アジュラックプリント、バンダニ…世界が注目する匠3人の職人技に息をのむ 西インド3
インドの西の果て、パキスタンとの国境に近いカッチ地方。世界的に名高い手工芸を特産とする村々をめぐりながら、移動する民、伝統と進化、食と信仰など、様々な要素が織りなす旅のタペストリーを藤代冥砂が語り紡ぐ。
アジュラックプリント
2日目は東へ。アジュラックプール村へブロックプリントの担い手を訪ねた。その途上で、収穫期を迎えた綿花畑に立ち寄った。
子どもの拳くらいあるその綿花は、工業用と採油用の改良種であった。触れると内側から押し返すような弾力があり、その心地よさに自然と頬が緩む。ちょうど目の前にいた父娘に声をかけると、にこりと撮影に応じてくれた。
一般的にインドの人々は写真を撮られることを厭わない。中には道の向こう側から撮ってくれと声をかけてくる積極的な人もいる。写真撮影を日常化させたスマホが普及した現代インドでも来訪者に撮影してもらうことは愉しみなのかもしれない。
だが、その逆な人もいることを忘れてはならない。断りなくレンズを向けるだけでトラブルになるケースもある。特に急速に観光地化された村などでは、時に宗教的な教えも含みデリケートな部分だ。
綿花畑を去る時に今回は原種コットンの収穫期には合わなかったことを知った。繊維が短く茶色いカッチ地方の原種コットンはカラコットンと呼ばれ、化学繊維志向を真っ直ぐに歩んできた近年のインドでも、オーガニックやエコの視点を持つ若い世代を中心に支持が伸びていると聞く。
カラコットンから作られた布のざらついた風合いには、本物に触れる時の直感的な喜びがある。改良種以前の原種は大地の乾きや太陽の熱、害虫にも強く、放っておいても育つ半面、綿花は小さく繊維はとても短い。経済効率的には良種ではないが、その価値と風合いは決して忘れ去られることはないのだろう。
それが損なわれることを人の何かが許さないだろうという想いは、来訪者の無責任な楽観というよりは、大地を眺めていれば感じられる確かな直感に近い。
アジュラックプリントの匠として世界的に有名なスフィヤンさん。穏やかな人柄のゴッドハンド
午後をかなり回った頃、アジュラックプールのスフィヤン・イスマイル・カトリさんの工房を訪れた。版木を使うブロックプリントの中でもイスラム的な文様が特徴的なアジュラックは古来よりインドの代表的なプリントとして親しまれている。パキスタンのシンド地方に約千三百年前に生まれたとされるアジュラックは、藍染を基調とし幾何学や植物をモチーフにした絵柄が特徴だ。おそらく、インドの布として多くの人の目に触れていると思う。
Indigo House(インディゴ ハウス)
世界的に有名なスフィヤン・イスマイル・カトリの工房&ショップ
Ajrakhpur,Paddhar Ta.Bhuj,Dist.Kachchh,Gujarat
アジュラック製作はイスラムの男仕事でもあるのだが、その繊細さと技巧は彼ら民族の心中にある景色の豊かさが表面的な性差を超えて表れているようだ。
スフィヤンさんはカッチに定住した先祖から数えて十代目である。版木を布上のあるべき場所へと押していく作業は難しい。
目印があるとはいえその位置通りに押し続け大きな一枚の布地を埋めていくのには根気と集中力、体力も要る。
さらにスフィヤンさんが作るアジュラックプリントの特徴としては、両面捺染が挙げられる。布の表裏両方に柄があるということは、もはや裏も表もないようなものだ。それは翻った時に美しさが際立つ。
片面でさえ高いスキルが求められるのに、それを両面で寸分のズレをも許さずにできる職人は世界中探しても僅かだ。彼によれば、彼を含めた三兄弟の家族しかできない技だ。
スフィヤンさんはそのような神の手を持った達人である。それを成し得るためには手元の技だけでなく、心をコントロールする技にも長けているのだろう。
