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創業212年の酒蔵を復活 脱サラした9代目が見据えるこの先の200年

創業212年の酒蔵を復活 脱サラした9代目が見据えるこの先の200年

TRAVEL 2025.02 西三河・知多特集

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愛知県はかつて兵庫の灘と並ぶ酒処で、それが多様な醸造調味料を生むきっかけにもなった。今も知多半島を中心に多くの酒蔵がある中、一度は廃業した蔵を復活させ、地域の活性化に奔走する人物がいる。

「ここ亀崎は、かつては県内一の酒処として文化と経済の中心地でした。でも今はその賑わいはありません。昔はよかった、なんて懐かしむだけでは、なんだか悔しかったんです」

そう話すのは、日本酒「敷嶋」の9代目蔵元にして「伊東合資」を営む伊東優さん。伊東合資会社は天明8 (1788) 年創業。当時、亀崎町はじめ知多半島一帯で造られる日本酒は、船で江戸に運ばれ人気を得ていた。伊東合資会社は、なかでも最大規模を誇る酒蔵だったが、日本酒需要低迷の波にあおられ2000年に廃業。江戸時代から続く212年の歴史の幕が下ろされたのだった。

そんな老舗酒蔵の家に生まれた伊東さんは、廃業当時、高校1年生。都内の大学に進学し、卒業後は大手通信メーカーに就職するなど、酒造りとは無縁の人生を歩むはずだった。転機は2014年。祖父の通夜の前夜に、かつての「敷嶋」を飲んでいたときのことだった。

「本当にこのままでいいんだろうか? と、自分の存在意義まで考えました。活気の消えた故郷も、酒蔵に隣接した先祖代々の家も諦めたくなかった。あらゆる手段を考えるうちに、自分がここで日本酒造りを再開するのが一番なんじゃないか、と」

「敷嶋」が各種そろう直売店「かめくち」には地域の名産品も並ぶ。

経営のこと、日本酒のことを一から学んだ。脱サラをして、難関だといわれる酒類製造免許も再取得。20年の空白期間に売却した醸造場を買い戻し、改修すると、2021年、ついに「敷嶋」の製造を再開させる。さらに旧酒蔵だった広大な土地と建物も買い戻し、2024年1月、酒と食、人を繋ぐ複合施設「伊東合資」をスタートさせた。

また、日本酒造りで使用する電力の100%再生可能エネルギー化を目指す「SAKE RE100プロジェクト」にも参加。そこで得た日本酒の売り上げの一部を、地元・半田市に寄付する活動も行っている。

「苦労して復活させた酒蔵ですからね。200年後にも残っていてほしい。そのためには環境問題も他人事ではありません」

酒造りを通して地域に再び人を呼び、この地の食文化を残していきたい。一度は途切れた水脈を再び繋いだ蔵元の視線は、遥か遠い未来を見据えている。

復活を遂げた「敷嶋」は、仕込み水にミネラルを多く含んだ井戸水を用いることで、力強さのなかにも独自のキレを感じる日本酒に。どんな料理とも相性がよいので食中酒におすすめ。

酒蔵を改装した重厚感あふれる建物は、知多半島の食材を日本酒とのペアリングで楽しむレストラン「Restaurant gnaw」。

「Sake Cafe にじみ」のランチコースには前菜3種に合わせた日本酒のペアリングが付く(ノンアルコールに変更も可)。中庭や蔵内のスペースでは定期的にさまざまなイベントも開催されている。

伝統を繋いできた 蔵元たちの 飽くなき情熱と技術は この先の未来へも

「伊東合資」の旧酒蔵に残るレンガの煙突は、かつて日本酒の原料である米を蒸す工程で使われていたもの。今はその役目を終えているが、酒造りが盛んだったこの地のシンボルとして今後も残されていく。

伊東合資

愛知県半田市亀崎町9-111

https://ito-goshi.com

写真 秋倉康介
取材・文・編集 小嶋美樹

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