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幻のねぎを復活させた問屋「葱善」 食の都を支える伝統野菜

幻のねぎを復活させた問屋「葱善」 食の都を支える伝統野菜

TRAVEL 2024.08  東京特集

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ミシュランの星の数をはじめ、そのクオリティと多様性で「食の都」とまでいわれるようになった東京。最先端のレストランが続々と都心に生まれる中で見過ごされがちだが、東京の食の底力は、「食の伝統」の豊かな進化にこそある。

メトロポリタンでありながらも、一地方都市でもある東京の重層的な食文化を老舗、問屋、都市農家、仲卸の4つの「変わらない東京」にスポットを当てて繙(ひもと)く。

明治18年創業のねぎ専門問屋

東京の伝統野菜のひとつ、千住ねぎは、江戸初期に大阪から砂村(現在の江東区北砂・南砂)に持ち込まれた葉ねぎがルーツ。それが根深ねぎとなり、千住に伝わって一大産地となり、市場もあったことから千住ねぎと呼ばれるように。今も千住には、日本で唯一の長ねぎ専門市場があるが、千住界隈の畑は宅地化されて、産地は埼玉や千葉、茨城などの近郊へ。江戸時代から受け継がれてきた固定種で千住ねぎを栽培する農家もわずか1%未満といわれている。そんな幻の千住ねぎを復活させたのが、ねぎ専門問屋「葱善」の4代目、田中庸浩さんだ。

「昔ながらの千住ねぎは、長ねぎ本来の旨みや辛みが凝縮されていて、生で食べると涙が出るほど辛く、加熱すると甘くてとろとろ。初代の曾祖父から受け継ぎ、祖父や父が大切に繋いできたおいしいねぎを、自分の代でなくすわけにはいかない。種を守り継ぎ、次世代に伝えていきたい」と約30年前に栽培方法の研究に着手。2007年から本格的に契約農家の畑で栽培がスタートした。

そうして生まれたオリジナルブランドの「江戸千住葱」。東京スカイツリーをのぞむ「葱善」本社ビル屋上で種から苗を育て、契約農家の畑に運んで栽培してもらっているという。

固定種のため太さはまちまちだが、それが自然。太いものは鍋屋さん、中くらいのものはそば屋さん、細いものは焼き鳥屋さんに卸している。

麻布で江戸時代に創業した更科堀井は得意先のひとつで、「江戸の味を蘇らせることができるとご当主は喜んでくださいましたね」と庸浩さん。

倉庫の一角では、毎週木・金曜に直売所をオープン。秋冬は江戸千住葱、春夏は葱善千住葱のほか、辛味大根や大しめじなど江戸野菜も販売。店頭に立つ娘の竹野佑実子さんは、商品にならない江戸千住葱の加工品開発も担当する。

「江戸千住葱がない春夏も、これがあれば一年中楽しめます」と販売促進担当の息子、康晃さん。乾燥ねぎ¥540、ねぎ味噌(中)¥918、ねぎ塩¥918。乾燥ねぎは味噌汁やスープの具に、ねぎ味噌はご飯のお供や野菜スティックに、ねぎ塩は天ぷらや刺身のつけ塩や肉の下味にすると臭みが取れる。

妻の啓子さんは、江戸千住葱をより多くの人に味わってほしいと『女将さんのねぎレシピ』を発行。この日は、葱善千住葱を使ってねぎと豚肉の串揚げ、焼きねぎ、ねぎの豚肉巻きの3品を披露してくれた。加熱したねぎならではの甘みと瑞々しさは格別。

江戸から続く食文化を次世代へ

「江戸千住葱」を次世代に伝えるべく、庸浩さんは食育にも積極的に取り組んでいる。地元の小学校では、校庭の一角に種を植えるところから、最後は収穫して食べるところまでを毎年指導。子どもたちの記憶に残していくことが、未来に江戸千住葱を繋げていく確実な一歩かもしれない。

葱善

https://negizen.co.jp/

千住葱直売所 Google Map

写真 長野陽一
取材・文 和田紀子

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