彼は常に心の平静を微笑みに映しているかのように温和である。それは個人のものであると同時に血筋かも知れず、信仰心の賜物かもしれない。
十代目の彼の脇には、いずれ十一代目となる十八歳の息子さんフェイザン君の姿もある。代々引き継がれ途絶えることのない流れは、幼い頃から親の労働現場にいて見様見真似で遊びとして始めることから自然に引き継ぐことに繋がるらしい。強制も圧力もない、とスフィヤンさんは言う。自分がそうであったように子どもも自然とそうなっていく、それが私たちのコミュニティの姿なのだと。
雨季と乾季の繰り返しの間で、その影響をまともに受ける大地や水と共に日々の生活芸術に勤しむ彼らの旅路はこれからも続いていく。
幸運なことに、そんな彼らの家に一晩泊めていただいたことも貴重な経験であった。翌早朝にフェイザン君に付き合ってもらい、工房の屋上からドローンを飛ばしてみた。新しいオモチャを見つめるような眩しそうな表情をした彼は、すでに十一代目を私に誇らしげに名乗っていた。
超絶の絞り染め、バンダニ
工房に積まれた美しいバンダニたち
カッチにはスフィヤンさんたち以外にもそれぞれの分野で凄腕の職人がいる。アブドゥラ・カトリさん、ジャバール・カトリさん兄弟は、カッチの伝統的絞り染めであるバンダニの名手だ。彼らの工房シドリクラフトで、その技巧の何たるかが分かる八十年前の貴重なチャンドラクニ(婚礼用の贈り布、嫁を迎え入れる夫側の家族から嫁へと贈られる。直訳すると月光)を見せていただいた。その微細さは絞り染め技巧の究極の表れと思われ、ため息で息苦しくなるほどだった。
SIDR craft(シドリ クラフト)
アブドゥラ・カトリ、ジャバール・カトリ兄弟のバンダニ(絞り染め)工房&ショップ
Nr,Safai Kamdar Colony,Khatri Chowk,Bhuj-Kutch,Gujarat
工房に積まれた美しいバンダニたち
絞り染め・タイダイと聞いて、ヒッピームーブメントやロック、派手な色の古着Tシャツをイメージする方は多いが、ざっくり言うとバンダニはそれが極まったものだと考えていただいて差し支えない。
絞り染めは、染料が入らないように布の一部を縛ったりするのだが、バンダニでは一部を摘んで極細糸で括って防染する。それがとても細かく小さい。一見するとそれ自体が完成された刺繍のようだ。最終的にその刺繍のような部分に地色が残る。布全体を染め上げた後で、その糸を解くと極小のドットなどが現れてくるという仕組みだ。まるで手品のようで、人の手に頼らないと生まれないのは明らかだ。科学や芸術などが区分けされていなかった古代の真面目な遊びの面影がそこにあり、心がざわついた。
バンダニの名手、兄のアブドゥラさん
バンダニの名手、弟のジャバールさん
藤代冥砂(ふじしろ・めいさ)
葉山、沖縄暮らしを経て、現在東京町田市在住。主に写真家、小説家、エッセイストとして活動中。自身の写真を用いたフォトアパレルブランドPIP(meisapip.thebase.in)のディレクション、YouTubeチャンネル(@MFUJISHIRO)も手がける。瞑想のインストラクターとしても知られる。
案内人 山本束花咲(やまもと・つかさ)
2008年に訪れたカッチで、多様な文化が生みだす手しごとの美しさに衝撃を受け、そこに暮らし伝統を繋いできた人々の純粋さと温かさに魅了される。ライフワークへの昇華を模索する中で服作りと出会い才能が開花。Flower of Tripデザイナーとして旅を続けながら、纏う人の個性が輝く服を、主にオーダーメイドで制作している。
Instagram @flower_of_trip
写真・文 藤代冥砂
編集 中野桜子
案内人 山本束花咲
Special Thanks 寿枝/印度手染織布探求者・通訳者・ヨーギニー、Imran Manjothi/ガイド(Kutch Safari Tours)
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