取材・文/仲本剛